太平洋戦争のきっかけとなった真珠湾攻撃から84年の8日、攻撃を指揮した山本五十六の故郷・新潟県長岡市で鎮魂の花火が3発打ち上げられた。
鎮魂と平和を願う花火打ち上げ
長岡市で8日、3発の花火が打ち上げられた。
「12月8日の開戦の日を私たち大勢の人が忘れかけていますので、せめて長岡から世界に向けて、この日が開戦の日だと忘れないでほしい。そして二度と戦争がないようにと願って花火を打ち上げています」
12月8日は太平洋戦争開戦の日。その口火を切った真珠湾攻撃を指揮したのが、長岡出身の山本五十六だ。
この歴史を忘れないため、そして悲劇を二度と繰り返さないために、長岡では太平洋戦争の開戦70年目を迎えた2011年から毎年12月8日に平和を願う3発の花火が打ち上げられている。
8月には長岡空襲の犠牲者を悼んで花火大会が盛大に行われるが、12月は「白菊」などシンプルな花火が打ち上げられる。
「白菊の白というのは、赤やピンクとかにぎやかな(色)とは一緒じゃない。亡くなった人を弔うための色」(2016年)
「白菊」を考案したのは、おととし亡くなった嘉瀬さんだ。出征し、シベリア抑留を経験した。
米ホノルル市交流の架け橋に
嘉瀬さんが作った「白菊」は、長岡市とハワイ・ホノルル市を結ぶ架け橋になった。
空襲で1489人が犠牲になった長岡市は、ホノルル市と歴史の理解を深めることが次世代の平和につながると、2007年から交流を深めてきた。
そして戦後70年となった2015年には、真珠湾で「白菊」が打ち上げられた。
「最初は(花火の打ち上げは)ちょっと怖かったですよ。反発があるんじゃないか。でも、アメリカ側もこの花火は、長岡とホノルルの共同で対等な立場で亡くなった人への鎮魂と平和への願いを込める花火だと理解していただいたので、白菊を見てその大きな力が、花火の美しさの力があったと思います」
12月に打ち上げられる2発の「白菊」は、戦争やテロの犠牲者への鎮魂。もう1発は、世界平和への願いを込めた「金冠(きんかむろ)」だ。
打ち上げる花火師たちは、嘉瀬さんが残した「世界中の爆弾をすべて花火にかえよう!」という言葉を合言葉にしている。
「平和を願う思いが次世代へ」
今年で戦後80年、多くの人が花火を見ながら祈りを捧げたのではないだろうか。
長岡市とホノルル市の交流は、およそ20年前に始まったという。
2007年8月、当時、長岡市の市長だった森さんは、ホノルル市で行われた日米市長交流会議に出席した。
その際、ホノルル市の当時の市長のハンネマンさんと話す機会があり、森さんは自ら山本五十六の出生地の市長であることを切り出したそうだ。
そのうえで「両市が互いに理解を深めることは日米友好の発展に貢献できる。平和をテーマに市民交流を行いたい」とハンネマンさんに伝えたという。
森さんの提案にハンネマンさんは快諾し、これをきっかけに両市の交流が始まったという。
2012年には長岡市とホノルル市は姉妹都市を締結し、その後もそれぞれの市の中学生が互いに訪問し合うなど、若い世代を中心に交流が続いている。
長岡市の名物である花火は、姉妹都市を締結した2012年にホノルル市の海岸で打ち上げられたほか、毎年3月に開催される「ホノルルフェスティバル」でも打ち上げられている。
ホノルル市との交流について、森さんは「長岡の花火は非常に美しいし、インパクトもある。ホノルルの方に長岡の花火を見て頂いて、市民同士の距離を近づけた役割は大きかったと思う。交流を通じて平和を願う思いが、次の世代へと長く引き継いでいければ」と話した。
(「大下容子ワイド!スクランブル」2025年12月9日放送分より)








