名古屋主婦殺害事件の安福久美子容疑者(69)は、逮捕直後には供述していたが、一転して黙秘となり、その姿勢を続けている。黙秘は憲法で保障された権利であるが、殺人事件で重視される動機の解明に向けては、大きな障壁となる。
元大阪地検検事の亀井正貴弁護士は、黙秘し始めた理由を「弁護人のアドバイスではないか」と推測する。「日弁連(日本弁護士連合会)では、黙秘権を行使することを前提とするマニュアルめいた指導が行われている。そのため若い人は黙秘を勧める傾向がある。黙秘は否認の場合と犯行を認めている事件では重みが違う。否認している事件では黙秘権を行使することは原則としてあって良い。認めている事件ではそれがプラスマイナスということなので、慎重に見極めながら、黙秘する事項、タイミングを考えながら弁護人はアドバイスしていくのだろう」。
報道の大きさによって、黙秘に転じるケースがあるとする識者もいる。これには「報道の大きさというよりも、『自分の言ったことが外に漏れて、報道されている』ことが頭に来て、黙秘する人はいるが、おそらく確率的には黙秘はほとんど弁護人のアドバイスだ」との見方を示す。
起訴においては「前提として犯行動機が重要で、殺意や殺人行為の立証に有用となる」としつつ、今回の事件については「現段階で犯人性や殺人の実行行為はクリアされる。あと検察官が考えるのは『責任能力は大丈夫か』という点だ」とした。
精神鑑定については「26年前の精神状況が責任能力の判断対象だが、ここは結構難しい」という。
名古屋地検は、安福容疑者の鑑定留置を始めたが、「警察官や捜査官が取り調べで得るものより、精神鑑定医が問診の過程で得る情報の方が大きいことがある。生育過程から何から掘り下げていく。ただ、判断対象はあくまで26年前の責任能力だ。その時に彼女がどう考えたのか。妄想などはなかったのか。そのあたりを探るため、なかなか難しい鑑定になるだろう」とした。
犯行に使われた凶器も、今なお見つかっていない。「凶器の有無は原則として大きいが、自分の感覚では『頸部(けいぶ)に何センチ入ったか』といった外形的事実だけで、客観的行為として殺意は立証できるだろう。もちろん凶器や犯行動機も重要だが、罪体の立証はできる」。
黙秘権が存在する一方で、被害者側の“知る権利”については「昔は、被害者は証拠としての位置づけしかなかった。その後、被害者参加制度ができて、事件記録を知る権利を得た。知りたい気持ちは当然あるだろう」。
その上で、「もし私がこの事件の弁護人だった場合、動機を推認しにくい。おそらく被害者に過失はない。夫になんらかの原因があるとした場合には乖離(かいり)がある。あまり早めに動機をうたってしまうと、被害者を刺激する可能性がある」と語る。
「弁護人は基本的に、被告人・被疑者に有利な量刑を得る目的がある。おそらく被疑者は、弁護人には事実を語っているだろう。それがあからさまに出た場合にどうなるか。今後、責任能力が争点になる可能性もあり、その前提は被疑者の供述や問診結果の内容だ。そこも踏まえて、どういう話をしていくのか、様子を見ながらということで、黙秘を勧めたのではないかと推測している」
今後起訴され、公判となった場合には、裁判員裁判になると予測する。「求刑は15〜20年程度だろう。(26年間にわたり隠れていた点は)求刑の数字を変えるほどの影響はないだろう。逃げたということ自体は処罰できない。心証としては(影響が)あると思う。というのも被害者遺族の処罰感情は非常に厳しいだろう。リスクがありながら、社会に公表してきた。26年間の重みは、量刑上の影響があるだろうが、数字に反映されるかと言われるとどうかなと。裁判官や裁判員の心証には量刑を重くするために来るものがあると思う」。
これからも黙秘を続ける可能性については、「可能性はあると思うが、この事案にはもう量刑と責任能力の2つしかない。責任能力が争えなくなったら、ひたすら謝り倒すしかない。そうなれば、ちゃんとした動機を語った上で、謝る必要がある。ただ動機があまりに乖離(かいり)しすぎた場合、逆に遺族を刺激する場合がある。夫に対する恨みや嫉妬が、妻に向かうのは、どう考えても精神構造に乖離がある。責任能力として『心神耗弱の不調』などにスポットを当てる可能性はある」と見通しつつ、「どこかの段階で、少なくとも公判では(動機が)出てくるのでは」と話した。
夫への恨みが妻に向かうことが「乖離だ」とする理由として、「妻にいたずらしたり、不意打ちで殴り倒したり程度ならわかるが、これは確定殺意があり、犯行態様も非常に悪質だ。計画性があり、犯意は強固。そこまで向かうか、という点に乖離がある」と説明する。
また、弁護人の戦略として「全てを洗いざらい話して、それが不合理であったとしても遺族に開示して、怒りが生まれれば、それはそれとして受け入れる戦略もある」とする。
もし弁護側が動機を聞いていても、公表しないケースもあるのか。「今のタイミングではありうる。あまりにもバカにしたような乖離した動機では、遺族は怒る。ただ、それが責任能力に影響するような精神的におかしい状況であれば、怒っても納得できる部分はある。そこがまだ見えてきていないのではないか」。
そして、「見えていない段階で、不用意な話が(報道などで)ぽろぽろと出てしまう。被疑者の記憶や考え方は、26年前から思っている以上に変わっている。人間の記憶は、自分に都合のいいように変わることもある。本人は記憶通りだと思っていても、客観的には違っていることもある。『対外的に出すには慎重にすべき』との判断はありうる」と語った。
(『ABEMA的ニュースショー』より)
