95%が夫の名字に「当然なの?」 記者の“もやっと”への答えは…[2023/02/12 11:00]

 わたしがアラサーになって、ますます、“もやもや”するようになったこと。
男性がデート代を多く出すという風潮、ママばかりが育休をとっていること、夫が“主人”と表現される会話。少し前までは当たり前に受け入れていたのだけど、最近ちょっと「おや?」と思う機会が増えた。友達や同僚との気軽な世間話のなかにも、ネットでふと開いた著名人の結婚や出産を伝える記事のなかにも、その“もやっと”は潜んでいる。頻度としては、1日に、3“もや” くらいだろうか。

 日本では結婚するとき、夫側の名字を選ぶ夫婦が95%だという。そういえば、通話アプリの友達一覧を開いてみると、名前に(旧姓)がついているのは、ほとんど女性かも?
 法律的には半々でもいいくらいなのに、たった5%しか妻の名字を選ばないのはなぜなのか。取材から、社会に流れる「空気」が見えた気がした。
(テレビ朝日社会部 厚生労働省担当 藤原妃奈子)

▼妻の名字選択「諦めの気持ち」を感じて…

 まずは当事者の話を聞こう。最初に取材したのは2019年、結婚で妻の名字を選択した中井治郎さん(45)。中井さんは「日本のふしぎな夫婦同姓 社会学者、妻の姓を選ぶ」という本を出版していて、この話について聞くのには、うってつけだ。ちなみに、中井さんは妻の名字を選んだため、戸籍上の名字は、妻側の「高橋」なのだが、社会学者・「中井治郎」として、“旧姓”で仕事をされているため、記事では「中井さん」に統一したいと思う。
 
 きっかけは、妻の一言だった。
「私は三姉妹で最後の独身だから、私が結婚したら『高橋』という名字はなくなるんだよね」。
「妻は自分の名字を諦めているだけでなくて、『どうせ自分の名字は選ばれないだろう』と私に対しても、どうせこの人も変えてくれないだろうしという諦めの気持ちを感じました」。

 実は中井さん、結婚で自身の名字が変わる可能性について深く考えたことはなかった。妻の名字も選択可能と知っていたものの、制度を詳しく理解していたわけではなかったという。それなのに、妻の言葉にその場で「俺が変えてもいいんじゃない?」と応じていた。

 厚労省の調査によると、結婚した夫婦で妻の名字を選ぶ夫は5%(2021年)。中井さんはその「少数派」になった。
「5%」を選ぶのは、勇気がいることだったのではないか。だが、中井さんに聞くと「複雑でもなく深刻でもなく、条件が重なったということです」とさらりと答えた。

▼「婿に行くのは大変だね、苦労するね」と言われた

 重く考えずに決めた中井さんだったが、妻の名字を選んだ中井さんへの周囲の反応のほとんどは、「婿に行くのは大変だね、苦労するね」というものだった。ほとんどの人から「婿養子」と認識されたという。

 家族法に詳しい二宮周平名誉教授(立命館大学)によると、明治民法の「家制度」では、特別な場合を除いて、すべて婚姻すると女性は妻として夫の家に“入籍”し、夫の家の氏(うじ)を名乗っていたという。
 現在の法律では、「結婚」は家と家のものではなく、個人と個人のもの。女性が夫の名字になっても“夫の家の嫁”にはならないし、男性が妻の名字になっても“妻の家の婿”にはならない。

 だが、中井さんが結婚報告をすると、友人たちは一様に戸惑っていたという。「何か事情があるのかもしれないとか、妻の家からすごい頼み込まれたんじゃないかとか。大人たちが察して『どう触ればいいのこの話題』という顔をするんです」。

 70年以上も前に「制度」は変わったはずなのに……。二宮名誉教授は、「1947年の民法改正で『家制度』は廃止されたが、それまでずっと結婚すると夫の氏を名乗るのが当たり前とされていたので、民法が改正されて家制度がなくなっても、家の“主人”は夫である、男性であるという意識が続いています」と話す。

▼男性も半数近くが「不便」 起きない名字イノベーション

 二宮名誉教授によると、この「意識の名残」は日本特有のものだという。
「日本は少数者の選択に厳しいということですよね。長いものに巻かれろ。夫の氏を名乗るのが当然だという意識が、家制度と性別役割分業とで培われていくわけですから、それに抗して妻の名字を選ぶことは極めて難しい」

 ところで、名字をどちらか1つにしなければならないことをみな、不便には感じていないのだろうか。2021年度の世論調査によると、名字をかえることで不利益や不便があるかという質問に、男性の48.3%、女性の55.5%が「ある」と答えた。では何が不便なのかをきくと、「名義変更など日常生活の不便」が83.1%と断トツで、「仕事の実績が引き継がれないなど職業上の不便」が34.5%、「自己喪失感やプライバシーが公になること」が13.5%だった。
 現実には女性が名字を変えることが多いけれど、男性も同じくらい不便だと思っている。簡単に比較できることではないが、ビジネスの世界なら、半数くらいが不便だと思っていれば、その不便を解消するシステムが次々生まれそうなものだ。でも、名字にはそんなイノベーションがなかなか起きない。


▼どちらかが我慢する制度

 二宮名誉教授は「一方は自分の氏(うじ)を名乗り、他方は自分の氏を変えないといけない。そこで苦しい・しんどいと思う人がいる以上は、結局はどちらかが我慢をする、同じ夫婦の中で対等性が実現しないという構造的な問題を『夫婦同氏(同姓)制』は抱えている」と指摘する。

 ほとんどの女性が夫の名字にかえているし、男性が妻の名字を選ぶと、中井さんが経験したような特殊な反応をされることもある。そんな中で完全にフラットに、「どちらの名字にするか」と考えることは、簡単なこととは思えない。

 「これからも、我慢するのは女性なのかな」。また“もやもや”してしまう。名字の変更の問題は、“明確な女性差別”が問題視され、少しずつ変化が起こる中でも、女性が今もなんとなく息苦しい、肩身が狭いと思うような社会を露わにしている問題のように思えてきた。

 二宮名誉教授は、どちらも名字を我慢しなくていい方法の一つが「選択的夫婦別姓」だと話す。ただ、岸田総理は先ごろの国会で「制度を改正すると、家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」とこの案に消極的ともとれる発言をした。
 名字の問題は、根っこが深く、人の想いや歴史が複雑に絡み合っている。今後、制度を変えるべきなのか、変える必要がないのかは、多様な意見がある。これまでも幾多の議論がなされてきたが、なかなか出口が見えない状況が続いている。そんな中で、まず必要だと感じたのは、名字を選択する際に、パートナー同士が対等な立場での話し合いを重ねることだ。性別に関係なく、当事者意識を持つことが、名字の問題のスタートラインなのではないだろうか。

 私の“もやっと”への答え。「夫の名字になるのは“当然”じゃない」。取材を通じて、はっきり自覚できた。二宮名誉教授への取材で歴史を紐解くと、夫の名字を選ぶことがスタンダードかのような空気は、制度によるものではなく、人の意識の影響が大きいということがわかった。当事者の中井さんは「妻の名字を選ぶ際には、名字を変えることが(男女で)平等に起こりうるものとして設計されている制度に、背中を押された」と話している。

 “95対5の選択”が当然でないからこそ、互いの想いを言葉にして、すり合わせ、その結果として名字を決めることが、当たり前になってほしい。別々の名字で呼ばれて生きてきた、2人の個人による、ひとつの選択として。

 さて、私にとっては、その正体をクリアにしないといけない“もやもや”はまだまだいっぱいある。友達が、「職場で女性だけがお茶の準備をする『お茶くみ当番』がまだある」と嘆いていた。他にもあれもこれも……。
 この記事を読んだ皆さんの“もやっと”を、ぜひ聞かせてくれませんか。

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