“11手詰め”逃して敗戦 それでも藤井五冠は強かった 先輩棋士が見た驚きの勝負術[2023/03/12 11:00]

勝負は大詰めを迎えていた。
集まったファンのための大盤解説会では、渡辺明棋王の玉に「詰み」が生じていることが説明される。
対局室近くの控室では、ABEMA中継の「SHOGI AI」が「藤井五冠勝利」と表示するのを棋士や記者たちが見つめている。

だが次の瞬間、まさかのことが起きた。
藤井聡太五冠が指したのは、渡辺玉がギリギリで逃げ切れてしまう一手。
「詰将棋の天才」と言われる藤井五冠が“詰み”を逃したのである――

3月5日、新潟市の新潟グランドホテルで行われた将棋の棋王戦五番勝負第3局。
激戦を制した渡辺棋王(38歳、名人との二冠)が、シリーズ対戦成績を1勝2敗とした。

届きかけた「六冠」を取り逃がした藤井五冠(20歳、竜王、王位、叡王、王将、棋聖)だが、大盤解説を務めた高見泰地七段(29)は、敗れてなお「藤井さんの強さ、すごさを感じた」と話す。

そして現地で戦いを見守ったABEMAのAI責任者・藤崎智氏も「これぞ人間の将棋。感動した」と興奮気味に語る。

誰もが驚き、心を揺さぶられた怒涛の終盤戦。
現地でこの名勝負を“体感した”2人に話を聞き、改めて藤井将棋の魅力と強さの秘密を探る。

■ リードする棋王を「藤井さんがヒタヒタと…」

藤井五冠が第1局、第2局と連勝し王手をかけて迎えた第3局。
そこまで先手番で28連勝を記録している藤井五冠が、この局も先手となることが決まっていた。
通算の対戦成績も15勝2敗と渡辺棋王を大きくリード。
対局前の予想では、藤井五冠有利との見方も多かった。

だが、互いに譲らない攻防が長く続いた中盤から、抜け出したのは渡辺棋王。
ABEMA中継の「SHOGI AI」でも渡辺棋王の勝率が80%を超え始める。

「このまま棋王が押し切るのではないかなという雰囲気でした」
「SHOGI AI」の開発責任者であるABEMAの藤崎氏は、ホテル内の控室で立会人の深浦康市九段らと中継画面を見つめていた。
「六冠達成は持ち越しか…」
控室に集まった記者の間にもそんなムードが広がっていた。

大盤解説会場の高見七段も、渡辺棋王が優勢だと見ていた。
「全体的には渡辺棋王がうまく指していたのかなと思います」

一方で藤井五冠の粘りにも感心しながら戦況を見つめている。
「いろんな手順を尽くした粘りがすばらしくて、(相手にとって)嫌味な手で迫っている。渡辺棋王もずっとリードを維持していたんですけど、それを拡大されないように後ろからヒタヒタ、藤井さんがずっとついて行っていましたね」

それでも…
藤井五冠が145手目を指したところで、ABEMAの「SHOGI AI」はついに渡辺棋王の勝率を99%、「後手(渡辺棋王)勝利」と表示した。

時刻は午後8時前。対局開始から11時間近くが経っている。
両者とも既に持ち時間を使い果たし、1分以内に指さねばならない「1分将棋」に突入していた。

そしてドラマは始まった。
渡辺棋王が藤井陣内に金を打ち込んだところで、突然、2人の勝率が逆転したのだ。

■ 「勝率99%」が二転三転 大盤解説場で悲鳴が

大盤解説中の高見七段はAIの評価値を見ることができない。
それでもこの局面で異変を感じたか、いったん解説するのをやめて、じっと盤面を見つめる。
やがて「ひええー」と声を上げた。
「“神の詰み”が見えました」

藤井五冠が香車で金を取り、渡辺棋王がその香車を桂馬で取る。
必然の2手だったが、その瞬間、藤井五冠の勝率が99%に跳ね上がり、「先手勝利」の表示が現れた。
渡辺棋王の玉に“詰み”が生じたのだ。

高見七段の言う“神の詰み”…確かに途中、いわゆる“詰将棋のような”手が現れるが、「詰将棋の天才」藤井五冠が逃すとも思えない。

記者が集まる控室が慌ただしくなった。
「六冠持ち越し」から「最年少の六冠誕生」へと記事を変更するのか?

「これは間違いないだろう、藤井五冠の逆転勝ちだな、という感じになりましたね。やっぱりすごいね、みたいな感じでした」 (ABEMA藤崎氏)

藤井五冠が渡辺棋王の銀を馬で取って王手、渡辺棋王がその馬を玉で取った。
次に藤井五冠が渡辺玉の頭に歩を打つのが詰み手順。それで11手後に渡辺玉は詰む。
つまり「11手詰め」だ。
「SHOGI AI」もその手を最善と示していた。

50秒、1,2,3,4… 記録係が秒を読む。
藤井五冠が選んだのは、飛車で桂馬を取って王手をかける手…
だが、これでは詰まない。

「え?」高見七段が驚きの声を上げる。
大盤解説場のあちこちで悲鳴が上がった。

そして控室でも…
「僕もうわっと声上げましたね。まわり中、みんな叫んでいて、主催者から『対局場に声が響くから静かにしてください』と言われたほどです。実際には、叫んでも届かない距離なんですけど、それくらい大きなどよめきでした」(ABEMA藤崎氏)

■ 「将棋ってこんなに面白いんだ」

「SHOGI AI」の表示では、渡辺棋王の勝率が再び99%に達している。
画面の中、藤井五冠が頭に手をやるなど忙しなく動いている。どうやら詰みを逃したことに気がついたようだ。

飛車の王手に対して渡辺棋王が合い駒に香車を打つ。
お茶を飲んだ藤井五冠がガクッと首を折る。はっきりと負けを認識した瞬間。

控室の関係者たちも、ただ画面を見守るだけだった。
「藤井五冠も、もうダメだ、みたいな感じで指し続けるんですよね。あまりにもショックで倒れていく姿、渡辺棋王も頭に手をやっているし… 藤井五冠が一体、どこで投了するのか。ただ黙って見ているだけでしたね」 (ABEMA藤崎氏)

何度もうなだれながら指し続ける藤井五冠。それを見つめる藤崎氏の胸にはこみ上げるものがあったという。
「ほんとに悔しくて、負けたくないんだなと。それで感動したんですよ。ひとつのドラマを見させてもらった、将棋ってこんなに面白いんだって。映画を見ているような気になりましたね」

174手目、渡辺棋王が藤井玉に王手をかけたところで、ついに藤井五冠が投了した。
終局直後のインタビューで藤井五冠は、
「最後一瞬チャンスが…『2六飛車』としたところで『2五歩』と打てばというところだったと思うので少し残念ではあるんですが、ただまあ全体的には負けの局面が続いていたので仕方ないのかなと思います」と語っている。

■ 渡辺玉を『詰む状態にした』ことが奇跡的

ABEMAの将棋中継にAIによる「勝率」表示を導入した開発責任者であり、藤井五冠の対局にはほぼすべて立ち会ってきたという藤崎氏だが、その藤井五冠が勝率99%から敗れる事態は「記憶にない」という。

一方、難解な中盤戦から二転三転の終盤戦をリアルタイムで解説した高見七段。
「本局では誤算というかエアポケットに入ったのか、詰みを逃してしまったんですけど…」と振り返りつつ、藤井五冠が「詰みを逃して負けた」という表現には引っ掛かりを覚えるという。

「むしろ相手玉を『詰む状態にした』というのが強いと思っていて… 普通に指していたら大差になってもおかしくない将棋で奇跡的に、後手玉(渡辺玉)に詰み筋が生じた瞬間がある、藤井五冠のそういう追い上げのすごさですね。渡辺棋王もほんとにうまく指していたんですけど、それでも(藤井五冠に)勝ち筋が芽生えるというすごさ…衝撃を受けましたね」

プロの棋士が見れば、渡辺棋王がそのまま勝ち切るだろうと判断する展開。
それを一時的にでも「逆転」したこと自体が奇跡的だというのだ。

その勝負術について、こう説明する。

「形勢が例えば(AIの勝率で)40%30%と(劣勢に)なったほうは、AIの“最善手”を常に指したとしても永遠に追いつけないわけですよ、相手が間違えなければ。マラソンで言うと、前にいるランナーをゴールまでに抜かさないといけないんですけど、AIの最善手だとただ後ろにぴったりつけているだけで、“相手が転ぶ”待ちなんですよ。でもトップクラスが相手だとそれではなかなか逆転できないですよね」

そこでAIの最善手ではないような手を、あえて試みる。
「評価値自体は下がったとしても、相手の正解手が1通りしかないような局面を作る。選択肢は3〜4通りあるけれど正解手は1通りしかない、そうなるような勝負手を指したほうが、(逆転できる)期待値としては高いんですね」

選択肢はいろいろあるが、正解がひとつしかない。つまり間違えやすい。
そういう局面に相手を引きずり込むのが藤井五冠の勝負術だという。

「形勢が悪いときには相手が読んでない手を指すのが逆転につながりやすいんですね。人間同士の勝負はAIとはまた違うんだなと感じています」

「SHOGI AI」の開発責任者・藤崎氏も、AIの評価値を超えた人間らしい戦いに心を動かされた。
「今回は本当に“人間の対局”、まさに“人間の勝負”でした。AIはあくまでもこう指すとこうなるよということだけを表示している。それを参考にしつつ我々は“人間の将棋”を見て、やっぱり将棋って面白いなと改めて感じている。AIに頼るなというわけではないですけど、その評価値とは違うところで人間らしさを感じる、まさに今回は『名局』だったと思います」

■ 過酷な日程 癒しは電車での移動?

敗れてなお強し、と感じさせた藤井五冠。
ただ、今年に入ってからは、羽生善治九段との王将戦七番勝負が現在、3勝2敗と互角の戦い、順位戦A級では永瀬拓矢王座に敗れ、優勝した朝日杯でも4局のうち3局が終盤での逆転勝利と、棋王戦の敗戦も含め、なかなか楽には勝たせてくれない状態が続いている。

懸念されるのが過密日程だ。
3月に入ってから、2日に順位戦A級最終局(静岡市)、5日に棋王戦第3局(新潟市)、8日が順位戦A級プレーオフ(東京)、そして11日12日で王将戦第6局(佐賀・上峰町)…と中2日で全国を転戦している。

高見七段が言う。
「ほかの棋士の中2日3日とは訳が違って、タイトル戦で移動が含まれると『中ゼロ日』なんですね。本当に間がないので大変だと思います」

一方で、移動が続くことは必ずしも藤井五冠にとって悪いことばかりでもないという。
「藤井さんは列車移動が好きということもあるので(笑)、それで何とか自分の状態を保てるといいなと思います」

ABEMAの藤崎氏は、棋王戦第3局の前日、新潟の会場に到着した藤井五冠とこんな会話を交わしている。
「『どうやって来たんですか?』と聞いたら、『特急です』と。『え?飛行機のほうが速く着きませんか?』と言ったら『飛行機は最速なんですけどね』と言うんです。詳しく話を聞いたら、名古屋から長野に行って、長野から上越妙高まで行って、しらゆき(特急)で来たと。飛行機や新幹線で来たほうが速いのに、電車でわざわざ来たっていうというのがすごいなと」

長時間の移動だったはずが、その時の藤井五冠はとても元気そうに見えた。
「やっぱり電車好きなんですよね。だから疲れを電車でリフレッシュして(対局に)挑んでいる。それが癒しになっていると思うんですね。僕も鉄ちゃんだからすごくわかるんです」

棋王戦第3局から中2日。
藤井五冠は広瀬章人八段との順位戦A級プレーオフに勝利し、渡辺明名人への挑戦権を獲得した。

衝撃的な敗戦から見事に立て直した形だが、これにより4月以降も名人戦、叡王戦などのタイトル戦を並行して戦う過酷な日程が続くことになる。

■ 藤井聡太も大谷翔平も「体感しないとわからない」

高見七段は2年前、早指し将棋(持ち時間が短い将棋)の団体戦、ABEMAトーナメント(ABEMAオリジナルの非公式戦)で藤井五冠と同じチームになった。

間近で見た藤井五冠の“才能”はやはり驚異的だった。
「考える回転数、頭の回転の速度、ぱっと見える『手』の質が本当に高い。同じチームでよかった、と(笑)」

藤井五冠をリーダーとするチームはABEMAトーナメントで優勝を果たす。
そして2022年、高見七段は公式戦で藤井五冠と二度、対戦相手として向き合うことになる。

「やっぱり対戦するとその恐ろしさというか、すさまじい強さで押され続けて負けてしまいました。ただ、直接本人のボールを体感できたという意味でも、いろんな経験ができたと思いますね。直接見ないと、『大谷翔平すごい』と言ってもやっぱりわからないじゃないですか。百聞は一見にしかずですね、ほんとに」

チームメイトとして、対戦相手として、そして解説者として。
9歳年下の天才棋士と、同じ時代に生きていることへの思いを率直に語ってくれた。

「自分は藤井さんの対局を解説させてもらうのがすごく好きで、どこまで藤井さんの指す手を当てられるかというところで自分の成長と照らし合わせたりしているんです。
藤井さんのすごさが実感できる棋士…棋士の中でもみんながみんなじゃないと思うんですね。自分は早めに気づいてよかったと思うし、まだまだもっと自分も頑張らなくてはと思わせてもらえる存在になっています」

テレビ朝日報道局 佐々木毅

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