インドネシアでの修学旅行中に起きた万引き事件の動画拡散から、身近なマナー違反の告発まで、現代社会において「SNSさらし」は日常的な光景となりつつある。誰でもカメラを持ち、瞬時に世界へ発信できる時代、その行為は「正義」なのか、それとも「私刑」なのか。「ABEMA Prime」では、実際に投稿を行った当事者や専門家を交え、デジタル時代の新たな課題について激論が交わされた。
【映像】SNSでさらされたルール違反の鉄道ファン(実際の様子)
■修学旅行の万引き動画が世界へ拡散 一生消えない代償

先日、修学旅行で海外を訪れていた日本の高校生数人が、現地の店で万引きを働くという事件が起きた。事態を重く見た学校側は公式に謝罪し、「生活指導のあり方を真摯に見直す必要がある」とのコメントを発表している。
しかし、騒動をさらに拡大させたのは、被害を受けた店舗が公開した防犯カメラの映像だった。この映像はSNSを通じて瞬く間に拡散され、高校生たちの顔が世界中にさらされる事態に発展した。ネット上では「世界中に顔がさらされるとか人生終わり」「万引きで一生後悔するはめになったな」といった厳しい声が相次いだ。若気の至りでは済まされない「デジタルタトゥー」という重すぎる代償について、日本国内でも「SNSさらしの是非」を問う議論が加速している。
番組には、実際にSNSでマナー違反などを指摘する投稿を行っている、やきめしおさんが出演した。やきめしおさんは、ボランティアで駅前の清掃活動などを行っている立場から、若者のグループによるポイ捨てや歩きタバコの現場を撮影し、SNSに投稿した。
その投稿の意図については「将来を担う学生さんたちへのメッセージというか、もっと品位を持ってほしいという意図で投稿した。週に何回か駅前に出て夜に清掃活動をしているが、その中でコンビニの前でたむろしてタバコを吸ったり、お酒を飲んで騒いだりといった状況があり、注意喚起という意味も込めてSNSに投稿した」と述べた。
この「世直し」とも取れる行動に対し、出演者からは多様な反応が上がった。2ちゃんねる創設者・ひろゆき氏は「抑止力」という観点から、むしろ肯定的な見解を示している。「法が完璧ではない部分を、さらしという行為によって補っている面もある。万引き犯をさらす本屋と、さらさない本屋ならば、子どもたちはさらさない本屋の方に行く。さらす方が、結果としては抑止力になる」。
一方、笑下村塾代表・たかまつなな氏は、さらし行為そのものが持つリスクと不確実性に懸念を抱いている。「ネットの世界は被害者と加害者がいつ逆転するかわからない。自分が正義感を持ってやった中でも、実はグループの中に注意していた人がいたかもしれない。自分から見える事実と別の事実がある可能性もある。さらすことで、逆に(さらした)本人に大きな被害が来てしまうかもしれない。使い方は本当に慎重になった方がいい」。
■識者が警鐘を鳴らす「野放しの正義」のリスク

SNS上のトラブルに詳しいライターの武藤弘樹氏は、現在の「さらし行為」が社会的に議論されないまま拡大している現状に強い危機感を覚えている。さらし行為がもつ構造的な問題に「さらしについて、そもそもみんなで真剣に考えてこなかった。あまりにもたくさんあるのに、現状は野放し。確かに目の前でポイ捨てをされてムカつく心情は理解できるが、顔が映った状態でさらしてしまうと、バズった時に制裁が人の手を離れてコントロールできなくなってしまう。群衆心理でどんどん騒動が大きくなり、際限なく先鋭化していくリスクがあるため、どこかで線引きをしておく必要がある」と指摘した。
法的なリスクについても議論が及んだ。たとえ相手がマナー違反を犯していたとしても、個人の顔や情報を拡散する行為はプライバシー侵害や名誉毀損に問われ、刑事的な罰則や民事的な損害賠償を求められるリスクがある。やきめしおさんは「顔が特定できないような距離感や考慮はしているつもり」と述べているが、武藤氏は、一度拡散が始まれば投稿者の意図を超えて「過剰制裁」が起こりやすい仕組みがあることを強調した。
■「監視社会」をどう生きるか SNSとの向き合い方

出演者たちは「誰もがカメラを持っている」現代社会の在り方についても考えを巡らせた。近畿大学 情報学研究所 所長・夏野剛氏は、公的なルールの限界を指摘しつつ、新たな仕組みを提案する。「法律があっても、警察の目が届かないところでは『わからない』で終わってしまう。ある一定の抑制効果、特に万引きなどの犯罪に関しては必要だと思う。ただ、さらすのではなく、例えば駐車違反などのデータを公的な機関に対して直接出せる仕組みを、社会の中に組み込んでいくという方法論はあってもいい」。
また、哲学者・森脇透青氏は、テクノロジーが生んだ「新しい不安」について次のように述べた。「スマホが出てきて、全員が監視カメラを持っているような状態になった。かつて監視カメラが導入された時は『自由とのセットで本当にいいのか』という議論があったはずだが、今はセキュリティが強くなりすぎて、一人で放っておいてもらえる自由が忘れ去られすぎている。今の社会はデジタルタトゥーによって失敗ができない相互監視の状態になっており、非常に生きづらさを感じる」。
議論を踏まえひろゆき氏は「自衛手段として、さらすぐらいしかないという時代になりつつある。ただ、さらしすぎればさらした側が叩かれるという自浄作用もネットにはある。結局、何が面白くて何がまずいのか、議論を通じて社会が学んでいくレベルの話」と述べていた。 (『ABEMA Prime』より)
