社会

報道ステーション

2025年11月21日 00:37

「生きているべきでなかった」安倍元総理銃撃 被告人質問で語ったこと

「生きているべきでなかった」安倍元総理銃撃 被告人質問で語ったこと
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安倍総理を殺害した罪などに問われている山上徹也被告の裁判。20日から山上被告に対する被告人質問が始まり、山上被告が自らの口で事件の背景について語りました。

冒頭、山上被告は、はっきりした口調で述べました。

山上被告
「(Q.年齢はいくつ)45歳です。(Q.45歳まで生きていると思っていましたか)生きているべきではなかったと思います。(Q.なぜですか)このような結果になってしまい、大変、ご迷惑をおかけしたので」

そして、弁護側の問いかけに答える形で、淡々と、自らの半生を語りました。

弁護側
「お父さんについて覚えていることはありますか」
山上被告
「会社の社宅の2階で、僕や兄と遊んでくれた。亡くなるのが近づくにつれて、母とよくケンカをするようになりましたが、それまでは暴力をふるうような人ではありませんでした」

山上被告は、幼少期、東大阪市内で家族と暮らしていました。
父親は、自殺しています。父親が、毎日のように酒を飲み、母親に対し、暴力をふるっていたという証言もあります。

弁護側
「父が亡くなって後に、祖父と同居していたんですよね」
山上被告
「そうです」
弁護側
「どんなおじいさんでしたか」
山上被告
「統一教会がらみのトラブルがある前は、至って普通の、孫思いの祖父だったと思います」

被告が口にした「統一教会」という言葉。
大きな争点となっているものです。

山上被告が安倍元総理を銃撃し、殺害したという、事実そのものは争われていません。

弁護側は、山上被告が生まれ育った生い立ちは、児童虐待にあたり、復讐の矛先が、旧統一教会と親和性がある政治家に向ったと主張。情状酌量を訴えています。

弁護側
「あなたが中学2年のときに(母親の)入信を知ったんですよね」
山上被告
「はい」
弁護側
「あなたが母親の入信を知ったきっかけは、何だったのですか」
山上被告
「祖父の会社の不動産を勝手に売ったことがあり、無理矢理、聞いたら、統一教会への献金だったということがわかりました」
弁護側
「お母さんの入信については、どう思っていましたか」
山上被告
「テレビのワイドショーが何かで、90年代の最初のころ、盛んに報道があったので、自分も知っていたのですが、『実の母親よりテレビのワイドショーを信じるのか』と聞かれると、それ以上、何も言えませんでした」

母親の信仰で家庭崩壊寸前に陥ったそうです。

山上被告
「家族会議を開いてやめるように言ったのですが、母は、祖父を説得して信仰するような母親なので、祖父は、『母を殺して、自分も死ぬ』と包丁を持ち出したこともありました」
弁護側
「祖父は母に対して、どんなことをしましたか」
山上被告
「母が帰ってきても入れないように、玄関の鍵を回収しました。これからは、母抜きでやっていくと言われたこともありましした」
弁護側
「母が締め出されたときに助けたことは」
山上被告
「母がドアをノックして開けてくれと何度も言うので、開けてしまったこともありました」

父親の保険金や祖父の遺産など、山上家の資産は、ほとんど献金に消え、その額は1億円に上ります。

山上被告は、高校は、奈良でも有数の進学校に進みました。

弁護側
「部活動はしていましたか」
山上被告
「非常に珍しいのですが、応援団に入部していました」
弁護側
「なぜ、入部したんですか」
山上被告
「イメージとして、上下関係が理不尽なこと。そういうものに忍耐するのが、訓練になると思ったから入部した」
弁護側
「なぜですか」
山上被告
「自分の置かれている家庭環境が理不尽に思えたから」

しかし、祖父が亡くなると、すぐに経済的に破綻します。

山上被告が高校3年生のとき、大学進学を目指していましたが、断念しました。

弁護側
「卒業アルバムの将来の夢に何と書きましたか」
山上被告
「“石ころ"と書いたのを覚えています」
弁護側
「どういう意味ですか」
山上被告
「ロクなことがないだろうということです」

山上被告は、その後、消防士を目指しますが、採用試験に合格することができず、21歳のとき、自衛隊に入隊しました。家族を助けようという思いがあったそうです。

弁護側
「経済支援に応じたことはありますか」
山上被告
「最初のころに、何度か応じたことがあります」
弁護側
「母から『お金が欲しい』と」
山上被告
「そうです。海上勤務だったので、海にいれば、(電話が)つながらない。たまに陸いるときに、一度、断っても何度もかかってくる」

母親と決定的な溝ができたのも、この時期だったそうです。

山上被告
「2004年の年末に、勤務していたところに電話があって『お金を送って欲しい』と。断ると『実は破産したんだ』と。母もショックを受けていた。統一教会の教義に照らしても、神のために献金していれば、救われる。破綻することはない。裏切られたというか、その事実にショックを受けていると感じた」

その後、2005年2月、山上被告は、兄と妹を保険金の受取人にして、自殺未遂をしました。

山上被告
「父のように自殺すれば、役割を果たせば、それでいいと思いました」

母親について問われると、恨みだけではない、こんな言葉が出ました。

弁護側
「(母親が)証人として来たことについては、どう思いますか」
山上被告
「非常につらい立場に立たせてしまったと思います」
弁護側
「なぜですか」
山上被告
「母の信仰を理由として、事件を起こしてしまっているので」

被告人質問は今後も続きます。

一方、検察側は、冒頭陳述で、「プライドの高さや、対人関係の苦手さから、山上被告が転職などを繰り返し、自分が思い描いていた人生を送れていなかったことなどから事件に至った」と主張。「生い立ち自体は刑罰を大きく軽くするものではない」としています。

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