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2025年8月14日 16:06

「自分のことと感じる」 沖縄戦、AI使い白黒写真をカラー化 戦争が奪った「色」

2025年8月14日 16:06

「自分のことと感じる」 沖縄戦、AI使い白黒写真をカラー化 戦争が奪った「色」
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 あす8月15日は終戦の日です。80年前の沖縄戦の前後に撮影された白黒写真をカラーにした写真が今、注目されています。写真に色がついたことで当時の人々の表情、生活がより鮮明になりました。

最新技術で白黒写真をカラー化

 どこまでも広がる青い海、かつてここは戦場でした。

 1945年6月、地上戦が行われた沖縄で避難する親子を捉えた写真です。当時アメリカ軍が撮影したとされるこの白黒写真に色が加わると、3人の表情が鮮明に。

 収容所でアメリカ軍から食料を受け取る少年。色が加わると少年の眼差し、地面を踏みしめる素足の痛々しさなどが伝わってきます。

 今年発売された書籍「カラー化写真で見る沖縄」。沖縄の戦前・戦中・戦後、それぞれの時代の白黒写真をカラーにしたものが収められています。

沖縄の写真をカラー化
ホリーニョさん

「写真をカラー化することは、戦前から生きていた方々の普通の日常みたいなところも切り取れるんじゃないかなと」
過去の沖縄戦の記録と重なる
過去の沖縄戦の記録と重なる

 カラー化したのは兵庫県出身の会社員・ホリーニョさん。子どものころに経験した震災で見た変わり果てた町並みが脳裏から離れず、過去の沖縄戦の記録と重なったといいます。

「沖縄の歴史をどうやって伝えるかの試行錯誤のなかで、白黒写真をAIでカラー化するのが一番色んな人に見てもらえる」

 SNSに投稿したところ多くの反響を呼び、これまで300枚以上手がけました。

AIを使って大部分をカラー化
AIを使って大部分をカラー化
「AIで着色して途中段階のやつをこっち(iPad)に移し、着色の補正を加えて完成させていくという形」

 AIを使って大部分をカラー化、その後タブレット上で手作業で調整や彩色をしていきます。

「写真1枚を隔てた向こう側で、(まだその人が)生きているような感覚で色を付けていく」

 沖縄に住む人たちは、カラー化された写真を見てどう感じるのでしょうか?

70代男性
「(カラーは白黒より)理解しやすいんじゃないかと思う」
「自分と近い存在に」
「自分と近い存在に」
10代高校生
「すごいリアル。(カラーだと自分と)近い存在に感じて、もっと(戦争について)考えることができるのかなと…」
10代高校生
「本当にあったんだなと実感できる。人の肌の色とか自分と同じ色だから分かりやすい。(授業にも)取り入れたほうがいい」
50代女性
「白黒だとやっぱり、あぁなんか大変だったなと思うけど、色がついてくるとその時にあったことを自分のこととしても分かりやすいのかな」

 あの時代、あの場所にいた人たちと自分たちがつながっている。カラーになったことで気づく「過去」という言葉では片づけられない出来事。

カラーで伝える沖縄 戦争奪った「色」

那覇市東町の大通り
那覇市東町の大通り

 沖縄戦の前に撮影された那覇市にある東町の大通りを見ると、黒くつぶれてよく見えない箇所がありますが、立ち並ぶお店、中央には町を象徴するかのような建物。行き交う人々など、そこには日常の生活が映し出されていました。

ホリーニョさん
「(戦前は)すごく近代化された街並みとしてあって、別に(今と)変わらない豊かさがあったんだなと…」

 浮かび上がった今と変わらない人々の営み。しかし戦争が起こると、人々が暮らしていた町は一変。活気があふれていた市場も灰燼(かいじん)と化します。

破壊された首里の街並み
破壊された首里の街並み

 カラーにしても無機質な色しかない戦渦の沖縄。戦争が奪ったのは“色”そのものでした。

「(戦争で)一気に色がなくなって。やっぱり色っていうのを感じて、我々は結構生命というか、人が生きている活動そのものをポジティブに色で解釈している部分があるんじゃないかと」

 過酷な歴史。色がつくことで見えたのは、私たちと同じ人がそこにはいたということ。

「白黒写真は歴史上の遠い世界みたいに考えてしまう方も多いかなと思うんですけど、80年前も全く景色の色の景観って変わっていない部分があって。そういう当たり前のことで一気に80年前とつながれる」
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証言 戦場となった沖縄 幼い妹を亡くし苛烈な地上戦

 カラーになった戦時中の子どもたちの写真をじっと見つめる男性。

沖縄戦を経験
喜舎場宗正さん(86)

「親は写ってないからあれだね、亡くなったのかな」

 浦添村の集落で生まれた喜舎場さんです。

沖縄戦を経験 喜舎場宗正さん
沖縄戦を経験 喜舎場宗正さん
「やっぱり、そうだったなという…。乳飲み子を抱えた母親がやられて、子どもがまだ大丈夫であるわけ。そして、その亡くなっている母親の乳房を(子どもが)まさぐってね。その情景が、もう耐えられないなと」
6歳で家族と逃げることに
6歳で家族と逃げることに

 多くの住民が巻き込まれ、激しい戦闘は3カ月にも及び、20万人以上が犠牲になった沖縄戦。喜舎場さんは6歳のころに巻き込まれ、家族と逃げることに。

「(逃げている時に)後ろのほうから突然『そら来た!』という声がしてですね、銃声がバーッて。そしたらそこで、おじいがやられたんですね」

 祖父が撃たれ、姉と2歳の妹と3人で戦場を逃げようとしましたが…。

「パニックで逃げる時にどうしても連れることができない。妹はもうその時はですねガマ(洞窟)に置き去りに。自分の命を守るというのが、精一杯というかね。生きていくという…」

 その後、防空壕へ逃げるも捕まり孤児院へ送られた喜舎場さん。そこで目にしたのは、生き別れたはずの妹の姿でした。

生き別れたはずの妹の姿が
生き別れたはずの妹の姿が
「僕らが孤児院に行っている時に、妹はもう変わり果てた姿でね。僕らの前に担当者が連れてきて、僕らに見せたんです。置き去りにされて、一人。2歳くらいの女の子がね、よくも耐えたなと思いますね」

 カラーで蘇る当時の沖縄。過酷な体験をした喜舎場さんの目には、どう写るのでしょうか?

「白黒では、もうとにかく伝わらない。白黒ではどうもね、暗さ、悲惨さ、そういうものがね強調されすぎて。その後の住民は立ち上がって復興に励んだんだよという部分が見えてこない。カラーいいですよ、本当に」
80年前と子どもたちがつながれるきっかけに
80年前と子どもたちがつながれるきっかけに
ホリーニョさん
「(白黒写真を見た)子どもたちって沖縄の空はずっと灰色だって思っていて、(カラーを見て)やっぱり青だったんですねと。それだけで一気に80年前と子どもたちがつながれるきっかけになると」

(「羽鳥慎一 モーニングショー」2025年8月14日放送分より)

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