社会

ABEMA TIMES

2025年12月9日 11:30

行方不明のまま3年、岡山の中学3年生・梶谷恭暉さん 島でスマホ発見も…母「親名義でも中身開示できず…手がかりが」

行方不明のまま3年、岡山の中学3年生・梶谷恭暉さん 島でスマホ発見も…母「親名義でも中身開示できず…手がかりが」
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 岡山県倉敷市で3年前、中学3年生(当時)の梶谷恭暉(みつき)さんが行方不明になった。祖母に「おばあちゃん、元気にしていますか?梶谷恭暉です。宿題とか結構やらなきゃいけないことが多いけど日々頑張っています。そちらも頑張ってください」という優しいメッセージを送った6カ月後、突然行方がわからなくなった。それから3年、いまも行方不明のままだ。

【映像】恭暉さんのスマホが発見された場所(実際の映像)

 恭暉さんの母親は「何か手がかりがほしいとチラシを配って、声をかけて回っていたけど、3年で帰ってこないとなると、いつか帰ってきてくれるだろうと思って待つしかない。もう手がかりが何もない」と語る。

 2022年11月13日14時30分ごろ、恭暉さんは「塾に行く」と言って家を出た。母親は「中学校3年生で高校受験を控えていた。塾に行って自習室で勉強したりは普通のことだったので」と振り返る。

 17時30分ごろ、母親に「18時ごろ帰る」とメッセージが届いた。その時間になっても帰ってこないため、19時前に「まだ帰らんの?」と返したが、既読にはならなかった。

「恭暉の大好物の唐揚げを作って待っていた。夜になっても帰ってこないので、居そうなところ、公園や商業施設、ゲームセンターなど全部探しに行ったがいなくて……」(母親)

 警察の捜査によって、行方不明になった日の足取りが確認されている。母親は「駅に向かう前に、防犯カメラに映っている」と語り、公表された写真で恭暉さんは、黒い服に灰色のズボン、傘を持っている。JR倉敷駅から電車に乗り、在来線で1時間以上もかかる広島県の三原駅に移動したとみられる。

 母親によると、当時の所持品は「カバンも持っていない。持っていたのは、お財布、携帯電話、『ONE PIECE』の当時の最新刊と文庫本」だという。

 恭暉さんは過去に一度、勉強に疲れた時期もあったが、気を入れ直して受験勉強に励んでいる。少なくとも母親にはそう映っていた。「部活はバスケ部で、よく頑張っていたと思う」。塾と部活に力を入れ、漫画や音楽ゲームも好きだったという。

 恭暉さんには2歳下の妹がいる。当時小学6年生で、いまは中学3年生になった。「ケンカは誰が聞いても普通の内容。(原因は)お菓子の取り合い。仲いい時は趣味の話をする。優しいところもあれば、良いところもあるお兄ちゃん」と妹は語る。

 行方不明になる8カ月前の動画には、妹が電子オルガンで誕生日の曲を弾き、恭暉さんがケーキの火を消す様子が残されている。

 母親がとある色紙を見せてくれた。「これは卒業のお祝い。結局、中学の卒業式に行けていないので、同じクラスのみんなが寄せ書きを作ってくれた」という。クラスメイトからは「梶谷さんのツッコミがキレキレで話していて、とても楽しかった」「面白くて他人思いなところが素敵です。帰ってきたら顔見せてね」といった言葉が寄せられていた。

 母親は「後悔はいっぱいある。本人が悩んだり苦しんだりしていることを気づいてやれなかった。寄り添って話を聞いてあげたり、何か対応できることがあったのではないか」と話す。

  恭暉さんが確認された広島県三原市に向かった。「恭暉の姿が防犯カメラに映っているのが、この道を歩いているのが最後」。防犯カメラで確認されたのは、JR三原駅から徒歩5分ほどの三原港が最後とされている。服装はJR倉敷駅周辺の防犯カメラ映像と同じだったそうだ。

 母親が知る限り、三原市は恭暉さんにとって土地勘がない場所だ。母親はここでも必死に捜し続けた。「捜査も行方不明では事件の扱いにならない。自分で恭暉が通った道にありそうな防犯カメラを全部確認して、警察から防犯カメラのチェックをお願いしてもらって。地道な作業をした。わたし以外に誰もやる人はいない。捜査ができる証拠を見つけるために、防犯カメラの証拠探しをしていた」。

 三原港から船で約30分の場所に、瀬戸内海に浮かぶ生口島がある。人口約8000人のレモンが名産の島だ。実は行方不明になった翌日、この島の橋の上で、恭暉さんのスマートフォンと漫画が発見された。

 母親は「頭の中、真っ白になった。第一に橋の上から飛び込んだのかなと思ったが、海上保安庁も出てくれて、船が3艘、飛行艇が1機、3日間かけて探してくれたが出てこなかったので、『海に身を投げた可能性はない』と」と振り返る。海上保安庁の捜索では、海に転落した可能性は極めて低いと説明を受けたという。

 スマホの中身は見られず、「いくら親が契約者であっても、子どもが使っているものの中身の開示はしてくれなかった。事件だったら警察から開示できると思うが、事件ではないので、手がかりが携帯の中にあるかもしれないのに中身が見られない」と嘆く。

 母親は恭暉さんが立ち寄った可能性があるすべての駅で降りて、防犯カメラの確認をしてきた。警察によれば、目撃情報は3年間で約190件、今年は12月6日時点で11件にとどまっている。それでも、目撃情報があった場所や、大阪・西成の炊き出し会場などでもチラシを配り、情報提供を呼びかけてきた。「3年前と変わらず、手がかりが全くない。何回も探すのをやめようと思った。(来年)3月で成人になるので、『顔見たいな、声聞きたいな』というのはずっと変わらず……」。

 恭暉さんは、なぜ行方不明になったのか。何かの事件に巻き込まれているのか。それとも、自分の意思でいなくなったか。家族はいつまでも帰りを待ち続けている。

 妹は「今は生きているか生きていないかぐらいは知りたい。お兄ちゃんもお兄ちゃんで思うことがあったから、今の状況になっているのかなと思う。帰ってきたら、ちょっとは怒るけど、話したいことがたくさんある」と明かした。

 母親は、恭暉さんの同級生の部活動を見に行くことがあるそうだ。「その子達を見ていると、恭暉を見ているみたいで、恭暉に会いに行っているような感じがする。自分の子どもが行方不明になったという、つらい現実を受け止めるのと、その子達を通して恭暉がこれぐらい大きくなって、こういうことが出来て、成長しただろうなというのを見せてもらったりして、受け入れていくしかない」。

 恭暉さんは、保険証など身分を証明するものは持っていないという。母親は、警察にDNAを採取してもらっており、身元不明の遺体などが見つかれば、自動的に検知されるシステムに登録しているが、これまでに合致したという情報は寄せられていない。

 情報提供は倉敷警察署(086-426-0110)で受け付けている。

(『ABEMA的ニュースショー』より)

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