「奇跡の棺」内部は…卑弥呼が授かった?鏡の可能性“空白の4世紀”解明なるか[2024/03/13 23:30]

国宝級の発見が相次ぐ『富雄丸山古墳』。全長、2メートル37センチを誇る蛇行剣や、精細な模様をくっきり残した盾形銅鏡。過去に例を見ない数々の発掘に続き、新たに出土した品々が明らかにされました。

奈良市埋蔵文化財調査センター・鐘方正樹所長:「残りのいい鏡が複数見つかったのは驚きです」

見つかった3枚の青銅鏡は、直径20センチほど。1枚は、卑弥呼が中国から授かったという説がある『三角縁神獣鏡』の可能性があるそうです。黒みがかった竪櫛。髪飾りですが、死者を葬る儀礼にも使われたと考えられています。

これらが見つかったのは、木製の棺、木棺の中でした。粘土層に覆われていたためか、1600年以上、良好な状態で残っていた木棺。内部が赤く染まっているのは、水銀朱という物質がまかれた跡とみられます。

奈良大学・豊島直博教授:「水銀朱は、古代の中国では、不老不死の薬といわれている。遺骸を守ったりとか、永遠の命を授ける。そういうもののために、墓の中にまかれることがある」

ここには、どんな人物が、眠っていたのでしょうか。
奈良市埋蔵文化財調査センター・鐘方正樹所長:「(被葬者は)副葬品の内容から、女性的な感じがする。どちらかというと呪術的な、そういう要素があるのかなと」

推測されるのは、祭祀に携わる女性が埋葬されていた可能性。さらに。
奈良市埋蔵文化財調査センター・鐘方正樹所長:「この古墳の墳頂部の(別の)埋葬施設からは、武器・武具、あるいは、多量の石製品などを出土している。墳頂部の被葬者は、政治的・軍事的な役割を担っていたのではないか。2人で役割分担しながら、当時の政治を行っていたんじゃないか」

富雄丸山古墳の発掘調査は、その結果次第で「教科書が書き換えられるかもしれない」とも目されています。そう言われる理由は、この古墳の成り立ちにあります。

3世紀の日本について書かれたのが、中国の『魏志倭人伝』です。そして、時が過ぎ、次に詳しく記されたのが『倭の五王』の記述がある『宋書』。乱立した小国が争う時代から、王権がほぼ確立するまでの“4世紀”については、詳しくわかっていません。しかし、富雄丸山古墳は、この空白の時代にできたとみられています。

奈良大学・豊島直博教授:「ものすごく大きい墓を作る王がいて、それをサポートする立場の人が、ほかの古墳で見つかっていないようなアイテムを持っていた。そういう体制が、すでに4世紀の終わりぐらいに、日本の中にできあがりつつあったということを示していると思う。これと似たまだ発掘されていない古墳がたくさんあるので、今後、そういう古墳が掘られていけば、空白が徐々に埋められていくと思う」

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