“ソーラーシェアリングの郷” 「農業×電気」で地域活性化 “移住する若者”も増加[2023/02/05 15:00]

のどかな農地が広がる、千葉県匝瑳市飯塚地区。農地の上には、大量のソーラーパネルが設置されています。かつては、「過疎化」「不法投棄」「耕作放棄地問題」など、様々な問題を抱えていました。それらを解決するために始めたのが、「ソーラーシェアリング」。なぜ地域に活気を取り戻せたのか、追跡しました。

■「農業」&「電気」の二毛作

東京からおよそ70キロ、千葉県北東部の匝瑳市。のどかな風景の中、突然現れたのはソーラーパネルです。

この地域には、およそ2万4000枚ものソーラーパネルがあります。その下には農作物。ここは日本でも最大の規模を誇る、ソーラーシェアリングの郷なのです。

地元で代々農家を続けている椿茂雄さん(71)を訪ねました。

この日は、待ちに待った収穫の日。半年かけて育てた大豆を次々と刈り取っていきます。地上3メートルの位置にパネルがあり、コンバインも難なく動かすことができます。

椿さん:「(Q.とれたての大豆どうですか?)感無量ですね」

椿さんが暮らす地区の場合、40年前には数十軒の専業農家がいたそうですが、その後、高齢化で4軒にまで減少しました。

農業で生計を立てるのは大変だったといいます。

椿さん:「大豆・麦だけでは採算が合わない。だから、『やらないほうがいいね』とやる人が誰もいない」

そうした深刻な状況のなか、9年前、ソーラーシェアリングを知った椿さんは、いち早く導入することにしました。

設置費用は、運営・管理する会社が負担。農家は、初期費用をかけることなく、耕作地の上にソーラーパネルを設置するだけで、毎年収入が入ります。

椿さん:「雨が多くて不作だったとしても、(収入が)しっかりと保証されるので安心して農業ができる」

1ヘクタールの農地の場合、大豆を栽培すると、売り上げは30万円ほどといいますが、もし不作でも、売電収入から年間50万円ほど決まったお金が入る仕組みです。

つまりこの耕作地では、農業と電気の二毛作を行っているのです。

椿さん:「(収入の)ベースがあるので、自分たちがやりたい農業に挑戦できる」

■地域活性化に「売電収入は年間3億円」

安定した収入を得られるようになったことで、自慢の大豆で新たにノンカフェインの大豆コーヒーや味噌を作り販売しています。

また、高齢化が進み、後継者不足に悩む農家にとってソーラーシェアリングは、希望の光だといいます。

大豆農家:「地域の農業の活性化には役立っている」

沖縄から移住・天久笑さん(44):「長い間、農業で働いていける安心感がある」

今までこの地域に、およそ60人が移住し、耕作放棄地が次々と復活。不法投棄の問題も解決したといいます。

地元の人たちとタッグを組み、この地域の再生に貢献しているのが、ソーラーシェアリングを管理・運営している東光弘さん(57)。匝瑳市に移住し、普及に努めています。

東さん:「(Q.全部合わせると、どのくらいの発電能力がある?)私たちが行っているのは、6000キロワット、6メガ。一般家庭2000世帯分を発電している」「この地域全体で400世帯なので、この地域は自然エネルギー100%でおつりが出ている」「(Q.耕作放棄地だった所がソーラーシェアリングでよみがえってお金は?)全体で売電収入が(年間)3億円。雇用や税金などを含めて年間1億円程度が地元に落ちている」

■非常用電源設備 住民は無料で利用可能

ソーラーパネルがあることで、作物の成長に影響はないのでしょうか?

東さん:「(Q.空が見える)『思ったより明るいね』って」

幅の短いパネルを使い、角度をつけて設置することで、太陽の光を確保しているといいます。

他の地域では、ソーラーパネルの下でお米や栗などを栽培している所もあります。

近年、問題になっているところもあるメガソーラーですが、ソーラーシェアリングの場合は、わざわざ山を切り開く必要はなく、耕作放棄地など眠っている土地をよみがえらせるという、国土が狭い日本に適した取り組みだといいます。

さらに、ある時には住民への大きな救いにもなります。

2019年、千葉県に甚大な被害をもたらした台風15号。この周辺は、1週間ほど停電になりました。その時、住民を救ったのが、非常用電源設備でした。

椿さん:「テーブルを並べて、パソコンとかスマホを充電できる」

災害による停電時には、ソーラーで発電した電力を地域の住民が無料で利用できるようにしたそうです。さらに今、この地域に新たな変化がありました。

■家族で移住…音楽教室で“地域に貢献”

近藤さん一家は8年前、市川市から家族で移住してきました。きっかけは、東日本大震災だといいます。

近藤剛志さん(50):「3・11があった時、スーパーから物がなくなって。お金があっても家族を食べさせることができないことにすごく落ち込んで」

そんな時、匝瑳市のソーラーシェアリングに興味を持ち移住を決意。当時はパネルを設置する仕事をしていたといいます。

近藤さん:「パネルを取り付ける肉体労働。ポンコツだったので怒られながらやっていた。自然エネルギーや地方で雇用を生むっていうのが重要」

現在は、自分の畑を持って、米作りや野菜を育てながら、自給自足の生活を目指しています。

息子・大和君(12):「楽しいですね」

移住する前は音楽家として活躍していた剛志さん。「地域に貢献したい」と、自宅の2階にある音楽教室で地元の子どもたちに楽器の楽しさを伝えています。

■大学生 実家と古民家の“2拠点生活”

さらに、こんな移住者もいます。

ソーラーシェアリングにも興味を持ち“移住する若者”も増えているといいます。

女性:「(Q.何を焼いてるの?)焼き芋をしています」
男性:「(Q.芋はどうした?)お隣さんから『芋の苗あげるよ」って。仲良くしてたら頂いた」

空き家だった築140年の古民家に集まった20代前半の男女に目的を聞きました。

河野陸さん:「ソーラーシェアリングの町で、再エネのパイオニア。地域の人を知る、僕らのことを知ってもらう機会を作りたい」

地域再生にも関心を持ち、都会ではできない非日常の体験を求めて、週末はここで過ごすのだといいます。

大塚稜也さん(23):「例えば、近くの農家の人が『収穫の人手が足りない』と言っていて。都会から収穫体験をしたいという人を連れて行けば、知りたいことを知りながらお金ももらえるとか」

古民家の借り主でもある大塚さん、実は大学生。船橋市に実家があり、匝瑳市にある古民家との2拠点生活を送っています。

母・智美さん:「えっ!なんで匝瑳なの?移住?ってなって。家から出て自分のやりたいことをやるっていうのは『応援していくよ』って」

■にぎわい戻る“ソーラーシェアリングの郷”

ごみの不法投棄から再生した広場で開かれた収穫祭。若者たちは実行委員として参加しました。

音楽家の近藤さんは、子どもたちと一緒に楽器を演奏、会場を盛り上げていました。

ソーラーシェアリングの郷で生まれた新たな絆。過疎化に悩んでいた地域に、にぎわいが戻ってきています。

椿さん:「思いを持ってるだけでは進まない。具体的に進めるには財源が必要。それがソーラーシェアリングから出ていると思う」

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