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2025年8月15日 02:42

連勝に国民熱狂も…“国策映像”の裏に隠された敗北 映像は戦争をどう伝えた

連勝に国民熱狂も…“国策映像”の裏に隠された敗北 映像は戦争をどう伝えた
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※許可を得て一部を再編集しています

テレビのない時代、国民に戦争を伝えたのがラジオ、新聞、そして映画館で上映されていた『ニュース映画』です。ニュース映画は映像で何を国民に伝えていたのか。2日間にわたって特集します。1日目は、太平洋戦争開戦直後の日本軍の快進撃、そして太平洋戦争の分水嶺となった1942年6月のミッドウェー海戦までをお伝えします。

戦時下の映像『ニュース映画』

戦時下の生活を捉えた貴重な映像。

『日本ニュース』2号(1940年6月)
『日本ニュース』2号(1940年6月)
「和歌山市の小学生や女学生団は、くわやすきを手に勇ましく空閑地の耕作に乗り出しました。でき上がった畑には代用食料のサツマイモ、カボチャ。重い水おけを肩に栽培に大わらわです」
『日本ニュース』55号(1941年6月)
『日本ニュース』55号(1941年6月)
「猫の手も借りたいという田植え時に、生まれて間もない赤ちゃんから7歳までの子どもさんを遊ばせるという、親切な農繁期託児所が茨城県高松村(現・鹿嶋市)に開かれました。おかげでお母さんたちも安心して田植えにいそしんでいます」
ニュース映画

こうした映像は映画館で流れていました。当時の日本人にとって最大の娯楽だった映画。そこで通常の映画の上映前などに流されていたのが『ニュース映画』です。全国2000以上の映画館で上映されたニュース映画。そこに目を付けたのが軍や政府でした。

陸軍省情報部 陸軍中佐(当時)柴野為亥知氏の発言
陸軍省情報部 陸軍中佐(当時)柴野為亥知氏の発言
「ニュース映画というものを利用すれば、非常に大きな力、価値を持っております。国策的に絶対必要なものです」
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戦意高揚担った“国策の映像”

日本ニュース

戦争の完遂という国家目標の達成へ、国民の理解は欠かせないものでした。そこで、政府が主導し、4つの会社を統合。新たに『日本ニュース』が始まります。政府はその内容に強く介入。国の政策、国策に沿う形で作られました。

日本ニュースのオープニング

日本ニュースのオープニングは力強い音楽と映像で勇ましい印象。重厚で勇ましい音楽、鳥の彫刻や背後から光が差す演出など、ナチス・ドイツのニュース映画と類似点が多く見られます。

日本ニュース

こうして国民の戦意高揚を狙った日本ニュース。その成果が問われる時が訪れます。12月8日の太平洋戦争開戦。日本ニュースも大々的に報じます。軍艦マーチをBGMに、画面いっぱいの文字。

『日本ニュース』82号-2(1941年12月)
『日本ニュース』82号-2(1941年12月)
「帝国海軍ついに決起し、見よ怒濤(どとう)逆巻く西太平洋を圧して堂々行進するくろがねの威容を。目指すはアメリカ最大の太平洋拠点ハワイ真珠湾軍港である。オクラハマ型他の1隻には爆弾命中」
東南アジア各地への侵攻を開始

実際の写真に文字を乗せ、解説まで加える手の込みようです。ハワイ・真珠湾攻撃と同じころ、日本軍は石油などの資源を求め、東南アジア各地への侵攻を開始。日本ニュースは毎週のように伝えました。

『日本ニュース』83号(1941年12月)
『日本ニュース』83号(1941年12月)
「マレー西北辺よりユニオンジャックの旗、彼(か)に消えて、累々と残骸を通ずるは敵戦車」
『日本ニュース』84号(1942年1月)
『日本ニュース』84号(1942年1月)
「大東亜戦争突発するや間髪をいれずフィリピン・ルソン島北岸に奇襲上陸を決行。続いて南北各所の上陸作戦に成功。1月2日、首都マニラに日章旗ひるがえる」
『日本ニュース』102号(1942年5月)
『日本ニュース』102号(1942年5月)
「マンダレーへ入城。北部ビルマの最大拠点はついに陥落しました」
日本ニュース

開戦から3カ月間で上映された日本ニュース76本のうち、実に43本が東南アジアでの戦いでした。

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連勝伝える映像に国民熱狂

東京・浅草

ハワイ真珠湾攻撃の日本ニュースが公開された際の東京・浅草。そのニュースを目当てに大勢の人が映画館を訪れていました。現在91歳になる藤田さんは、映画館でニュース映画を見た1人です。

藤田朝也さん
藤田朝也さん
「『皇軍が手柄を立てたぞ』みたいなニュースがあると『見よう見よう』って言って集まるわけ。映画を見ると勝っているんですよ日本は。もうあっちでも勝っている、こっちでも勝っている。そういうニュースばかりで元気になるんですよ。(映画館では)みんな一緒になって万歳を唱えんばかりの勢いで乗ってましたね」

日本ニュースの制作スタッフの1人も、当時の映画館の様子をこう語っています。

日本ニュース担当 中村正氏
日本ニュース担当 中村正氏『ニュースカメラの見た激動の昭和』
「劇映画の上映中であったが、熱気でムンムンする館内のあちこちから『ニュース映画をかけろっ』の声がして、ピューピューと口笛まで混じり、興奮そのものであった」
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“国策映像”隠された敗北

ミッドウェー海戦

太平洋戦争開戦直後、快進撃を続ける日本陸海軍と、日本ニュースを見て歓喜にわく国民。しかし、こうした状況を一変させかねない出来事が起こります。それが『ミッドウェー海戦』です。

ミッドウェー海戦

日本とハワイの間に位置し、アメリカ軍の飛行場が置かれていた、ミッドウェー島。日本の作戦は、そこに攻め込むことでアメリカの空母をおびきよせ、一気に壊滅させようというものでした。ところが、作戦は最悪の結果に。日本側は主力空母4隻と、多数の熟練パイロットを失う大敗北でした。ミッドウェー海戦は連戦連勝を重ねていた戦局を大きく変える戦いとなりました。

乗っていた空母が撃沈され、九死に一生を得た日本ニュースのカメラマンはこう証言しています。

日本ニュース 牧島貞一カメラマン
日本ニュース 牧島貞一カメラマン『ニュースカメラの見た激動の昭和』
「空母が4隻も沈んでしまった。これで戦争を継続できるのか。私をとりまく若い飛行士官たちの意見は一様に悲観的だった。開戦後わずかに半年。国民が戦勝に酔っている時に、この士官たちと私はもう敗戦を見通さざるを得ない立場に追い込まれていたのだ」
日本ニュース

しかし、海軍はこの事実を公表しないよう命令。日本ニュースはミッドウェー海戦の敗北を一切、報じませんでした。多くの国民がその事実を知ったのは戦後のことです。敗北を隠ぺいした日本ニュース。この後、日本の敗色が濃くなるなか、嘘を重ねていきます。

ニュース映画が伝えた戦争の後編は、敗北を隠したミッドウェー海戦から終戦までをお伝えします。

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