【関東大震災100年】9mの津波も犠牲者出さず 教訓の伝承「絶対逃げる」[2023/08/30 15:44]

 シリーズでお伝えしている「関東大震災100年の教訓」。30日のテーマは「津波」です。地震直後に9メートルの津波に襲われたものの、犠牲者を1人も出さなかった静岡県伊東市のある地区の取り組みを取材しました。

 今から100年前の1923年9月1日に起きた関東大震災。マグニチュード7.9の地震が発生しました。

 この地震で神奈川や千葉だけでなく伊豆半島東岸を津波が襲いました。早い所では地震発生からおよそ5分後には津波が到達しました。

 伊東市では最大9メートルの津波により、死者・行方不明者が116人に上りました。

 そのなかで当時の宇佐美地区(旧宇佐美村)も家屋が流されるなどの大きな被害を受けました。しかし、宇佐美では1人の犠牲者も出ませんでした。

 なぜ、そうしたことが可能だったのでしょうか。この地区の宇佐美小学校に残っている当時の子どもたちが書いた作文集にその答えがありました。

 作文集:「物すごいうなり声がしたので立ち上がっていると、夢にも知らぬ大地震であった。津波だ、津波だとさけぶので、ヤブから飛び出して阿原田の方へ逃げようとすると、お友達が来たので一緒になって逃げた」「つなみだ、つなみだとないてくるので、むちゅうで上の山ににげました。見ているとうちや舟をたくさんさらっていきます。私のうちはながされませんでした。私はうれしかった」

 地震発生直後、激しい揺れが襲い、多くの人が混乱するなか「津波だ」「逃げろ」と言いながら、高台へ逃げる様子がつづられています。

 宇佐美では、関東大震災から200年近い前の1703年に起きた元禄地震で多くの人が犠牲になりました。その後、宇佐美の人たちには津波の恐ろしさがしっかりと語り継がれていました。

 津波が起きたらすぐに逃げる。その伝承のおかげで関東大震災で津波が発生した直後の素早い避難の結果、犠牲者が1人も出なかったのです。

 その教訓は今も受け継がれています。こちらの教室では関東大震災で起きた津波について児童らに授業をしています。

 地域防災を研究する中田剛充さん:「なぜ阿原田へ逃げたのかも書いて下さい」

 生徒:「阿原田は高い所にあるし、海から一番遠い所にあるから」

 地域防災を研究する中田剛充さん:「皆、大正解!皆、自分の所から近くて高い所に逃げているんです。『それ津波だ』との声ですぐに逃げます。高い所に行ったんだけれど、そこでも安心できない。ここでは危ない、さらに高い所へ」「より高い所へより高い所へっていうのは作文集に示されている非常に貴重な教訓だと思います」

 相模トラフで地震が起きた場合、宇佐美では最大17メートルの津波がおよそ3分で到達すると想定されています。

 再び宇佐美を津波が襲うかもしれない、その時に100年前の教訓を生かし、命を守る行動につなげる。この授業を通して変化があったといいます。

 伊東市立宇佐美小学校 木村誠教頭:「年1回以上は津波から逃げる訓練を行っていまして、(授業後は)子どもたちが自分事として捉えるようになるので、避難訓練の計測タイムも大幅に縮まるということが実際に起きています」

 授業を受けた児童:「100年前の話とかとても勉強になって、これから南海トラフとか相模トラフとかそういうの(地震)もあると思うから、この話を生かしていきたいと思った」「絶対逃げなきゃいけないっていうことを(いつも)心の中にって言われて、自分のことも大切だけど、人のことも考えたいっていうのもあります」

 伊東市立宇佐美小学校 木村誠教頭:「お家に帰ってご家族と話をされたり、地域の方にも考えてもらうきっかけとなって地域全体への影響になる授業だと考えています」

こちらも読まれています