広島に原爆が投下されてから80年。
あの日、いつもと変わらない朝の音があふれていました。
橋爪文さんが覚えているのは、少年たちの足音。
「幼年学校っていうのがあった、軍隊の少年たちの。一番、たくさん聞いたのは、その人たちの行進する音」
当時13歳だった才木幹夫さんの記憶の音。
「サイレンで、ウーという長い音が続く」
午前7時9分、警戒警報発令。
「警戒警報が来ても、子どもたちは道端で遊んでいた。大勢で」
午前7時31分、警戒警報解除。
警戒解除を受けて動き出した広島の街。しかし、B29が飛来。すぐに急旋回します。
午前8時15分、原爆投下。
人類史上、初めて投下された原爆の爆発音は、フィルムに残っていません。
聞こえなかった爆発音
実際、どんな音が広島の街に鳴り響いていたのでしょうか。
「全然、音は何も聞こえなかった。将棋倒しみたいに家が、ハラハラとなって倒れていく」
「広島では『ピカドン』という。ピカっと光って『ドン』となる。『ドン』は聞いていない。だから音の記憶がないんです」
なぜ、被爆者は、音を覚えていないのでしょうか。
その答えを探して向かったのが、東北大学流体科学研究所。爆発によって生じるエネルギーを可視化できる国内有数の施設です。
ここで、80年前の爆発をシミュレーションします。
金属板を広島の街と仮定し、爆発した地点で、少量の火薬を爆発させ、原爆が落ちたときの空気の流れを再現する実験です。
「球状に衝撃波が発生して、どんどん伝播していきます。衝撃波自体の圧力が35キロパスカルになると、木造家屋がほぼ全壊する圧力のレベルに」
実験から、約1.6キロ付近にいた当時の広島市民は、35キロパスカルの衝撃波を受けていたことがわかりました。そして、その衝撃波は、“音”よりも早く伝わります。
衝撃波は、耳に大きな影響を及ぼしていました。
「鼓膜の穿孔(破裂)を起こす圧は、大体30キロパスカルぐらいの圧といわれている」
爆心地から半径2キロ以内の人々の鼓膜は、破裂していた可能性が高いと考えられています。さらに、一次的な難聴になる可能性は、半径7キロもの広い範囲です。爆発音より先に届いた衝撃波が、鼓膜に損傷を与えたため、音が聞こえづらかった人が多数いたと考えられます。
手掛かりは核実験映像
実際に広島に落とされた原子爆弾は、どんな“音”だったのでしょうか。
アメリカの核政策に詳しいアレックス・ウェラースタイン博士が教えてくれました。
「アメリカは科学・軍事的に音に興味がなく、音声の入った映像は、ほとんどありません。しかし、爆発の音が入った当時の希少なフィルムが残っています。その威力は、広島のときと、ほぼ同じでした」
アメリカ・ネバダ州で行われた『アニー実験』と呼ばれる1953年の原爆実験。
音声が収録されたのは、爆心地から12キロの地点。爆発音が届くのは、閃光から32秒後です。
あの日、聞こえた音
80年前、広島に投下された原爆の音を、奇跡的な状況下で聞いていた内藤愼吾さん(86)。
「全部めちゃくちゃに壊れる音。表現のしようのない、すさまじい音やった」
内藤さんの自宅は、爆心地から1.6キロ。その朝は、幼い弟・妹と縁側で遊んでいました。
「きれいな空でした、真っ青な。トマト、なすび、きゅうりを縁側にずらーっと並べて、仲良く遊んでいた。弟とちょっとケンカかになったとき、おふくろに注意されて、私は縁側を離れて、防空壕の入り口の方へ行った。そこで、真っ赤なカニを見つけた。それを捕まえようとして、しゃがんだとき、ちょうど爆弾が落ちた。原子爆弾が」
8時15分、原爆投下。
内藤さんは、爆風で吹き飛ばされ、防空壕の中へ。耳の損傷をまぬがれました。
熱線、放射線、爆風によって街は壊滅。
20分後、外に出た内藤さんが耳にした音。
「弟と妹が崩れた屋根の下敷きになっていた。泣き声だけは聞こえた、かすかに。それを頼りに、母が一生懸命、そこ(妹と弟の上)の瓦をはぎよった」
弟と妹は、その日のうちに亡くなりました。
終戦から80年。
いま、内藤さんに響く音とは。
「(セミ)鳴いてますね。平和ですよね、本当。そういう音が、ごく普通に聞こえる世の中に」




























