【報ステ】「第2波が大きかった」なぜ?“南部・東部”被害拡大…能登半島襲った津波[2024/02/01 23:30]

能登半島の先端、珠洲市では、津波による死者が少なくとも2人確認されています。能登半島地震で、津波がまず発生したのは、珠洲市の北側、外海側ですが、津波の被害が大きかったのは南側、内海を向いている方向でした。津波はどのようにして南側に到達したのか。そのメカニズムが分かってきました。

◆能登半島を襲った津波 その爪痕

珠洲市には、津波の爪痕が生々しく残っています。

小木逸平アナウンサー
「車が4台くらい、倒壊した家の屋根の上に折り重なっています。どう運ばれてきたんでしょうか。こっちも。10台くらいありますね。海の方から津波が直撃して、この家でぶつかって、止まったのでしょうか」

海岸近くの家では…。

小木逸平アナウンサー
「屋根に、海藻が引っかかっています。私が身長175センチなので、大体4メートル弱の津波が襲来していたことが分かります」

なかには、地震の揺れからわずか1分後に、津波がやってきた場所もあったと指摘されています。その被害にも差があり、東部や南部に集中しています。

珠洲市東部・三崎町に住む、出村正幸さん(47)。地震の後、自宅の2階に上り、海を見ると…。

出村正幸さん
「波があふれかかって、波返しを越えなかったけれど、あふれる直前みたいな波を見て」

出村さんが撮影した映像では、津波が押し寄せていますが、まだ家に迫るほどではありません。しかし、その後の津波で、車が流されました。

出村正幸さん
「(Q.後の波の方が大きかった?)大きかった。より大きな波になって」

第1波に比べ、第2波以降の方が大きかったという津波。

出村正幸さん
「1回目で越えなかったから大丈夫と安心せず、より大きいのが来るから、すぐに逃げないといけない」

湾の内側に面した宝立町にも、大きな爪痕が…。

小木逸平アナウンサー
「私の肩まで(津波の跡が)ありますね」

干場美智子さん(82)
「(Q.津波が運んできて、ここで止まっているんですか)隣の納屋とか隣の家とかが来たんでしょうかね」

干場美智子さん
「(Q.地震から1カ月だが)進まないですね。いつになったら少し…。今、洗濯もできないし、大変です」


◆なぜ?“南部・東部”で被害拡大

能登半島の北で発生したとみられる津波。なぜ、発生場所に近い珠洲市の北部ではなく、東部・南部で被害が拡大したのでしょうか。発災直後に現地調査を行った、東北大学・越村俊一教授は、能登半島の特殊な海底の地形が深く関わっていると分析します。

東北大学 災害科学国際研究所 越村俊一教授
「能登半島の北部の方は、非常に広い範囲で大陸棚=浅い海底が広がっている。津波は、水深が深ければ速く進むし、水深が浅いと伝わる速さは遅くなっていく」

浅い海底と深い海底が能登半島沖に広がっていることで、同じ津波でも進む速さに差が生じていたというのです。これによって起こるのが『屈折減少』です。

東北大学 災害科学国際研究所 越村俊一教授
「浅い方向にぐっと回り込むように曲がってくるのを屈折と言う」

地震発生から津波がどのように伝わったかを示す、シミュレーションを見てみると、海面の盛り上がりを表す濃い赤いラインが、大陸棚に沿って曲がり、能登半島を巻き込むように、珠洲市の東部・南部の海岸に到達しています。さらに…。

東北大学 災害科学国際研究所 越村俊一教授
「反射した波は通常、沖に向かうが、再び屈折して、陸の方に曲がって戻ってくる。何度も津波が押し寄せていく現象が起きた」

津波の動きを追ってみると、珠洲市東部を襲った第1波が、再び巻き込むように動き、陸地に戻ってきているのが分かります。複雑な地形が、第2波以降の不規則な動きを引き起こしていたのです。

東北大学 災害科学国際研究所 越村俊一教授
「珠洲市でも、第1波よりも第2波以降が高くなったのでは」

津波を左右した、特殊な地形。発生源に近い北部では、全く違う特徴がありました。

小木逸平アナウンサー
「ここは珠洲市の北側、川浦町です。震源からはかなり近い場所ですが、海岸線を見ると、ごつごつした岩のようなものが出ています。隆起しているんですね」

この周辺では、200メートル近く陸地が広がりました。その結果“自然の防波堤”となり、津波被害が防がれたと指摘されています。

篠岡裕さん(69)
「『これは津波来るな』と思っていたんだけれど、ずっと待っていても来んし。隆起しか考えられないと思っていたら、あとの報道で隆起だと聞いて、やっぱりと。(Q.自然の持つ力をどう思う)すごいと思う。この広い地面が、1回の揺れでこんなに持ち上がってすごい」

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