「珠洲のために」まち再生へ…芸術祭でつながった移住者の思い 能登地震5カ月[2024/05/31 23:30]

能登半島地震から6月1日で5カ月になります。被災地の人口流出が進む一方で、ある取り組みをきっかけにこの地を選んだ若者たちがいました。

崩れた家は残ったまま。見通しのつかない水道の完全復旧。それでも季節は変わっていきます。仮設住宅の集会所で開かれたイベント『心の復興マルシェAkaAka』。地元出身の主催者をサポートするのは、県外からの移住者です。

北海道出身の西海一紗さん(28)。移住から2年、すっかり珠洲のまちに溶け込んでいます。

イベントの参加者(90)
「能登は知らんとこなんやろ?誰か親戚の人おる?」
西海一紗さん
「いない」
イベントの参加者(90)
「いないがね。あんた能登に染みこんださかい、私の言葉分かるやろ」
西海一紗さん
「わかるわかる」

東京で映像関連の仕事をしていましたが、2年前に縁もゆかりもないこの地へ。きっかけは珠洲で開かれる芸術祭でした。

西海一紗さん
「自然もありますし、すごくおもしろそうな土地だなと思っていたタイミングで、ちょうど芸術祭のお仕事の求人があったので」

まち全体を会場にした『奥能登国際芸術祭』。民家の座敷の真ん中には巨大なタコ。無数の赤い糸を天にのばした小さな舟。ここはもともと保育所でした。ふだんは不便な“さいはて”も、視点を変えれば未来を切り開く“先端”に。アートの力で地域を盛り上げようと2017年に始まり、去年は5万人を超える人が訪れました。

西海一紗さん
「芸術祭の活動を通して、地域の人たちとも関わる機会がすごくたくさんあったんですけど。顔見知りの方がすごくたくさんできていくなかで『自分がここにいていいんだな』と」

しかし、崩れた作品、イベント会場としてにぎわった場所も無残な姿に。カラフルな衣装がつるされたステージには被災者が寝泊まりしました。西海さんの家も…。

西海一紗さん
「地震が起きた時は友達のおうちにいたので、つぶされなくて済んだ」

いったんは北海道の実家に避難。しかし先月、再び珠洲に戻ってきました。

西海一紗さん
「自分の心を珠洲に置いたまま、体だけ北海道に行って。どこか落ち着かない気持ちが続いていて。自分にできることがないか探して、珠洲のためになることをできたらいいなって」

芸術祭が今後も続けられるかどうかは分かりません。それでも地域のためにできる何かを模索しています。

西海一紗さん
「今の段階でアートでどうこうしようという気持ちは正直なくて。時がきた時に、例えば珠洲にまた人が戻ってきてほしいとか。そういった時にきっとアートは大きな力を持つと思うので、その時までに力をためておきたい」

芸術祭をきっかけに移住してきた若者たちは今、珠洲の復旧・復興には欠かせない存在です。被害の大きかった大谷地区で地区会長を務める丸山さんもこう話します。

大谷地区地区会長 丸山忠次さん(69)
「(Q.復興にとって若い人の存在は)ものすごい大事ですよ。そのまま放っておいたら、どんどん人口減のスピードが増すだけだと思うんですよ。魅力ある故郷をつくって、移住される方に来てもらえればという願いはあると思うんです、どこでも」

地区の避難所でも、芸術祭に関わった若い移住者が大きな役割を果たしています。

名古屋から移住 加藤元基さん(33)
「名古屋に戻るつもりも特にないので。今居て何かできるフットワークが軽いのは移住者なのかなと」

もともと少子高齢化が進んでいた珠洲市。1月の地震でいっそう加速する恐れがあります。

大谷地区地区会長 丸山忠次さん
「芸術祭そのものに反対する方も少なからずいます。そんな金あったら福祉的に回して、という方も中にはおって。だけども、それだけで地域が成り立つかと言えば、そうじゃないと思うんですよね」

だからこそ、地域を動かすために重要なのが新たな担い手です。

男性
「ありがたいですね。知らない人が手伝いに来てくれて感謝の気持ち。うれしいですね」

古くから伝わるこんな言葉があります。

「能登はやさしや土までも」

人の心の豊かさが若者とこの地をつなぎ、未来の力になるかもしれません。

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