沖縄を訪問中の愛子さまが思わずつぶやかれた「壮絶」との言葉。何をご覧になったのでしょうか。
■沖縄戦の記憶 どう継承?
先に車から降られた愛子さま。髪はポニーテール、そしてなかなか見ることがない、かりゆしのワンピース姿です。
そしてもちろん、両陛下もかりゆしでした。両陛下は藍色、愛子さまは黒いに近いお色味です。
海洋博覧会の展示では、時おり腰をかがめながら、模型をじっくりご覧になります。
「当時としては最新の技術?」
5日午後3時半すぎから、首里城の修復作業を視察されました。2日間の沖縄ご訪問。4日だけで、およそ1万2000人が出迎えました。
最初の訪問は、那覇市内の小桜の塔。ご一家を一目見ようと、隣接する波上宮の鳥居に人々が集まっていました。
ご一家は、撃沈された対馬丸で犠牲となった、子どもたちを弔うために建立された小桜の塔に供花されました。
続いて対馬丸記念館へ。出迎えた男性に、陛下は意外な言葉をかけられます。
3年前の訪問でも会っている、対馬丸の生存者・代表理事の高良政勝さんのことを陛下は覚えていらっしゃったようです。
疎開する学童をのせたまま、撃沈された対馬丸。当時4歳だった高良さんは救助されましたが、一緒に乗っていた両親と兄弟7人をなくしました。
対馬丸の撃沈については、箝口(かんこう)令が敷かれるなか、高良さんの兄の手紙は、奇跡的に祖父母に届いたといいます。
「お兄様のお手紙で、お知りになったわけ…」
「厳しい統制がなされて、お手紙も…」
愛子さまも、心を寄せられました。
「2代の皇族がおいでくださったなと。そしてまた、3代目も、ご一緒された。愛子さまがおいでになられたのは、非常に大きなことだと思います」
展示室ではふと、愛子さまが身を乗り出されます。ご覧になっていたのは、犠牲者の遺影です。
「遺影は亡くなった人の4分の1しかないとお話をしましたら、愛子さまが『写真だけですか』とおっしゃった」
「どういうことだと思ったら、『肖像画を集めたらどうでしょう』と。びっくりした。そういうアイディアはなかった。新しい世代で、いろんなことをきたんなく相談しながら、考える世代に一緒になっていきたいという気持ちはありました」
そして、最後には…。
「きょうは、すごく暑い、お暑いぐらいね」
「どうぞお体を大切に」
「お大事にお過ごしください」
「お体を大切に」
相手を気遣う声が聞こえてきます。
■愛子さまのつぶやき “壮絶な…”
たまたまカメラが拾っていた、愛子さまの肉声。4日訪問された、平和祈念資料館でも聞こえてきました。
「本当にすごく壮絶だった…。生きていくために、選択をしなければいけない」
愛子さまが「壮絶」と話されたのは、14歳の戦争体験者が書いた防空壕の中での証言文です。
「本当にすごく壮絶だった…生きていくために選択をしなければいけない」
この証言文がある資料館を、天皇陛下も20代の頃から3度訪問され、真剣な眼差しを向けられていました。
「『痛ましい内容だね』というお言葉をいただいた。大変優しいまなざしで沖縄戦の状況を熱心に、沖縄のことをよく理解しようとしているお姿が非常に印象に残りました」
「今の陛下も戦後のお生まれですけれども、その次の愛子内親王殿下の世代にそういった過去を忘れないというか、そういうことを受け継いでいくということが非常に大事だと、今回の沖縄でも行動で示されているというふうに私はとらえています」
両陛下は4日夜、沖縄訪問の感想を寄せられています。
「平和の尊さを心に刻み、平和への願いを新たにしていきたいと思います」