愛子さまが、新潟県にあるニシキゴイ発祥の地を訪問されました。ニシキゴイと皇室の知られざる深いつながりに迫ります。
愛子さま ニシキゴイにえさやり
100人近い子どもたちが出迎えます。新潟県を訪問中の愛子さまは8日午前、小千谷市の「錦鯉の里」に到着されました。
「愛子さま〜」
「愛子さま〜」
かわいい声に何度も手を振られます。
「これは何ですか?」
「これは小麦粉ですとか、ごはんつぶ…」
愛子さまはニシキゴイにえさを与え、続いて放流体験をされました。
「もしあれなら触ることもできます」
「大丈夫ですか?」
跳ねるコイに、びっくりされた様子。
放流されたのは、日の丸がついているようにもみえる「丹頂紅白」というコイです。
帰り際、愛子さまが向かったのは、子どもたちの所です。
「どんなお遊びをしますか?」
「ドッジボールがいい」
「ドッジボールとかくれんぼ」
子どもたちへのお声掛け。これは、当初の予定にはなかったことです。
そんな愛子さまのご様子について…。
「『実際にニシキゴイに触れてみたい』という声もいただいて、急きょたらいを用意致しました。ニシキゴイにも触れていただいた」
「(Q.触れた際の様子は)大変喜んでおられて、柔らかさとツヤ感。少しヌルッとした感じが、すごく不思議な感じがしますと喜んでいらっしゃった」
また、皇居に泳いでいるニシキゴイについても話が及びます。
「ヒレナガニシキゴイ。確かに泳いでおりますという話をされていた」
“皇室とコイ”深いご縁とは?
手を叩き、ニシキゴイを呼ぶ美智子さま。2015年、当時のインドネシア大統領夫妻が来日した際、皇居東御苑でコイにえさを与えられました。
これはただのコイではなく、上皇さまの発案で生まれたヒレナガニシキゴイ。
「私たちも東御苑を散策する折には、これらの美しいヒレナガニシキゴイを見て楽しんでおります」
上皇さまが「インドネシアにヒレの長いコイがいるので交配したら、ヒレの長いニシキゴイができるのではないか」と提案したもので、その後、埼玉県水産試験場が品種改良に成功しました。
その後、上皇さまはインドネシアを訪問された際にヒレナガニシキゴイの幼魚50匹を贈られ、皇居にも数回放流されています。
ニシキゴイは、インドネシアとの友好の懸け橋にもなっています。
「愛子さまからは非常にニシキゴイに関心があるというお話と、中越大震災からの復興大変でしたねというお話を頂いた」
この地域のニシキゴイは20年前、ピンチに瀕していました。
新潟県中越地震で養殖場が被害を受け、残されたニシキゴイの救出作戦が行われました。ニシキゴイはその後、別の場所に運ばれました。
愛子さまは8日、当時の様子ついて聞き「地元の人にとって大切なんですね」と話されたということです。
午後、愛子さまは地震被害を後世に伝える、「やまこし復興交流館おらたる」を訪問されました。ここにも、上皇さまの足跡がありました。
田中仁理事長
「11月6日、上皇さま上皇后さまが」
「2週間後くらいですか」
地震からわずか2週間後に被災地を訪問された上皇ご夫妻。愛子さまが熱心にご覧になったのは、その写真でした。
「上皇后さまたちが避難所に来てくださった時は、『みんな力になりました』という話をお伝えしたんですが、お話をさせていただいた時に表情も緩やかに非常にお喜びになっていたような印象を受けました」
そして愛子さまは、8日午後3時ごろから、ボランティアと懇談され、労われました。愛子さまの言葉が、聞こえてきました。
「ご自身も被災されたのですか?」
ボランティアスタッフと懇談
新潟県長岡市でボランティアと懇談された愛子さま。
ボランティアに関心を持たれ、日本赤十字社に勤務する愛子さま。
「ボランティア活動を始められたきっかけは?」
「活動されていてやりがいを感じられる、印象に残っていることは?」
次々と質問が飛びます。
「東日本大震災のことについても、向こうの地域の方との関わりがどんなですか?と。炊き出しにいったり訪問したりしていますと話した」
そして午後4時すぎ、長岡駅に到着された愛子さま。車を降りると歓声が上がります。別れを惜しむように長い時間手を振られました。
3日間の新潟訪問を終え、東京に戻られました。