校舎利用して新たな産業開発へ…福島・大熊町の震災12年 大越キャスター生中継[2023/03/10 23:30]

東日本大震災から11日で12年。原発事故が起きた福島第一原発のある福島県大熊町から大越キャスターが生中継です。

こちらは、福島県大熊町にある旧大野小学校の校舎。旧大野小学校と言わなければならないのは、原発事故によって廃校となったからです。熊町小学校と統合されました。廃校となったとはいえ、建物は頑丈です。ここに津波は到達せず、地震による被害もほとんどありませんでした。震災から11年以上、立ち入ることはできませんでしたが、実は、いま、新たな役割をもって生まれ変わっています。

学校の玄関、子どもたちの昇降口です。中に入ってみます。大野小学校の校歌が掲げられています。授業で使われたピアノも置いてあります。その奥は、開放的なオフィスになっています。その名も『大熊インキュベーションセンター』。『インキュベーション』とは、卵から孵化することを意味します。この町から新たな産業を生み出したいという願いが込められています。交流の場としてのフリースペースがあり、ガラス張りの向こうは共同のワーキングスペースです。IT関連など、64社がシェアオフィスとして利用しています。7割が県外の企業だということです。夕方、一度お邪魔した時には、ほぼ席は埋まっていました。

元学校でしたので、よく見ると学校のころの面影も残っています。この部屋はかつては図書室でした。床を見ると、白い四角い跡がいくつか見えます。実は、本棚に入れてあった本が、地震によって崩れ落ちて、散乱しました。それが、白い跡として残っています。11年余りの間、放置されていたことがわかります。

12年前、震度6強の地震が大熊町を襲ったとき、2階には当時、6年生の教室がありました。卒業式まで、あと7日を残すのみでした。この教室は、卒業生を送り出すことなく、時が止まりました。それが、今はきれいに片づけられ、『中会議室』として利用されています。ただ、机やイスは、学校当時のものがそのまま利用されています。棚や黒板もその当時のままです。まるで、今にも子どもたちの歓声が聞こえてきそうです。

では、教室から外に出てみましょう。まっすぐに廊下が伸びています。右手には、手洗いや水飲み場だったところがあります。左に曲がると、1階へと階段が続きます。階段の手すりの下側をよく見ると、子どもたちが残した傷跡でいっぱいです。ふざけあったり、ちょっぴりいたずらをして付けた傷もありそうですね。校舎が建設されて41年。この傷も多くの児童が通った学び舎としての証です。

1階の防音壁で仕切られた部屋に入ってみます。『WEB会議室』と書かれた部屋は、もともとは放送室です。先生も生徒も、ここで校内放送を行ったと思います。目に入ってくるのが、落書きです。『ありがとう。楽しかったよ6年間』。卒業の思い出に児童が記していったのでしょうか。そして、目立つのが“相合傘”。お年頃ということでしょうか。この施設では、こうした落書きはあえて消さずに残しておくそうです。廃校にはなったけれども頑丈な建物。原発事故さえなければ、学校は今も続いていたはずです。子どもたちの歓声がこだまし、可愛らしい落書きの歴史も続いていたに違いありません。

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