社会

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2025年8月16日 03:07

「戦争自体がないことにされちゃう」戦争を後世へ“語り継ぐ”戦後80年

2025年8月16日 03:07

「戦争自体がないことにされちゃう」戦争を後世へ“語り継ぐ”戦後80年
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終戦の日の15日、天皇陛下は全国戦没者追悼式典のおことばの中で「戦中・戦後の苦難を語り継ぐ」という表現を新たに加えられました。

戦後80年という時間は、昭和の戦争が、自然と語られるものから、意思を持って語り継ぎ、脳裏に刻む時代へと変わってきていることを意味しています。

総理 式辞で13年ぶりに「反省」

石原正勝さん(88)
「兄の慰霊です。長兄と次兄の2人が戦死しています。ほとんど餓死の状態で亡くなったんじゃないかと」
佐藤征ニさん(81)
佐藤征ニさん(81)
「私の親父が昭和20年4月にフィリピンで戦死しているんです。私は昭和19年生まれですから親父を知らない。おそらくフィリピンに着かないうちに米軍に沈められたと思います。だから遺骨もありません」

全国戦没者追悼式。総理の式辞には13年ぶりに「反省」という言葉が盛り込まれました。

石破茂総理大臣
石破茂総理大臣
「戦争の惨禍を決して繰り返さない。進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を今改めて深く胸に刻まねばなりません」

なぜあの戦争を始めたのか。なぜ止められなかったのか。反省することから始めなければ、教訓を導き出す事はできないという思いが込められているといいます。

天皇陛下 おことばに新たな表現

天皇陛下のおことばにも新たに加わった表現がありました。

天皇陛下
天皇陛下
「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います」
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各地で追悼 そして記憶の継承

日本遺族会の会員

当事者たちによる継承は年々難しくなっている現実があります。高齢化などにより、今回の追悼式に戦没者の配偶者は参加していません。日本遺族会の会員は、この6年で4割も減りました。それでも語り部たちは今日も。

大空襲で戦災孤児に 吉田由美子さん(84)
大空襲で戦災孤児に 吉田由美子さん(84)
「空から雨のように降り注ぐ火の粉は、私は怖いものとも知らず『わぁきれい』とおんぶしている防空ずきんから空を見上げて、私はそういうことを感じて本当にきれいでした」

吉田由美子さんは3歳の時に東京大空襲で両親と妹を亡くし、戦災孤児となりました。

大空襲で戦災孤児に 吉田由美子さん(84)
大空襲で戦災孤児に 吉田由美子さん
「父のお姉さんの家へ来て間もなく、悲しいことを言われました。『空襲の夜、お前も親と一緒に死んでくれたら良かった。お前が死んでいたら育てなくて済んだんだよ』この言葉から初めて、私は両親の死を知りました」

ひたすら孤独と向き合う80年間だったといいます。

大空襲で戦災孤児に 吉田由美子さん(84)
大空襲で戦災孤児に 吉田由美子さん
(Q.80年というのは吉田さんにとっては)
「長い長い道のりでしたよ。3つからこの道に入っているもの。孤児って言うね肩書ですけど、長い道のりですよ。長くちゃいけないね。親を亡くした子どもって残酷。さみしさと闘い、残酷な人生でしょ。それは感じますね」
(Q.継承の大切さは感じている)
「感じますね。だって知らなかったら何にもないことにされちゃう。戦争自体がないことにされちゃうじゃない。(語り部を)命がもつまで頑張ってみようかなと。欲張りかもしれませんが、そんなことを力に変えているんです」
4世代での追悼式参加

それぞれがそれぞれのやり方で行う継承。父親をフィリピンで亡くした伊藤早苗さん(85)はひ孫を連れて4世代での追悼式参加です。

4世代で参列 伊藤早苗さん
4世代で参列 伊藤早苗さん
「武道館の戦没者追悼式典に行ったという思い出にもなるかなと思って連れてきた。戦争はしたらダメだもんね。どうですか達貴さん」
伊藤さんのひ孫 片山達貴さん(5)
伊藤さんのひ孫 片山達貴さん(5)
「しない」
伊藤さんのひ孫 片山純矢さん(3)
「戦争はしない」
小学4年生(10)
小学4年生(10)
(Q.(灯籠を)実際に流してみていかがでしたか)
「昔の人たちがどういう思いだったか、なんとなく分かる気がする」
男性(30代)
男性(30代)
「簡単に戦争するしかないみたいな、あおるような発言があって。子どもの世代がどういうことを考えて、何が正しいかを判断してもらえるようなものがあるのはありがたい」

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