社会

2025年2月15日 21:00

【池上解説】平均寿命が40歳代!? 昭和100年…昔と今で日本はどう変わった!?

2025年2月15日 21:00

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今年は昭和100年です。1926年の昭和元年と2025年とでは日本はどう変わってきたのでしょうか。100年前というと大昔な気もしますが、昭和と聞くと身近な感じもします。昔がわかると今の日本も見えてきます。詳しく解説してまいりましょう。

【100年前は何があった?】

今から100年前、昭和元年の前後は関東大震災や世界恐慌、満州事変など大きな事件がたくさんありました。失業者も多く、まさに困難を抱えた時代でした。

昭和になったのは1926年12月25日。実はこの時「世紀の大誤報」と言われる出来事がありました。東京日日新聞(今の毎日新聞)が元号は「光文」だ、という号外をだしたんです。のちに毎日新聞は「この時特ダネの号外を出したから政府はあわてて昭和に変更しただけで、本当は光文だった」と説明しています。あくまでもそういう説がある、というだけで一般的には大誤報、とされていますね。

【100年前の日本はどんな国?】

100年前の日本、人口はどれくらいだったか想像はつきますか?ちなみに現在の日本の人口は今年1月1日時点で1億2359万人(概算値)です。

100年前の日本の人口

100年前の日本の人口…正解は5973万6822人です。現在のおよそ半分ということになりますね。この後、戦争など例外を除くと日本の人口はずっと増え続けていて、初めて1億人を超えたのは昭和42年。そして平成20年(2008年)をピークにその後は減少を続けています。今は少子化が大問題となってしまいましたね。
でもここで不思議なことがありませんか?なぜ100年も前なのに…22人、と下1ケタまで人口がわかっているのでしょうか?実はこの頃もう、国勢調査が始まっていたんです。1920年、大正時代から5年に1回の調査が行われていました。そのためここまで正確な数字がわかっていたということですね。

では100年前、一番人口が多かった都市はどこかわかりますか?
東京、と思った方、多いのではないでしょうか。違うんですね。答えは大阪です。
100年前、大阪市の人口は約211万人、東京市は約200万人でした。
関東大震災で多くの人が亡くなった、もしくは他の場所へ避難、移住した、という人が多かったのも一つの要因ですが、もう一つ、大きな理由があります。東京、というと23区のイメージがありますよね。でもこの頃はまだ15区だったんです。

東京市15区

渋谷駅も新宿駅も、池袋も15区の外でした。これだけ小さなサイズでしたから、大阪市より東京市の人口の方が少ない、ということになったんですね。ちなみに今の23区になったのは戦後、1947年のことでした。
さらにそもそも東京都はまだ東京府でした。東京都になったのは昭和18年、1943年です。東京府と東京市の二重行政、つまりお役所のムダを解消するために、東京都は誕生したわけです。

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【100年前の生活は?】

【100年前の生活は?】

100年前の日本、平均寿命はどのくらいだったと思いますか?まず今を見てみましょう。2023年で、男性は81.09歳、女性は87.14歳です。では100年前は…?
なんと男性44.82歳、女性は46.54歳でした。思ったより短い、そう思いませんか?

平均寿命今と昔(乳児死亡率入り)

なぜこれだけ短いのか。それはこの数字は生きている人の平均年齢ではなく、今生まれた赤ちゃんが何歳まで生きるのか、平均余命だからです。
今でこそ乳児死亡率1000人あたり1.8人と低くなっていますが100年前はなんと1000人あたり141.7人です。当時は衛生環境も悪く、出産時に亡くなったり、ちょっとした下痢でなくなる赤ちゃんがたくさんいたんです。だから平均寿命も短くなってしまうわけですね。

そして100年前の人気の名前も意外なものでした。皆さんは想像がつきますか?太郎や一郎、花子なんて思ってませんか?昭和2年の人気の名前を見てみましょう。

昭和2年 子供の名前ランキング
最新の子供の名前ランキングも

男の子は昭二、昭、和夫、女の子は和子、昭子、久子…と昭和人気が伺えます。ちょっと驚きですよね。なぜこんなに「昭和」が人気だったのか、もちろん新しい時代の名前で縁起がいい、というのはありましたが、もう一つ大きな理由が、多くの人が「昭」の字を知らなかった、というのがあるんです。照明の「照」の字は知られていましたが、中国の古典から引用された「昭」という字、この時に初めて見た、という人がほとんどだったんです。そして名前と言えばもう一つ、この当時女性の名前の定番は、〇〇子、でした。最近はあまり聞かなくなりましたね。いつ頃までトップ10に〇〇子が入っていたと思いますか?実は〇〇子、がランキングに入っていたのはもう40年も前の昭和60年まで。61年からはトップ10に入ってきていないんです。

年別女子の名前トップ10

昭和40年頃から徐々に「子」離れが進んできました。テレビなどで「子」がつかない芸名の女優さんやタレントさんが多く出てきたためでは、と言われています。

では100年前の服装はどうだったでしょうか。1925年に銀座通りを歩く女性と男性の洋装率を調べた調査があります。この時男性の洋装率は67%でした。では女性はどのくらいだったでしょうか。なんと女性の洋装率はまだわずか1%。99%もの女性がまだ着物を着ていたんですね。男性がこれだけ洋装率が高いのは訳があります。それは軍服です。当時も軍人さんは洋装です。この頃男性の職業1番人気は軍人でした。そういった影響もあり、男性は洋装率が高かったんですね。ちなみにわずか1%でしたが洋装の女性はよく「モガ」なんて呼ばれていました。モダンガールの略です。こういった洋装の女性たちはイケてる、と思われていたりもしましたが、保守派の人たちは眉をひそめてみている、なんてこともあったようです。

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【100年前の経済は?】

【100年前の経済は?】

100年前、日本が一番多く輸入していたのは綿実、そして一番多く輸出していたのは生糸でした。繊維産業がとても盛んだったんですね。富岡製糸場がフル回転していた頃です。

では100年前の日本、貿易相手国はどこが多かったかわかりますか?
正解は輸出も輸入も1位はアメリカです。2位と3位は中国とイギリス領インドです。当時はまだインドはイギリスの植民地だったんですね。そして中国と言っても今の人民共和国ではありません。

100年前の貿易相手国

こうしてみると昔も今と変わらずアメリカと中国が大事な貿易相手国、というわけですね。いかに日本にとって存在感のある国か、ということがよくわかります。

池上彰さん

100年前と今を比べていくと、大きく変わっていることもありますが、実はあまり変わっていないこともたくさんあります。過去を知ることで未来も見えてきます。
これからも番組では昭和100年を振り返っていきたいと思っています。是非そんな目線でご覧いただければと思います。

(池上彰のニュースそうだったのか!! 2月15日OAより)