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日航機の墜落事故から12日で40年です。ANNは、これまで明らかになっていなかった自衛隊の救助活動の写真、140枚以上を入手しました。
墜落現場で見たものは?
12日、慰霊の登山をする人のなかに、この人の姿が。俳優の黒木瞳さんです。黒木さんは宝塚歌劇団の仲間・北原遥子さんを事故で失いました。11日行われた灯篭(とうろう)流しにも参加しています。
520人の命が失われて40年。墜落現場の詳細を記録した写真を独自入手しました。その数140枚あまり。
男性は当時現場にいた元自衛隊員です。
元陸上自衛隊 岡部俊哉さん
「初めてですね、こんなの見るの」
「初めてですね、こんなの見るの」
事故の翌朝、現場にいち早く入った陸上自衛隊空挺(くうてい)団の一員。
「私が写ってますね。これですね」
「これが私ですね。下向いている。こんな写真あったんですね。びっくりだな」
「これが私ですね。下向いている。こんな写真あったんですね。びっくりだな」
当時26歳だったという岡部さん。そこで何を目撃したのでしょうか。
あの日、羽田から大阪に向かったJAL123便。相模湾上空で緊急事態が発生、そこから迷走を続け、およそ30分後にレーダーから機影が消えました。
日本航空 広報
「(Q.どちらの方向に進んで消えた?)それがですね…えーとですね」
「(Q.どちらの方向に進んで消えた?)それがですね…えーとですね」
情報は錯綜(さくそう)。墜落地点が特定できません。事故の翌朝、ようやく…。
「7合目付近に残骸物発見」
深い山の斜面に見える「JAL」の文字。道なき道を、地上から現場に向かった部隊。
一方、岡部さんたちの空挺団は、空から現場に降り立ちました。
「降りて最初に踏んだのが亡くなった方の耳だったんですね。申し訳ございませんという思いで」
間もなく、地上から向かった部隊も到着。そこには、途方に暮れたように立ち尽くす先発隊の姿がありました。
岡部さん
「すさまじいですね。地獄絵図というか。木の上には髪の毛がぶら下がっていたり、髪の毛だけなんですよね」
「すさまじいですね。地獄絵図というか。木の上には髪の毛がぶら下がっていたり、髪の毛だけなんですよね」
しかし、そうしたなか…。
日本航空 広報
「(Q.生存者について情報は?)入っておりません」
「(Q.4人生存確認は?テレビ見てない?)見てません。え?はぁ」
「(Q.生存者について情報は?)入っておりません」
「(Q.4人生存確認は?テレビ見てない?)見てません。え?はぁ」
4人の生存者が発見されたのです。
岡部さん
「生存者が発見されたというのが無線で入ってきたけど、ちょっと信じられなかった。逆に。え?って本当に驚きました」
「(Q.4人をご覧になった?)見ました」
「(Q.声をかけました?)かけました。みんなに声をかけたと思います。頑張れとか」
「生存者が発見されたというのが無線で入ってきたけど、ちょっと信じられなかった。逆に。え?って本当に驚きました」
「(Q.4人をご覧になった?)見ました」
「(Q.声をかけました?)かけました。みんなに声をかけたと思います。頑張れとか」
凄惨(せいさん)を極めた現場に差した、一筋の光明。そのことを伝える新聞を、岡部さんたちは、食い入るように見つめました。
「その新聞を見た時にびっくりして。こんなに注目されたんだ、我々の動きはと、その時初めて知りました」
あれから40年。大切な人を失った人にとって、それはどんな年月だったのでしょうか。
遺族
「この時計も秒針は動いているけど、時間ずれていますよね。ね、お父さん」
「この時計も秒針は動いているけど、時間ずれていますよね。ね、お父さん」
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