元プロ野球選手で「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた読売巨人軍の終身名誉監督・長嶋茂雄さんが亡くなったことが分かりました。89歳でした。
読売新聞グループ本社によりますと、長嶋さんは3日午前6時39分、都内の病院で亡くなりました。肺炎でした。
「ミスター」の愛称で広く国民に親しまれた、これまでの経歴を振り返ります。
立教大学野球部 東京六大学野球のスターに
1936年2月20日
千葉県臼井町(現在の佐倉市)生まれ
1954年4月
立教大学に入学
1957年11月
東京六大学野球で新記録の8号本塁打
1957年12月
巨人軍と契約 背番号「3」に
巨人軍の背番号「3」 「ミスタープロ野球」
長嶋さんは巨人軍に入団後、勝負強い打撃を武器に王貞治さんらとともに主力選手として巨人の「V9」に貢献しました。5回のMVP獲得やプロ通算444本のホームランを記録するなど、昭和のプロ野球を席巻しました。
1958年4月
シーズン開幕戦で国鉄の金田正一投手に4打席連続三振
1958年10月
29本塁打 92打点の2冠で新人王
1959年6月
天覧試合の阪神戦でサヨナラ本塁打
1959年10月
初の首位打者
1961年10月
初のリーグMVP
1971年5月
通算2000安打
1973年11月
巨人軍が日本シリーズ9連覇
1974年10月
現役引退
後楽園球場での引退セレモニーで「我が巨人軍は永久に不滅です」とあいさつ
巨人軍監督 逆転優勝で「メークドラマ」
1974年に現役引退後は巨人軍の監督に就任してリーグ優勝を5回、日本一を2回達成しました。
1974年11月
巨人軍監督に就任
1975年10月
巨人軍が球団史上初の最下位
1976年10月
リーグ優勝
1977年9月
リーグ2連覇
1980年10月
成績不振を理由に監督を辞任
1992年10月
巨人軍監督に復帰
1994年10月
シーズン最終戦で同率首位の中日に勝ちリーグ優勝
1994年10月
日本シリーズで西武を倒し、初の監督日本一
1996年10月
首位広島との最大11・5ゲーム差を覆し、リーグ優勝
「メークドラマ」完成
2000年9月
リーグ優勝
2000年10月
日本シリーズでダイエーの王貞治監督とのON対決を制す 2度目の日本一
2001年6月
監督通算1000勝
2001年9月
監督退任を発表
2001年10月
終身名誉監督に就任
アテネ五輪の代表監督 日本野球界に貢献
監督を退いた後も終身名誉監督として生涯、日本野球界に貢献。2004年に68歳で脳梗塞(こうそく)を発症しますが、リハビリを重ね、日本野球界の発展に尽力してきました。
2002年12月
アテネ五輪の野球日本代表監督に就任
2004年3月
脳梗塞で入院
2004年8月
アテネ五輪での指揮を断念
「ミスター」の愛称で広く国民に親しまれ、2013年には「国民的スターとして国民に深い感動と社会に明るい夢と希望を与えた」として愛弟子の松井秀喜さんとともに国民栄誉賞も受賞しました。
2013年5月
松井秀喜氏とともに国民栄誉賞を受賞
2021年7月
東京五輪の開会式で王貞治氏、松井秀喜氏とともに聖火ランナーを務める
2021年11月
文化勲章を受章 野球界からは初めて