大阪の道頓堀で、消防隊員2人が亡くなったビル火災。一夜明けた現場では、2人を悼む人たちの姿がありました。
献花に来た消防隊員の2人。
「先輩なので、仲間なので。ほかの現場に行っているときに、えらいことになってるなと思って」
「取り残されているというのは、めったにないことので、アクシデントが起こったんだなとは思っていましたが、まさか、こんな大変なことになるとは想像もしなかった」
番組では、出火直後とみられる新たな映像を入手しました。
18日午前9時47分。燃えた2つのビルの手前側、1階付近で炎が見えます。その高さは、背丈ほど。まだ奥のビルには燃え移っていません。しかし、撮影者によりますと、この1分後、炎はビル全体を覆うほどになっています。
元東京消防庁特別救助隊の田中章さんに、この映像を見てもらいました。
「黒煙とともに1階から最上階まで、炎に包まれている映像があった。普通であれば、耐火建築物で鉄骨鉄筋コンクリートで作られてる。あれだけ外壁に沿って、炎が上がることはまずない。今回のこのビルについては、外に付いている広告のシートです。これが上階への侵入を早めた可能性は十分あると思う」
この映像が撮影された5分後、炎がビルの壁面をつたうように、垂直に上っています。
市によりますと、現場となったビルは、1968年ごろに建てられたとみられています。
道頓堀には、同じような古くからの雑居ビルが密集しています。
消防によりますと、現場となったビルは、2023年、行政指導を受けていたことがわかりました。
火災報知器の不備や、避難訓練の実施など、6項目について法令違反があったということです。このうち、改善されたのは一部だけでした。また、火元のビルと延焼したビルは、内部でつながっている部分があったといいます。
「非常口として、火元とみられるビルの方から避難経路として移動ができるようになっている。4階は、移動ができるようになっている」
消防隊員2人が亡くなった当時の状況についても、詳細が少しずつわかってきました。
「天井部分の崩落で逃げ道を見失って、上階に避難したなかで、避難場所がなくなって、呼吸の問題で亡くなったと考えられるのではないか」
横山市長の説明です。
亡くなった2人が活動していたのは、右側のビルの5階部分。同じフロアでは、ほかの消防隊員も活動していました。そのとき、天井部分が崩落します。どの程度の崩落だったのかはわかっていませんが、消防隊は2手に分かれ、避難を開始。一方は、出口にたどり着きました。しかし、激しい火災のなかで、2人は逃げ道を見つけられず、6階へ避難したとみられています。その後、2人は倒れた状態で、別の消防隊員に発見されました。
「6階部分で見つかったので、恐らくそのエリア(5階)から、上に避難したなかで、酸素も時間制限がありますから」
大阪府警は19日夜、司法解剖の結果、2人の死因は、酸素欠乏による窒息だったと発表しました。死亡推定時刻は、火災の通報があってから約20分後の午前10時10分ごろでした。
延焼したビルの上層階にいた理由について、田中さんは、こう指摘します。
「通常の消防活動だとは思います。1階付近から火災が発生したということであれば、2階3階4階5階6階、上階に逃げ遅れた人がいるだろうと、消防隊は、1階に放水して、消火活動をするとともに、1階から上は“検索”と言い、逃げ遅れた人を捜索する任務がある」
命を落とした消防司令の森貴志さん(55)と、消防士の長友光成さん(22)。
2人が勤めていた浪速消防署にも献花台が作られ、近くに住む人などがその死を惜しみました。
「ご遺族のことを思うと、本当にいたたまれなくて、ただそれだけです」
「ショックでね、本当に。いつもここ通って、駅に行っています。奮闘してくださっている方に、日々、お世話になっているわけですし、言葉に詰まるものがあります」
消防署の同僚も話を聞かせてくれました。
ベテランの森さんについては「素晴らしい人格者でした」。そして、若手の長友さんについては「誰からも愛される人でした」といいます。
大阪市消防局は、21日にも、事故調査委員会の第一回会議を行うとしています。