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2025年8月13日 02:35

「犠牲になるのは女性・子ども」終戦後も…満州で起きた“性暴力”そして“中絶”

2025年8月13日 02:35

「犠牲になるのは女性・子ども」終戦後も…満州で起きた“性暴力”そして“中絶”
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ソ連の侵攻…満州で起きた“性暴力”

かつて中国東北部にあった満州国。日本軍の主導で1932年に建国され、27万人もの日本人が開拓移民として渡りました。終戦直前、ソ連軍が突如、満州に侵攻。日本人の多くが略奪や虐殺などで犠牲になりました。その被害は女性にも及びました。

ソ連軍の侵攻当時10歳

当時の状況を知る、鈴木政子さん(90)。ソ連軍が侵攻してきた時は10歳で、家族とともに満州にいました。鈴木さんら日本人はソ連軍によって連れ去られ、施設に収容されました。そこで鈴木さんは、おぞましい出来事を目撃します。

鈴木政子さん
鈴木政子さん
「だんだん私ね、分かってきたんですよね。5年生でしたけど、犯されるということはどういうことなのかというのが。若い女性はどんどん連れていかれて、ソ連兵も8人ぐらいいたんですよ。8人が全部、1人の女性を犯す。帰ってくる人はそんなにいませんでした。そこで亡くなってしまうか、動けなくなってしまうか」
見取り図

当時、ソ連軍が接収し、収容所として使っていた工場の見取り図。敷地の中にはソ連兵が住居として使っていた倉庫が3棟。そして事務室。トイレは別の棟にありました。

鈴木政子さん
鈴木政子さん
「私たちが入れられたのはこの事務室。事務室からトイレに行くまで(ソ連兵に)襲われましたね。だから、このトイレに行くのに大変だった」
(Q.女性が連れていかれたのは)
「たぶん、この中(倉庫)の1つだと思う。自分たちのベッドを入れたりして、女性を引き込んで、この倉庫でやっていましたね」

事務室の部分には、こんな言葉が書かれていました。

見取り図
「すし詰めで人、人、人。女子てい身隊の人もいる。この人達がソ連兵の相手として毎日連れて行かれた」
望まぬ妊娠

何人ものソ連兵に強姦され、望まぬ妊娠をした女性たちが大勢いました。

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引き揚げ後も続いた“苦しみ”

海に身投げした女性も

終戦後まもなく日本への引揚げが始まると、船の中でも悲劇は続きました。ソ連兵の子どもを身ごもったままでは親や夫に合わせる顔がないと、海に身を投げた女性もいたと言います。満州や朝鮮半島などから多くの人たちが引揚げてきた福岡・博多港。そこで女性たちを待っていたのは、さらなる苦しみでした。検査され、妊娠が明らかになった人は、かつて二日市保養所と呼ばれた中絶手術を行うための施設に連れていかれました。

村石正子さん

当時、理由なき中絶は違法でした。『堕胎罪』として罪に問われ、懲役刑が科されていました。それにもかかわらず行われた手術。保養所で看護師を務めた村石正子さんから、当時の様子を詳しく聞いていた人がいます。助産師の平田喜代美さん(83)です。

助産師 平田喜代美さん
助産師 平田喜代美さん
(Q.村石さんは当時をどう振り返っていましたか)
「(胎児を)殺さないといけない。殺すために引き出す。引き出して殺すわけだから。下手に同情していたらできないことだから、心を鬼にして接するしかないと」
麻酔なしの中絶手術

物資が不足していて麻酔もない中、保養所の浴室を改造した場所で、女性たちは手術を受けました。

助産師 平田喜代美さん
助産師 平田喜代美さん
「麻酔なしで中絶するということは、暴れまくって蹴とばして手術なんてできないぐらい痛い。それを微動だにせず、彼女(村石さん)の手をしっかりとちぎれんばかりに握って『チクショー』と耐えて、耐えていた姿はいまだに忘れることができないと」
取り出された胎児

村石さんは生前、取り出された胎児は「瞳や髪の毛の色が明らかに日本人とは違っていた」と語っていたといいます。

療養所

当時、違法だった中絶手術を行ったのは二日市保養所だけではありません。福岡や佐賀の療養所などでも手術が行われていました。いったいなぜなのか。当時の厚生省の資料にその理由が記されていました。

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“違法”とされた中絶 国が関与か

浦頭引揚記念資料館

当時、違法とされながらも、多くの場所で行われた中絶手術。実はそのウラで、国が積極的に中絶を指示していたとされる記録が残されていました。

引揚婦女子医療救護実施要領

『引揚婦女子医療救護実施要領』。当時の厚生省から各地の国立病院などに対して通知されたもので、引揚げてきた女性たちにどう対処するかが示されています。【妊娠】の項目には「正規分娩不適ノ者ニ対シテハ極力妊娠中絶ヲ実施スルコト』と書かれていました。厚生省が示した“正規分娩不適ノ者”が何を指すのか、正確には分かっていません。ただ、過去の資料の中には、性病のまん延や“異民族の血”の流入を水際で防ぐ目的で国が中絶を指示したという証言もあります。

中絶手術を行った医師たち

望まぬ妊娠をした女性に中絶手術を行った医師たち。国立病院の執刀医から当時の状況を聞いていた天児都さん(90)は、彼らの心情をこう推測します。

産婦人科医 天児都さん
産婦人科医 天児都さん
「(妊婦を)助けてあげなきゃいけないという、その一心だと思います。みんな助けてあげたいという気持ちで(中絶手術を)やったと。それは本当だろうと思うんですよ」
中絶手術が必要な女性520人

当時の厚生省の資料には、約3年半の間に中絶手術が必要だとされた女性は520人という記録があります。

水子地蔵

福岡県筑紫野市。かつて、二日市保養所があった場所には水子地蔵が祀られています。今も毎年、供養祭が行われています。

戦争が終わっても…女性の“性被害”

村石正子さん

当時、保養所で看護師をしていた村石さんの話によりますと、身ごもっていた女性は、保養所に来た時には口もきけないほど憔悴していたけれど、手術を終えた後、ほっとしたような表情を見せた方もいたといいます。

鈴木政子さん

当時10歳だった鈴木さんにとって、性被害を見たことはとても重い体験で、開拓団の団長から口止めされていたこともあり、これまで語ることはなかなかできなかったといいます。ただ、90歳になった今、自分が話さなければ、女性たちのつらかった経験がなかったことになってしまうという危機感から今回、話してくれました。

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