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突然の活動休止から5カ月、国分太一さん(51)が緊急会見を開き、「立場と環境にあぐらをかいていた」と語りました。
騒動から5カ月“涙の謝罪”
元TOKIO 国分太一さん
「まず最初に、自らとった行動により傷つけてしまった当事者に、遅くなりましたが、また直接ではなく、このような形になり、大変恐縮ではありますが、心からおわびの気持ちを伝えさせてください。本当に申し訳ございませんでした」
「数日間の間で、すべてを失いました」
「まず最初に、自らとった行動により傷つけてしまった当事者に、遅くなりましたが、また直接ではなく、このような形になり、大変恐縮ではありますが、心からおわびの気持ちを伝えさせてください。本当に申し訳ございませんでした」
「数日間の間で、すべてを失いました」
無期限活動休止中の元TOKIOの国分太一さん。問題発覚から5カ月、時折声を震わせ、初めて会見を行いました。
「突然の聞き取りでかなり動揺し緊張して、何が始まるのだろうという、そんな気持ちで聞き取りが始まりました。とても冷静ではなかったような気がしています。それでも、何とかこのような状況をしっかり受け止めて、受け止めなければいけないと思いスマホの録音機能を回しましたが、その行為を弁護士の方に見つかり、削除するように言われました」
降板を告げられた日、一体何があったのか。国分さんが初めて口を開きました。
無期限活動休止中の国分太一さん。黒い眼鏡にスーツ。少しほおがこけた様子で会見を行いました。
「私が番組降板を告げられ、日本テレビの福田社長による記者会見でそのことが公表されてからきょうに至るまでの5カ月間、本当に申し訳ないという気持ちとともに、何よりも自分自身に対して情けなく、悔しい思いで毎日過ごしていました。そのような日々を過ごす中で、このような事態に至った原因は、ひとえに自分自身に置かれている状況や立場への自覚が足りなかったことにあると痛感するに至りました。正直、長年の活動の中で立場と環境にあぐらをかいていた部分があったのだと思います。自分の発言や立場が周りに与える重みを意識せず走り続けてしまいました。自らを客観的に見つめることができていませんでした。悔やんでも悔やみきれません。振り返りますと、6月に行われた突然の聞き取りから、その場で伝えられた番組降板。さらにはその直後から連続して起こったさまざまな出来事に、私の心はついていけませんでした。30年続いた鉄腕DASHからの突然の降板。自身の活動休止、TOKIOの解散、苦楽を共にしてきた3人で作った会社の廃業、TOKIO−BAの閉園。数日間の間ですべてを失いました。私のとったどの行動がコンプライアンス違反とされたのか答え合わせもできないままに、自分自身に取り巻く環境変化の早さに心がついていかず、後悔、孤立、絶望とネガティブな感情に押しつぶされ、自らをコントロールすることが難しくなりました」
30年近く続いた人気番組の降板が告げられたのは5カ月前のことでした。
日本テレビ 福田博之社長
「過去に複数のコンプライアンス上問題ある行為が認められましたので」(6月20日)
「過去に複数のコンプライアンス上問題ある行為が認められましたので」(6月20日)
この会見の2日前の6月18日、国分さんは日本テレビのヒアリングを受けていました。
福田社長
「十分な時間をかけて聞き取りをしています。本人も違うという話はしなかったので、その結果を受けて降板をしていただくことになりますと」(6月20日)
「十分な時間をかけて聞き取りをしています。本人も違うという話はしなかったので、その結果を受けて降板をしていただくことになりますと」(6月20日)
国分さんは、無期限の活動休止。会見の5日後には、TOKIOの解散も発表されました。
事態が動いたのは先月23日のこと。番組降板を巡る日本テレビの対応について、国分さんは日弁連に人権救済を申し立てたのです。
これに対し、日本テレビは強く抗議していました。
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「人生のほとんど」TOKIOへの想い
会見で語られたのは、謝罪したいということと、何がコンプライアンス違反だったのか確認をしたいということです。
国分さん
「私は当初から関係者の方々に謝罪したい気持ちを持ち続けています。これまで長年にわたり、お世話になってきた日本テレビと対立する気持ちはありません。私自身に常識が欠けていたことから、きちんと認識していなかったものの、私の過去の行動が日本テレビからコンプライアンス違反に認定されている可能性もあるかと思います。そうした事柄もすべてひっくるめて答え合わせをさせていただき、事実を知り、本件と関係者にきちんと向き合いたいという気持ちから菰田弁護士に日本テレビと協議を続けていただきましたが、こちらのお願いを何一つかなわずきょうに至っています。私は身動きができず、世の中から取り残されてしまいました。こうした事態を少しでも前に進めようと人権救済申し立てという手段を選びました。これは私個人として行ったことで、TOKIOの元メンバーやSTARTO社は全く関わっていません。私はこの間、自分でやれることをやろうと考えました。そして改めて分かったことは、私の人生のほとんどはTOKIOだったということです。今でも折に触れ声をかけてくれる城島、松岡の2人には感謝しかありません。彼らを誇りに思っています。グループとしての形はなくなっても思いはつながっているということに気づきました。家族の日常を奪ってしまいました」
「私は当初から関係者の方々に謝罪したい気持ちを持ち続けています。これまで長年にわたり、お世話になってきた日本テレビと対立する気持ちはありません。私自身に常識が欠けていたことから、きちんと認識していなかったものの、私の過去の行動が日本テレビからコンプライアンス違反に認定されている可能性もあるかと思います。そうした事柄もすべてひっくるめて答え合わせをさせていただき、事実を知り、本件と関係者にきちんと向き合いたいという気持ちから菰田弁護士に日本テレビと協議を続けていただきましたが、こちらのお願いを何一つかなわずきょうに至っています。私は身動きができず、世の中から取り残されてしまいました。こうした事態を少しでも前に進めようと人権救済申し立てという手段を選びました。これは私個人として行ったことで、TOKIOの元メンバーやSTARTO社は全く関わっていません。私はこの間、自分でやれることをやろうと考えました。そして改めて分かったことは、私の人生のほとんどはTOKIOだったということです。今でも折に触れ声をかけてくれる城島、松岡の2人には感謝しかありません。彼らを誇りに思っています。グループとしての形はなくなっても思いはつながっているということに気づきました。家族の日常を奪ってしまいました」
「(Q.コンプライアンス研修もいろいろ受けたと言っていたが、今の自身の基準は『思い当たること』=コンプライアンス違反になると考えるか)それに関しては菰田先生、他の弁護士に意見を伺いました。ハラスメントに該当しうる行為というような意見をいただいたので、反省を繰り返しているところであります。立場とその環境にあぐらをかいていたということ。それから時代のアップデートをあまりしてこなかったことを痛感した」
新たに語られたことは、日本テレビから聞き取りがあり、降板を告げられた日の詳細です。
「少し会話をした後に、コンプライアンスについて2〜3伺いたいことがあると言われ、コンプライアンス局の方、それから弁護士の方が現れ、そこで突然の聞き取りが始まりました。その聞き取り後、執行役員の方が来られ、そこで降板を告げられました。突然の聞き取りということもあり、かなり動揺し緊張して、何が始まるんだろうと、そんな気持ちで聞き取りが始まりました。とても冷静ではなかったような気がしています。それでもなんとか、このような状況をしっかりと受け止めなければいけないと、スマホの録音機能を回しましたが、その行為を弁護士の方に見つかり削除するように言われました。その後、コンプライアンス局の方から、何か思うことはノートとペンでメモしてくださいと言われ渡されましたが、突然の聞き取りで緊張、それから不安、いろいろあり、手が震えて何も書けなかったことを覚えています。そして執行役員の方から、その場で降板を告げられました。そんなことがあるなんて頭の中に全くなかったので頭が真っ白になってしまい、番組はどうなるんだろう、メンバーに大変迷惑をかけた、他のテレビ局の皆さんにどうしたらいいのかという気持ちになり、その場で『本当に申し訳ございませんでした』。その言葉を言うのが精一杯でした」
芸能活動の復帰はありえるのか、国分さんが今後について語りました。
「(Q.引退はよぎらなかったのか)もちろん、よぎりました」
会見を行った元TOKIOの国分太一さん。引退もよぎったことを明かしました。
「当初は引退も考えましたが、それだけではないアイデアをたくさんの方から頂いたので、今は活動休止という形をとらせていただいております。TOKIOは5人から始まりました。形は変わりましたが、たくさんの5人だからこそ見られた景色があり、2人は今形を変え活動を続けています。それでもTOKIOはTOKIOだと僕は思い、そしてそのTOKIOという名前に泥を塗ってしまった。それに関しては本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいです」
「(Q.タレント活動は続ける?)今正直、本当に考えられない状態です」
「(Q.タレント活動は続ける?)今正直、本当に考えられない状態です」
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