【独自】長井健司さん最後の映像ノーカット“5分4秒”から読み解く状況急転[2023/04/26 22:48]

2007年にミャンマーで民主化デモを取材中、国軍の兵士に銃撃されて亡くなったジャーナリストの長井健司さん。16年が経ち、長井さんが最後まで握りしめていたとされるカメラが26日、遺族に返されました。

ミャンマー・ヤンゴン、2007年9月27日。この日、人々は街に繰り出し、民主化を訴えていました。長井さんは、この場にいたジャーナリストの1人です。

銃で武装した国軍兵士が、トラックで集結し、デモ隊が方々に逃げ始めます。そして最初の銃声が鳴り、人が倒れます。それが長井さんでした。真後ろから至近距離で。倒れてもカメラを手放すことはありませんでした。その後、ビデオカメラは誰かに持ち去られ、ずっと行方不明でした。
町村信孝官房長官(当時):「ミャンマー側から日本側に遺留品が返還されましたが、ソニー製の小型ビデオはなかったということであります。(Q.返ってこなかった場合、非常に対応が不誠実だと思うんですが)返るように、いま求めているところであります」

あれから16年近くが経った26日、カメラが遺族のもとに戻ってきました。

テープの撮影データは、2007年9月27日午後1時48分03秒から始まりました。収められていた5分04秒の映像です。

最初に映し出されたのはバリケード、そして、治安部隊でした。その向かいには、座り込む僧侶たちとデモに参加している人々です。人々は、ミャンマーで使われる祈りの言葉を唱えています。その声は、徐々に大きくなっていくように聞こえます。

映像は「走るな、走るな」と叫ぶ声で終わります。データを見ると、午前1時56分42秒のことでした。

長井さんが撮影した映像からわかったことです。
最初に仏塔のスーレーパゴダが映っていることから、交差点で撮影を開始していました。赤い旗を撮影したときですが、このときの長井さんを別の海外メディアの映像で確認することができました。映り込む赤い旗の方向にカメラを向けると、長井さんが映っています。その後も交差点を中心とした映像が続くため、大きな移動はせずに、デモ隊の様子を撮影していたとみられます。

そして国軍が来たときのレポートです。
長井健司さん:「ただいま軍が到着しました。あそこにあるのが軍です。重装備した軍隊だと思います。お寺の前は、こうした市民で埋めつくされています。仏塔の前にはこうしてみなさん市民が集結しています。そうしたなか、重装備した軍隊のトラックが到着しました」

国軍が現場について、人々の動きが慌ただしくなったときの映像。子どもが歩道に駆け寄る姿をとらえていて、この様子は、別のカメラも収めていました。子どもが横断歩道を渡り始める瞬間から、長井さんのテープが終わるまでが7秒ありました。最後に撮影した場所から6秒後、距離にして10メートルほど移動したところで、男性が倒れます。ただ、その瞬間はテープに残されていませんでした。

長井健司さんの妹・小川典子さん:「撮影した直後に死を迎えるとは思っていなかったと思う。ミャンマーの人が兄のことを覚えていてくれて、言葉をかけてくれて、いまだに覚えてくれていることに非常に感謝している」

あの取材のとき、長井さんは「早く日本の国民にミャンマーの現状を知らせたい」と周囲に話していたそうです。

16年近くが経ちましたが、今も流れる血が止まることはありません。カメラを入手し、遺族に手渡したミャンマーのジャーナリストは、26日に行った会見でこのように話しました。
『ビルマ民主の声』エーチャンナイン編集長:「クーデター以降、4人の記者が殺害され、約50人が今も収監されている。軍事政権によるここまでの人権侵害を見たことがない。この国で起きていることに再び注目されることを期待している」

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