栃木県の県立高校で撮影されたとされる生徒間の暴行動画がSNS上で拡散され、社会に大きな衝撃を与えている。動画には、県立高校のトイレで去年12月に撮影されたとみられる、1人の生徒が複数人に囲まれ、別の生徒から一方的に殴る蹴るの暴行を受ける様子が映し出されていた。この動画が4日から急速に拡散されたことを受け、警察は暴行事件として捜査を開始。栃木県教育委員会の大高栄男教育次長は7日の会見で、「被害に遭われた生徒及び関係者の皆様に対しまして、深くお詫び申し上げます」と謝罪し、事案を「いじめに該当し得る」と判断して調査を進めている。「ABEMA Prime」では、この動画を第三者がネット上に「晒す」行為の是非について、議論が交わされた 。
■「晒し」は解決へのスピードを早める「必要悪」か

ネット上でマナー違反者の動画投稿などを行ったことがあるやきめしお氏は、今回の動画拡散について、「これまで見えてなかった教育現場の実態が、見えるようになってきている」と、その透明化の側面を評価する。同氏は、「今回だと、知事らがすぐに問題をキャッチして教育委員会に指示するといった動きが取れたという目線では、SNSやネット社会が評価されてもいい部分ではないか」との持論を展開した 。
この意見に対し、ジャーナリストの鮫島浩氏も、既存の相談ルートが機能していない現状を指摘する。 「現実問題、先生に相談したらいじめがなくなるのか」と問いかけ、「学校現場でも証拠がわからないものは、『いじめられています』と言っても、ちゃんと先生なり学校が取り扱っているかというと、たぶん多くの子どもは『言ったって受け入れてもらえない』と考える。それなら晒してしまった方が、世間が大騒ぎになって初めて動いてくれるという積み重ねが来ている」と、不信感が晒しを加速させていると分析した。
やきめしお氏はさらに、解決の「スピード感」の重要性を強調する。「警察にお願いをすると、そこから被害届が受理され、捜査チームが作られ、捜査や聞き取りに時間がかかる。そうなると、暴行が起きた事実がどんどん時間の流れとともに、だんだんと世の中から忘れ去られていくのではないか」と懸念を示し、ネットの力によって「明日救われるかもしれないという使われ方がされるべき」と主張した。
■「法治国家の崩壊」と被害者の尊厳

一方で、晒し行為に対して警戒心を示したのが、タレント・あおちゃんぺ氏とコラムニスト・小原ブラス氏だ。あおちゃんぺ氏は、「晒した人も加害者になってしまう。いじめも晒しも私は犯罪と見ている。そうなると、どっちも加害者のはずなのに、なぜか晒しの方だけは『いいよね』という感じになっているのが不思議。犯罪を抑止するために犯罪をしていいとなると、もう法治国家が機能しなくなる」と訴え、第三者が「何も知らない外野が決めて拡散するのはいかがなものか」と述べた。
小原ブラス氏は、拡散が「被害者のため」という名目で行われることの矛盾を突く。「拡散されている動画の中に被害者の子も顔が映っていて、僕なら自分が殴られていじめられている映像があんなに拡散されるのは、いくら自分のためを思ってやられているとしても嫌だ」と被害生徒の心情を慮った。さらに、「自分が殴られている映像が一生ネットに残っているのが耐えられないという人もいると思う」と、デジタルタトゥーが被害者に与える永続的な苦しみを警告した。
■専門家が指摘する「捜査へのマイナス」と「教育の役割」

元埼玉県警捜査一課の佐々木成三氏は、警察組織の視点から、ネット上での晒しがむしろ法的な解決を遠ざけるリスクを指摘した。「こうした動画が公に出ることは、捜査に大きなマイナス。この動画は証拠になる」と明言する。その理由は、加害者が動画を見てから供述を用意できてしまうためだ。「証拠を突きつける前に、取り調べる側がその供述を用意できる。例えば『これはゲームでした』と言われてしまった時に、それを打ち消す捜査ができるかどうか。動画が公になることで捜査のマイナスになり、立証ができるかどうかという大きなポイントになる」と、立証を困難にする実態を解説した。
また、動画をネットに晒すのではなく、「もしこの動画を撮ったのであれば、学校や警察に提出してもらいたい。これなら被害者を守る一つの証拠になる」と、正規のルートでの解決を強く促した。
■正義の暴走が「無敵の人」を生む懸念

各出演者の意見を踏まえ、EXITの兼近大樹とりんたろー。は、ネット社会の感情的な制裁がもたらす長期的な影響に懸念を示した 。りんたろー。は、個人情報や親、家までの情報を流してしまうことで「更生の道をバシッと断っている気がする。今の時点でめった打ちにして立てない状態にしてしまうのは、目先の物にとらわれすぎている。結果として『無敵の人』を製造しているのではないか」と、社会的に抹殺される危うさを指摘した。
また兼近は、動画という一瞬の切り取りだけで善悪を判断する怖さを、自身の過去の経験を交えて語った。かつて、いじめを止めようとして割って入った際に、自身が「加害者」として謝らされた経験があるという。その後、いじめ被害者の同級生が先生に申告したことで、その”濡れ衣”は晴らされたという。「知らない人が勝手に入ってきて、事情を知らない状態でその構造を晒したら、誰が悪者になっていたかわからない」と述べ、断片的な情報で正義を振りかざし、全員で1人をいじめる構図が出来上がる現状に警鐘を鳴らしていた。 (『ABEMA Prime』より)