社会

ABEMA TIMES

2025年12月6日 12:45

介護は家族でするべきか“老老介護”が崩れた両親を持つ息子「親の面倒を見ずに薄情だと思われるような強迫観念」「施設に入れて悪化したら親を不幸にしてしまうという恐怖」複雑な心情

介護は家族でするべきか“老老介護”が崩れた両親を持つ息子「親の面倒を見ずに薄情だと思われるような強迫観念」「施設に入れて悪化したら親を不幸にしてしまうという恐怖」複雑な心情
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 少子高齢化が進む日本において、介護者と要介護者がともに高齢者となる、いわゆる「老老介護」が年々増えている。厚労省の調査では2022年度、75歳以上の組み合わせが35.7%、65歳以上では63.5%にまで上昇した。どちらも2001年度と比較して、20ポイント前後上昇している。その中で介護に疲弊し、要介護者を殺めてしまう痛ましい事件も起きている。先月25日には東京・町田市で100歳の母親を殺害したとして、79歳の息子が逮捕された。また9月にも神奈川・川崎市で91歳の男が86歳の妻を「介護に疲れた」と殺害する事件も起きた。

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 「ABEMA Prime」では、実態を取材するジャーナリストらを招き、老老介護の課題を議論。さらに老老介護が破綻した高齢の両親を持つ息子からは、なぜ自ら介護をしようとするのかという複雑な心情が語られた。

■続出する老老介護の限界

老老介護

 老老介護を続ける中、介護者が要介護者を殺めるという事件は後を絶たない。昨年7月、当時102歳の母親を殺害した71歳の娘に対し、東京地裁は先月17日、認知症の母親を12年にわたり1人で介護したことに「介護負担は決して軽いものではなかった」として、懲役3年・執行猶予5年・保護観察という判決を出した。裁判長も、被告人の対応能力を超えることで起きた事件だとし、殺人事件ながら刑務所に収監されることがない同情的な判決が出たと話題になった。

 自身もヤングケアラーだった経験を持つ介護ジャーナリスト・小山朝子氏は「こういう事件が起きると、やはり介護がクローズアップされるが、経済的に苦しかったり(介護者の)メンタルが弱かったり、いろいろな背景もある」と実情を語る。また、老老介護を解消する手段として、施設の利用が真っ先に思いつくところだが、「特別養護老人ホームなど介護保険が適用となる施設は比較的費用は安いが、経済的に逼迫している、介護者の精神状態が弱い、ヤングケアラーであるなど、点数(優先度)順に入居できる。また特別養護老人ホームは、程度が重い『要介護3』以上の方が入るので『1』や『2』、『要支援』の人は入れない」と、施設利用のハードルについても触れた。

 また政府としても、高齢者や障害のある方が住み慣れた地域で生活を続けられるように「地域包括ケアシステム」を推し進めている。家族介護者を支援するNPO法人「てとりん」の代表理事・岩月万季代氏は「今、まさに介護の在宅化が進められていて、認知症の方でも地域で受けていこうという啓蒙活動、受け皿を広める動きがある。ただし今、介護者に対する制度はない」と、状況を説明した。

■高齢化で老老介護が破綻

鈴木さんのケース

 「ABEMA Prime」のディレクターを務める鈴木剛太さんは、老老介護をしていた両親を持つ。現在、父親は90歳(要介護1)、母親は88歳(要介護2)だが、5〜6年前に老老介護が破綻した。母親の認知症が進むなどし、2人で家事全般をこなせなくなったからだ。その後は、同じ団地に住んでいた実姉が面倒を見ていたが、4年前に病気で他界した後は、介護サービスを利用。鈴木さんは普段、東京に住みながら現地のケアマネジャーやヘルパー、かかりつけ医と連絡を取りながら遠隔で介護し、毎月1週間は両親が住む鹿児島で過ごし、介護リモート勤務をしている。

 鈴木さんが一番苦労している点は、介護サービスにしろ自分にしろ、誰かしらが両親に目を配り、2人きりにする時間をなるべく短くする、という点だ。実際、鈴木さんが鹿児島でリモート勤務をしていた際、認知症の母親がいつの間にか外出して徘徊、転倒した際に頭を打ち、近所の人に「お母さん、倒れちゃったよ」と知らされ、初めて気付いたこともあった。「身近にいても徘徊はなかなか止めづらい。常に気を張っていなければいけないのが、一番つらい」と実体験からの苦労を明かした。

 ただし、各種サービスをフル活用すれば、必ずしも毎月、鹿児島まで通って面倒を見るという必要はないと感じてもいる。「正直(行かなくても)不具合は発生しない。どちらかというと、自分がやらなきゃいけないような自分の思い込み、気持ちの面が大きい」とも吐露した。

■子どもが両親を介護するのは自己満足?

老老介護の割合

 鈴木さんの両親の状態を見れば、施設を利用という選択肢は入ってくる。常に介護のプロが近くにいる方が安心もできるだろう。都心ではなく、地方であれば利用料も安く抑えられるところはある。ただし利用に踏み切れない理由もまた、いくつもある。「施設の中で(夫婦)2人で入れる枠はすごく少ない。やはり独居の方が利用される率が高い。また田舎に行けば安くなるけれど、交通機関がなくて自分がそこに行くまで不便になる。また、父親の耳が遠く大声で話すため、施設に入って集団生活に投げ込まれた時、周りに迷惑をかけるし、本人も嫌だろう」と、なかなか踏み出せない実情がある。

 また、家族として両親を施設に入れていいのかという葛藤は、自身の介護負担を軽減するという合理性とは矛盾したところで、やはり存在する。「施設入りを検討はしなくてはいけないが、正直なところ自己満足の面は否定できない。『親の面倒を見ている子ども』というところに、満足している」。また周囲から、親の面倒を見ずに薄情だと思われるような強迫観念に似たものも感じる。さらに環境を変えたことで、両親の症状が悪化する不安も拭えない。「環境が変わった時に、親が予想できない健康の害し方をしたら、親を不幸にしてしまったように感じるのではないかという恐れがある」。

 鈴木さんの両親は、50年以上も自宅に住み続けている。隣近所の人々との付き合いも深く、長い。その環境を変えてしまうことのデメリットと、充実した施設でケアしてもらうメリットの間で、鈴木さん自身も揺れているところだ。

 高齢者の施設利用について、岩月氏は「自宅で暮らさなくなったことで認知症が進んだり、歩くことが難しくなったと聞かれることは多いが、一概に言えるものでもなく、施設でも元気な人もいる。ケースバイケースだ。ただし自分が住み慣れたところで暮らし、住み慣れた景色を見て、空気を吸ってきた人が、施設で全然知らない人々と暮らし、認知症で『ここはどこだ』という不安を感じることが病状を進行させることもある」と見解を示した。

 また近畿大学情報学研究所所長・夏野剛氏は「これだけ核家族化が進んでいると、家族が面倒を見るという前提の政策は、もう無理だと思う。やはり公共サービスの充実を一緒に考えないといけない。そうしない限り、幸せが来ない」と述べていた。 (『ABEMA Prime』より)

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