【311の現在】“物言わぬ語り部”後世に 民間遺構がつなぐ記憶[2024/03/05 14:21]

 シリーズで伝える「311の現在」。個人が自己負担で被災した建物などを残している民間の震災遺構。町で復興が進んでも、静かに過去の記憶をつないでいます。

 岩手県陸前高田市。かつての中心市街地にぽつんと立つのは「米沢商会ビル」です。近くには震災後にかさ上げされた新しい市街地が広がっています。

米沢商会代表 米沢祐一さん
「自分はこの建物で助けられたわけですよ。あの煙突がなかったら自分は死んでいたし」

 ビルを管理する米沢祐一さんは東日本大震災発生時、3階建てのビルの窓から津波を目にし屋上へと逃げました。

米沢商会代表 米沢祐一さん
「ちょうどここまで登った時に海を見たんです。そしたら、後ろの手すりを津波がブワーッと越えてきた」

 米沢さんは、さらに上の煙突へと登りました。

米沢商会代表 米沢祐一さん
「こういう感じで水位が上がるのを見ながら耐えようとしていました。来る来る来る!と」

 押し寄せた津波の高さはおよそ15メートル。足元わずか20センチまで迫りました。

 近くの市民会館に避難した両親と弟は津波にのまれ亡くなりました。

 震災後、米沢さんは仕事の合間を縫って津波の経験を伝える語り部をしています。

 陸前高田市には、奇跡の一本松をはじめ市が管理する震災遺構が5つありますが、米沢商会のビルは個人で管理するいわゆる「民間遺構」です。維持管理や将来解体する費用は自己負担となります。

米沢商会代表 米沢祐一さん
「市の震災遺構は海のすぐ近くのものばかりなんですよね。海からこんなに離れているのにここまで来たというのが分かるのは、(訪れた人は)すごく勉強になると言ってくれます」

 米沢さんは、能登半島地震の被害を目にし、改めて震災遺構を残す意味について考えています。

米沢商会代表 米沢祐一さん
「自分が生きているうちは残します。もう(地震が)来ないわけじゃないし、また、もしかしたら来るかもしれない。『物言わぬ語り部』じゃないですけど、そういう感じのものなんじゃないかなと」

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