12月13日、東京・世田谷区で「世田谷一家殺害事件」の解決を願う集会が開かれた。発生から25年がたち、当時は生まれていなかった生徒たちも参加し、解決に向けた世代を超えた連帯を強めた。いまだ犯人の手がかりさえつかめていないが、希望もある。26年目で容疑者逮捕となった「名古屋主婦殺害事件」の被害者遺族、高羽さん親子の戦いが一筋の光を照らす。
残忍な犯行と、犯人の不可解な行動。犯人は多くの証拠を現場に残しているが、いまだ解決には至っていない。事件解決に向けて、遺族らとともに活動を続けてきた中心人物が、元警視庁・成城警察署署長の土田猛氏だ。発生直後から事件に関わり、所轄の警察署長として捜査を指揮。在職中すべてをこの事件解決に費やした。
土田氏は、事件発生から7年後の2007年に未解決のまま定年退職しても、一貫して遺族の立場に立ち、遺族に寄り添い、風化はさせないと活動を続けてきた。殺人事件被害者の会「宙(そら)の会」を結成し、殺人罪の時効撤廃の実現をけん引した。
退職後も遺族に向き合う理由は、「警視庁から託された立場、そのことが解決に至らなかった。しかも事件そのものが、これだけ多くの証拠が残っている。それで警視庁をあげて捜査をしても解決に至らない。なんとしても、辞めたからと言って『後進に譲ります』というわけにはいかない」と説明する。
2000年12月30日、世田谷区上祖師谷の住宅で、宮沢みきおさん(44)、妻の泰子さん(41)、長女のにいなさん(8)、長男の礼くん(6)が何者かに殺害された。礼くんは首を絞められ、残る3人は何度も刃物で切りつけられていた。
死亡推定時刻は、被害者の胃の内容物などから、30日の午後11時30分頃と推定されている。中2階にある浴室の窓の鍵は施錠されておらず、網戸も外されていたため、犯人はここから侵入したとみられる。
犯人は中2階で寝ていた礼くんの首を絞めて殺害。次に1階にいたみきおさんを刃物で刺し、最後にロフトにいた泰子さんとにいなさんを殺害したとみられる。にいなさんの歯が2本折れていたのは、犯人に殴打されたからだと推測される。
犯人の異様性は、殺害後の行動に表れている。家中のタンスを引っかき回し、なぜかその引き出しの1つを2階まで運び上げ、中の物全部を浴室の浴槽内へ投げ込んでいた。水を張ったままの浴槽には、泰子さんとみきおさんの財布や仕事関係の書類、家の鍵、切り刻まれた広告チラシ、犯人が止血に使ったとみられる生理用品や、血を拭ったとみられる白いタオルも投げ込まれていた。
さらに、泰子さんのハンドバッグを2階トイレへ持ち込み、便座に座って用を足しながら物色。冷蔵庫のアイスクリームを食べ、みきおさんのパソコンを使った形跡も残されている。
現場には、犯行に使ったと思われる包丁や、脱ぎ捨てていったジャンパー、トレーナー、帽子、ヒップバッグ、マフラー、手袋、2枚の黒いハンカチといった遺留物が残されていた。犯人がつけていた香水や履いていたスニーカーも特定されている。
警察は現場に残された多くの指紋や血痕を元に捜査した。DNA型の解析は人権や法制度の面で困難を極めながら、後に犯人の属性などが解析結果として判明した。しかしその後の進展は今も見られていない。発生から25年、事件現場となった自宅には、凄惨な事件の証拠の数々が今も保管されている。
事件以来、その地域一帯では防犯カメラの数が増えた。その導入に奔走したのが土田氏だ。署長になった土田氏は、定年までの1年半、事件解決に専念。まず着手したのは防犯カメラを増やすことだった。1日70件ほどあった110番通報を減らせば、署員たちが捜査に没頭できるはずとの考えだった。
1台あたり月1万円のリースで、信号のある交差点などに、あわせて400台設置し、管内での事件数は大幅に減ったという。しかし、警察行事のほとんどを事件解決に費やしたため、地域住民からは「事件を解決できる見込みはあるんですか?あるならそのまま続けてください。でもないなら、もう少し交通安全など住民のために活動してください」との苦情も出た。
それでも事件は解決しなかった。土田氏は2007年に定年退職。遺族の無念を晴らせないまま去って行くことが、刑事人生で最大の悔いだったという。
土田氏は「多くの殺人事件は、怨恨なのか、物盗りなのか、だいたい現場の状況等から推察できる。しかしこの事件は未だに『なぜ宮沢さん宅を狙ったのか』『なぜ21世紀になる24時間前の犯行だったのか』、現場の状況も『どこから入り、どこから出たのか』など明確な状況判断ができていない。動機がつかめていないところが、捜査の混乱性をいまだに高めている」と説明する。
犯人をめぐっては「日本人ではないのではないか」との指摘もある。「私がこの事件に接したのは、鑑識課の検視官の時だった。当日は別の用をしており、死体の解剖には立ち会わなかったが、解剖写真の報告を受けた時、直感的に『殺し方が日本の文化・教育を受けた人間ではない』と感じた。被害者をいたぶるような傷の付け方で、『これは日本文化の影響を受けた人間の仕業ではなく、やはり外国人の感覚だ』」。
そして「外事警察に携わった関係で、グローバル的な感覚で考えると、21世紀に変わる24時間前の犯罪であることに引っかかった。単に日本国内の犯罪にはとどまらない感覚を受けた」と振り返る。
犯行後の不可解な行動については、「犯人の動機や意図がわからない。柳刃包丁まで持って入ったから、殺害目的があった。その目的を達したら早く立ち去るのが、普通の殺人事件のパターンだ。それを現場に残ってアイスクリームを食べる等の行動についてはやはり不可解という一点だ」と語る。
浴槽に物を投げ込んだことには「何か目的があって物色した可能性もあるが、私の考えでは時間調整として犯行後長時間とどまったのではないか。すぐ立ち去るより、ある時間まで待つことも考えられる。私の思いとしてはこの犯人は『さらば日本』『さらばこの世』のどちらかではないか」と推測する。
「12月31日、翌日は元旦というタイミングで『自分は日本から離れるよ、だから日本の警察は俺に迫れない』との思いがあったとするならば、日本から離れるまでの時間調整、ということも考えられる。『さらばこの世』と自分の目的を達した後、命を絶つことも考えられる。しかし、そうした理由で犯行を犯す人間は、前段で似たような事件などの兆しがあってしかるべきで、終わった後も『犯行をやったよ、達したよ』と示してから、この世を去ると考えられる。4人を殺した人間が、自ら命を落とす感覚になるかというと、その可能性は低い。『さらば日本』の感覚で、長くとどまったと考えられるのではないか」
多くの遺留品や指紋が残されているのに、未解決な理由について「当初の捜査は指紋があったため、『照合や収集をすれば、必ずこの事件は解決するだろう』という観点から、一つに集中的な捜査に入った。その結果、本来行うべき基本的な捜査が薄くなってしまった」と指摘する。
また、土田氏は犯人は宮沢さん宅の状況を知っている人物ではないかとみている。「建物の状況からして、一般的に考えると、屋根は2つの尖りがあって分かれていて、外壁は隣の家と一緒に塗られている。普通に見ると一軒の建物に見える。玄関は2つに分かれているけれど、中の廊下で繋がっているのではないかと思われるような建物。みきおさんが1階でパソコンをしていたので、犯人はガラス窓を通して明かりがついていることを承知の上と。そういう中、なぜそこに入ったのか、どういう入り方をしたのか。断定的なことはわかっていない。犯人は十分家族の状況、建物の状況を承知した上で犯行に及んでいると推察している」。
証拠に関しては「最初から犯人は手袋をせずに犯行に及んでいる。普通に考えれば、殺人と、その後の警察の捜査を考えると、証拠を残さないために手袋をする。最初から指紋を付けているということは、(警察が)迫りきれないという自信めいたものがあったのだろう」と考える。
肝心の犯行目的については「動機が不明で、私自身もこういう犯行目的だ、動機だとは判断しかねている。日本人の犯行だとすると、ある程度は何らかの形で動機を絞れる。しかし仮に、外国の教育を受けた人間の犯行となれば、日本の文化や考え方とは異なる点も出てくるため、私自身も目的が絞りきれていない」と語った。
情報提供先 警視庁成城警察署 03-3482-0110
(『ABEMA的ニュースショー』より)
