親の社会的・経済的状況によって、学校外の習い事、旅行やキャンプ、自然・芸術鑑賞、スポーツなど、子どもが体験できる機会に格差が生じる「体験格差」。三省堂の『今年の新語2025』にランクインするなど社会問題化する中、自治体、NPO団体、民間企業などが結集し、力を合わせて活動の幅を広げていくための新たなコンソーシアムが立ち上がった。今回の取り組みは、子どもの成長にどのような意義をもたらすのか。「ABEMA Prime」では発起人の一人であるリディラバ代表の安部敏樹氏や、教育現場を知る荒井優衆議院議員らとともに、体験が持つ真の価値と是正への道筋を考えた。
■体験格差が生み出すものは

今回の取り組みについて安部氏は、体験を通じて育まれる能力の重要性に触れた。「体験価値が高まっており、コミュニケーション能力、自立心、主体性、協調性のような能力が非常に重要であるにもかかわらず、体験を通じてしか得られないことがだんだんわかってきた」。
安部氏が危惧するのは、この体験の有無が、単なる思い出の差にとどまらず、将来の進路の分岐点に直結している点だ。「今、(大学に)一般入試で入る生徒というのは半分いない。だから大学はそもそも体験を前提としている入り口になっている」。
かつて高校の校長を務めていた荒井優氏も、今の時代が「偏差値主義」から「経験主義」へとシフトしていると分析し、体験が子どもに与える影響について語る。「学校の教育は、世の中の方向性が決まってる時は偏差値主義になりやすい。今のような時代がどう変化していくか分からなくなると、たくさんのことを経験させる経験主義になる。今すごく経験主義になっていて、そこに体験している・していないという『体験格差』という言葉をみんなが気にしている」と述べた。
■子どもをどう体験させるか

スタジオでは、体験を単なる「機会の提供」で終わらせないための課題についても議論が及んだ。EXIT・兼近大樹は、自身の幼少期の経験から、体験の「入り口」における視点を提示した。「5歳、6歳までに『楽しいよ』と言って教えないと『やってください』と言われたことは、全部勉強だと思う。修学旅行にしろ何にしろ、『あ、これ全部勉強だ』と。僕は水泳なんて学校の授業でしかやったことがなかったので、ただの勉強として見ていたので嫌だった」と、早い段階で興味を持たせる意義について触れた。
落語家・桂枝之進も、子どもや親のモチベーションについては、深く追求する。「間口が広がって体験格差がなくなり保障されたとして、その先にモチベーションにも格差がある。子どもたちがそれをやりたいと思うか、続けたいか、外に出たいか、どこか行きたいか。それは親のモチベーションでもある。親がそもそも小さいころに外に連れ出していたか、そもそも親が外に出たいと思っていたかに影響を受けると思う」。
その上で体験をすることの重要性には同意しており「何か新しい体験をした時にそれを面白がる力、要は教養があれば新しいものを面白がることができる。それも、いわば教育格差みたいなものに繋がってくる」と、経験格差を埋めることと同時に、教育格差にも連動していくものだと訴えた。
■ミニマムアクセスから始める体験の保障
議論を重ねた中で、荒井氏は改めて「体験格差」という言葉を重く受け止めがちである状況を整理し、小さなところから始めることの意味を説明した。「『体験格差』と難しい問題に捉えがちだが、僕はミニマムアクセスがあっていいと思う。たとえば地域が保障している体験には、町内会の夏祭りがある。親に連れていってもらって、ヨーヨーを買ってもらったり、自分で買ったり。ミニマムアクセスとして、新幹線に乗る必要があるのか、夏祭りに関してはどうなのかといったことを、まさに議論するためにプラットフォームができた」。
また安部氏も今後進めていく活動について、体験に優劣をつけずに進めていくことを強調しながら説明した。「我々は体験に優劣をつけないとずっと言い続けてきたので、いろいろな団体さんが乗っかってくれたのが大きい。基本は福祉から入り、厳しい子には『あなたは悪くないよ』というところから始めて、その出口は教育であるべき。つまりしっかり安心・安全になって社会に対して信頼できる状態になったら自立をさせることになるが、その自立に関して非日常的体験がすごく向いている。ただ、その手前の日常的な伴走の方が大事なので、我々のような大人、もっといえば近くにいるおじさん、おばさんが子どもに対して『あの子に必要な体験はこれだ』とパッと閃ける社会になる方がいいし、そういう知識をみんなで広げていければいい」。 (『ABEMA Prime』より)
