風呂の水交換は月1回 「負の遺産」の清算も 南極観測隊のリアル[2023/03/31 14:00]

日本から約1万4000キロ離れた南極・昭和基地。
冬には平均気温−20度になるこの地で、1957年、日本の南極観測は第一歩を踏み出した。
1次隊は東オングル島の海岸に4棟の建物を建設。越冬隊11人は極寒の中、映画「南極物語」のモデルとなったタロ・ジロたち樺太犬が引くソリに乗り観測を行った。
今や基地は、64棟の建物と約50台の車両を抱える一大拠点となり、夏には100人を超す観測隊員らが暮らす。
今回、64次隊にテレビ朝日報道局の記者2人も同行。4カ月余りの密着取材で見えてきたものとは?
過酷な環境下で求められる“究極の節約生活”。そして、観測隊に重くのしかかる「負の遺産」の存在。その清算に向けた取り組みが始まった。

(テレビ朝日南極取材班 吉田遥 神山晃平)

■最優先は「基地の維持」プロフェッショナルが集う観測隊

4カ月余りに及ぶ旅の前、64次隊が初めて顔を合わせたのは、去年2月に行われた雪山での冬季訓練だった。

訓練には、医者や料理人、民間企業から派遣された車両、発電機、機械などの担当者...様々な分野のプロフェッショナルが集まっていた。こうした基地を維持するための設営隊員は、実に半数を占める。

まず配布された行動計画で目に付いたのは、「昭和基地での観測継続に必要な人員の交代と物資輸送が最優先」との文言。基地は毎年2月1日の越冬交代式で、前の隊から次の隊へと引き継がれていく。隊員のほかにも「同行者」という枠があり、私たち「報道」はこの枠に属している。
打ち合わせで示されたのは、1つのピラミッド図。課題の優先順位を表すものだった。「最優先は基地の維持、その次が基本観測の継続、その下に重点研究、同行者課題は...最下層!?」。

観測や取材よりも「基地の維持」が優先するという原則は、現地での生活で何度も経験することになる。

■いよいよ出発...「しらせ」に積み込まれたものとは

行きの砕氷艦「しらせ」には、約1120トンもの物資が積み込まれた。そのほとんどは1年間基地を維持するための燃料や食料だ。私たちも長い旅が不安で、缶詰やカップ麺などを沢山積み込んだ。しかし、「しらせ」の長い航海で、食事に困ることは一度もなかった。海上自衛隊が毎食美味しいご飯を作ってくれるため、東京にいた頃よりもはるかに健康的な食生活を送ることができたのは嬉しい誤算だった。

40日間以上の航海を終え、12月22日の朝、緊張感が漂うなか、「しらせ」に搭載されたヘリコプターの第1便が昭和基地に向けて離陸した。人生初のヘリ取材、高所恐怖症の私、乗る前から大量の汗をかいていたが...いざ乗ってみると、フライトは楽しく、窓から見える基地はカラフルな「小さな村」のようだった。

昭和基地を支える人員や物資は、ヘリによる航空輸送と雪上車による氷上輸送で運ばれ、燃料は、「しらせ」から繋いだパイプラインを利用する。基地の補給は、1年にこの1回のみ。
過去には氷の状態が悪くて「しらせ」が接岸できず、物資や燃料の補給がままならない年もあった。今年は観測隊員や自衛隊員総出で23日間、時に夜通し作業が行われ、越冬に必要な物資と燃料全てが無事に基地に運び込まれた。

■警報音で猛ダッシュ“究極の節電・節水生活”

沢山の物資を日本から持ち込むとはいえ、文明圏から隔絶された極寒の地では、徹底した節約生活が求められる。昭和基地では1日に約9トンの水を造ることが可能だが、洗濯は1日3人まで、それも時短モードに限られる。風呂の水の交換に至っては月に1回のみ。入浴そのものが制限された日もあった。その日は基地にいる人が多く、普段よりも水を使い過ぎてしまったとのことだった。

ある日、メインの建物、管理棟で取材をしていると、突然けたたましい警報音が鳴った。何が起きたのかわからず呆然と立ち尽くしていると、機械隊と呼ばれる隊員たちが、ディーゼル発電機のある発電棟まで猛ダッシュで通り過ぎていく。そのスピードの速いこと。機械隊は24時間いつ何が起きてもすぐ発電棟に駆け付けられるように、居住スペースの1階で寝泊まりをしている。というのも、停電するようなことがあれば、ライフラインを支える機器や観測機器が止まり、わずか4時間で基地が凍り付いてしまうからだ。

南極では、作れるものは自ら作り、かつ守っていかなければならない。限られた資源を「共有」することでしか、ここでの暮らしは維持できないのだ。

■過去から続く「負の遺産」膨大なゴミをどうする?

とある週末、ゴミ処理を担当している環境保全担当の隊員から集合がかかった。これから皆で“ゴミ拾い”に出かけるという。「南極でゴミ拾い...?」不思議に思いながら、ゴミ袋を受け取って基地から歩き始めた。

昭和基地のある海岸沿いは、夏の期間、氷が解けて土や岩が目立つため、まるで建設現場にいる感覚になる。その上を歩いていると、驚いたことに至るところにゴミが散乱していた。建築廃材、金属片、薬品とみられる瓶や、食べ物の缶などなど。これらは全てかつての隊員が残していったものだ。この日だけで、軽トラック数台分のゴミが集められた。

今でこそ基地で出るゴミは、約30種類にも分別されている。缶一つとっても、アルミ、スチール、一斗缶など別々に分けて処理される。出たゴミは、可燃物を燃やした灰も含め、全てドラム缶に入れ、日本に持ち帰っている。
しかし、1997年に「南極地域の環境の保護に関する法律」が制定される前までは、ゴミを野焼きにしたり、土にそのまま埋めたりしていた。

ある日、基地の海沿いのエリアに重機が入った。地中を掘ると、車両のタイヤや鉄骨などが次から次へと出てくる。そこは深さ約4メートル、体積にして約5496立方メートルにも及ぶ巨大な埋め立て地だった。

南極の環境を汚したままにしてはいけないと、今この膨大な埋め立てゴミも全て日本に持ち帰る計画が立てられている。今年度から、まず汚染物質の拡散を防ぐための作業が始まった。
しかし、全量撤去までには15年前後もかかる見通しとなっている。「負の遺産」を清算するためには、かくも気の遠くなるような時間と人手が必要なのだ。

ただ、土から現れるゴミを眺めながら、環境保全担当だけは笑みを浮かべてこうつぶやいた「宝の山ですね...」
資料のなかの存在だった昔の“掘り出し物“を目の当たりにし、嬉しかったようで…

■引き継がれるバトン“令和の昭和基地”へ

昭和基地で越冬隊員によって1年を通して行われているのが、気象観測やCO2濃度などをモニタリングする「基本観測」だ。過去には、気象庁の職員がオゾン量のモニタリングによって、オゾン層が極端に薄くなり、穴のように見える現象「オゾンホール」を世界で初めて発見した。こうした長期間の観測によるデータの蓄積が、気候変動の兆候をつかむことに繋がるという。ただ、その一方で、基地の維持には莫大なコストと人手がかかるのも事実だ。

「基地設営支援」の名のもと、自衛隊員も1日あたり平均15人が設営作業に駆り出される。当然、観測隊員たちも除雪や当直業務など日々多くの作業を求められる。特に夏期間しか観測ができない研究者の中には、取り組みたい課題と基地運営に必要な作業との狭間でジレンマを抱える人もいる。ある隊員からは、「これは“南極観測隊”ではない、もはや“昭和基地維持隊”だ」と隊の在り方自体を問う声も聞こえてきた。

そのバランスを、今後どのように取っていくのか。6年間の観測計画を定める「南極地域観測第X期6か年計画」では、「基本観測は、長期間安定的に実施することが前提であり、観測の自動化を含めた省力化を特に進めていく必要がある」と掲げた。短期間でより効率の良い観測を目指すため、来年以降「しらせ」の航路変更も検討されているという。

昭和基地の開設から65年。64次隊には、20〜30代の研究者や学生も多く参加していた。“持続可能”な南極観測のためにも、代々引き継がれてきたレガシーを守りつつ、令和の新しい発想ややり方を積極的に取り入れる時が来ているのかもしれない。

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