社会

サタデーステーション

2025年1月12日 16:00

【独自検証】阪神・淡路大震災30年 「同時多発火災」なぜ拡大?映像が語る教訓

2025年1月12日 16:00

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6千人以上の命を奪った阪神・淡路大震災から30年。その特徴の1つが「同時多発火災」です。なぜ、どのように、火災の規模が広がったのか、カメラが捉えた一部始終から、みえてきた教訓とは?(1月11日OA「サタデーステーション」)

■阪神・淡路大震災の特徴「同時多発火災」

1995年1月17日撮影 松崎太亮さん(当時35歳)
「須磨が長田がめちゃくちゃなっとる。なんちゅうことや、ほんま」
「災害は突然やってきました。やってきて神戸を空襲の後みたいにしてしまいました」

元神戸市広報課職員 松崎太亮さん
「もう信じられないのがまず第一です。もう本当、30年経つと震災の爪痕にはわからないとは思うんですけども、私の頭の中では未だに当日のメモリーの方が大きいですね」

1995年1月17日を撮影し続けた元神戸市広報課職員の松崎太亮さん。

倒壊した高速道路

観測史上初めて記録した最大震度7の「阪神・淡路大震災」。高速道路の倒壊や崩れかけたビル、大地震が短い時間で近代都市を破壊しました。

その特徴のひとつが「同時多発火災」です。

地震発生後、複数の箇所から黒煙があがる神戸市

私たちは、当時の膨大な映像をもとに改めて火災を検証、見えてきたことがあります。

火災の被害が最も大きかった神戸市長田区では、発生後すぐ12カ所同時に火の手が上がったとみられています。

松崎さんが長田区で最初に火災を撮影したのは、地震からおよそ4時間後。

元神戸市広報課職員 松崎太亮さん
「煙が点々とあって広域なんですけども、まだまだ点の火災なのかなと」

震災直後の様子を撮影する松崎さん

この映像を撮影したとき、南の方向にカメラを向けていました。その周辺では、午前9時ごろ火災が発生。この時は、風がそこまで強く吹いておらず火は大きく広がっていませんでした。

火の範囲は、時間の経過とともにじわじわと広がっていったとみられています。

地震発生から16時間後の午後10時、松崎さんが現場に戻ると、一帯が火の海になっていました。

元神戸市広報課職員 松崎太亮さん
「煙と炎とすごい匂いと…。面もさらに大きくなってきている火災になってた」

当時の状況について語る松崎さん

そのエリアの広さは、上空からもわかります。

神戸市全体では、175件もの火災が起きていました。「首都直下地震」では、死者の7割にあたる1万6000人が火災によると想定されています。

■なぜ規模拡大?当時の映像から考える教訓

1995年1月17日撮影 松崎太亮さん(当時35歳)
「住宅、密集しているところの住宅は、かなり火の手が大きいです」

長田区は、木造の建物が密集していました。

1995年1月17日撮影 松崎太亮さん(当時35歳)
「道にも火の手が上がっています。恐らくビルが崩壊して道のほうに落ちたのではありましょうか」

地震により道路側に倒壊している建物が多く、それが橋渡しになり、広い範囲に火が燃えうつっていったとみられています。

想定外の事態に嘆く消防士
1995年1月17日撮影 消防隊員
「水がない、水がない、貯水槽に水がないねん」

地震によって水道管が破裂、断水で消火栓が使用できなくなるなど「水不足」が発生。延焼する一因となりました。

想定外の事態に直面しながらも必死に消火活動にあたった元神戸市消防局・消防職員の辻正さん。

元神戸市消防局・消防職員 辻正さん
「全然消えなかった。面が大きくてホースを振っても効果なかった」

震災当日に消火活動を行う辻さん

海にも面している長田区。防火水槽のほか、川や海水を利用した消火活動も行われましたが、思わぬ事態も起きました。

元神戸市消防局・消防職員 辻正さん
「延ばしたホースの上を車が通過することに、なかなか思うようにホース延長ができなかった」

海から延ばしたホースが避難する通過車両などに踏まれ、破裂。消火活動に影響がでました。

こうした中、行われたのが住民によるバケツリレー。

住民たちによる消火のためのバケツリレー

当時バケツリレーを経験 飯田博英さん
「繰り返しやった感じですね。バケツリレーが自然発生的に始まった」

地域住民100人ほどで消火にあたりましたが、防火水槽の水がなくなり断念。

当時バケツリレーを経験 飯田博英さん
「自然の猛威を思い知らされたというか、人間の力というのは非常に限られたものがあるんだと思った」

当時の状況を語る飯田さん

出火原因が確認されたもののうち、およそ6割が電気に起因する火災と言われています。阪神・淡路大震災をきっかけに、大きな揺れを感知して電気を止める感震ブレーカーの普及が促進するなど、見直された地震への備え。

元神戸市消防局・消防職員 辻正さん
「住民の地域防災、普段から(防災訓練などの参加を)やっておく必要があります」

そして何よりも大切なのは、震災の記憶を語り継ぐことだといいます。

松崎さん(右)は伝承が大切だと語る

元神戸市広報課職員 松崎太亮さん
「過去の記録というのは地域の人が特にですね、学んでいく、伝えていく必要があるんじゃないかなと映像とか素材をみることによって、 自分ごとにしなければ、やはり備える気持ちとかモチベーションが上がらないのではないかなと思います」

【取材後記】
1995年1月17日、私がいたのはお腹の中。あの日、あんなにも悲惨なことが次々に起きていたことを考えるととても恐ろしいです。私の家ではタンスが倒れたり、母親がケガをしたり大きな被害はなかったものの、その後の避難生活の苦労など30年経って改めて当時の状況を聞き直し、今までと「阪神・淡路大震災」の見え方が大きく変わりました。だからこそ今回取材しようと決心できました。取材して、震災を知らない世代に伝える大切さを強く感じました。取材した方が地域でその当時の経験を活かして今活動している話を聞いて心が動かせされたと同時に、やはり震災を知らない世代の私たちが学び、次の世代に伝えていくことがとても大切だと強く感じます。今の世の中、どこで大災害が起きるかわからない中、まずは何があったか当時の映像をみて情報を調べ、自分ごとのように感じることからはじめるのが大切だと思います。(サタデーステーション庄賀由花)

  • 松崎さんが撮影した当時の神戸市長田区
  • 倒壊した高速道路
  • 地震発生後、複数の箇所から黒煙があがる神戸市
  • 震災直後の様子を撮影する松崎さん
  • 当時の状況について語る松崎さん
  • 想定外の事態に嘆く消防士
  • 震災当日に消火活動を行う辻さん
  • 住民たちによる消火のためのバケツリレー
  • 当時の状況を語る飯田さん
  • 松崎さん(右)は伝承が大切だと語る