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2026年1月13日 16:00

浅草に江戸の名残“会えるアイドル”浅草寺周辺にいた!?大ブームになった動物とは?

浅草に江戸の名残“会えるアイドル”浅草寺周辺にいた!?大ブームになった動物とは?
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2026年の正月三が日は、東京・浅草の浅草寺に約300万人が訪れ、賑わいました。

そこで、意外と知らない浅草の江戸時代の名残りに注目します。

そして、江戸時代にブームとなった超重量級の人気者についても見ていきます。

■浅草寺の賑わい江戸時代から 盛り場発展 背景に『火事』

日本有数の初詣スポット東京・浅草の『浅草寺』は2026年も大混雑しました。

参拝者は正月三が日で、約300万人でした。

日本最古の商店街の一つ、仲見世は1685年頃、江戸の前期に誕生しました。
浅草寺は付近の住民に対し、境内の清掃を課すかわりに、店を出す許可を与えました
これが仲見世の発祥と言われています。

江戸時代の仲見世は当時からおもちゃや菓子、土産品などの店舗が並びました。
歌川広重の錦絵にも 大勢の人が描かれています。

浅草のシンボル『雷門』の正式名称は風雷神門と言います。
雷門は創建以来、焼失と再建を繰り返してきました

巨大な提灯についてです。

江戸後期の1795年ごろから提灯の奉納が行われるようになったということです。
『雷門』と書かれた提灯は、1960年にパナソニックHD創業者の松下幸之助さんが奉納したものです。

ここで、クイズです。
江戸時代の雷門の提灯に書かれていた文字は何でしょう?

正解は…
『志ん橋(しんばし)』でした。
当時の錦絵を見ると、雷門の提灯に『志ん橋』と書かれています。
これは東京・新橋の芸者さんが奉納した物だそうです。
宣伝目的で使われることもあったということです。

浅草寺の北西一帯には、奥山と呼ばれた地域があり、江戸きっての庶民娯楽の場でした。
芝居、見世物小屋、軽業など江戸庶民を楽しませていました。

なぜ庶民の娯楽の場になったのでしょうか。

歴史学者で東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんです。
「江戸時代は火事が多く、幕府は延焼を防ぐために浅草周辺は壊しやすい建物しか認めなかった。そのため簡素な作りである『芝居小屋』や『見世物小屋』が増えて栄えた

盛り場の流れを継いで、明治の終わりごろから映画館が立ち並び、東京屈指の歓楽街が形成しました。

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■“会いに行けるアイドル”人気の『お仙』ライバルは『お藤』

江戸にも、会いに行けるアイドルがいました。

浅草寺周辺には、参拝者が休息する『水茶屋』、現在の喫茶店が立ち並んでいました。

水茶屋では接客する看板娘として茶屋娘を置いたことから、 特に男性が茶屋娘を見たさに水茶屋を訪れるようになりました
当時の、会いに行けるアイドルでした。

浅草寺の境内には、20軒の水茶屋がありました。

看板娘に惚れ込んで 朝から晩まで茶を飲み続ける客もいたため、
『おおたわけ 茶店で腹を 悪くする』
と川柳にも詠まれるほどでした。

茶屋娘の中で最初の人気者は、お仙という女性です。
東京・谷中の笠森稲荷の境内で働いていました。
美しい姿で多くの人々の目に留まり、稲荷よりも『お仙』見たさに訪れる人が多かったとも伝えられています

その『お仙』のライバルと言われたのが、お藤という女性で、 浅草寺境内のはずれにあった『柳屋』で働いていました。
店で働いていたのが春から初夏にかけての短い期間でしたが、 『お仙』のライバルと言われました

本郷さんです。
「料金は、『客が決める』というもので、今の1円でもよかった。しかし江戸庶民は看板娘に顔を覚えてもらうためにお金をはずんでいた
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■超重量級あの動物が空前のブーム 天皇に拝謁 官位授与も

そして、江戸時代の浅草には、人気の動物がいました。

江戸時代、見世物は大衆の代表的な娯楽の1つでした。
両国や浅草の周辺にはたくさんの見世物小屋があったといいます。

中でも珍しい動物が人気でした。
その理由は、海外から来たヒョウやラクダなどの珍しい動物は、開帳の神仏を拝むのと同じように厄払いになり、疫病などを避けられる御利益があると考えられていたからです。

クイズです。
江戸時代は珍しい動物が人気でしたが、中でも 大ブームとなった動物はなんでしょうか?

正解は…
象です。
きっかけは1728年、第8代将軍徳川吉宗が、ベトナムから取り寄せたことです。

1728年6月13日、船で日本へやってきました。
オス、メス、1頭ずつが長崎の出島に到着しました。
メスは9月に死んでしまいましたが、オスは長崎で冬を越しました

1729年の3月13日、移動を開始します。

長崎から江戸まで約1400キロの道のりを74日間かけて徒歩で移動します。

街道沿いの村に、お触れがでました。
・通行時は騒ぎ立てない
犬猫をつなぎ留める
丈夫な馬屋を用意。
象を興奮させない細心の注意を払って移動が行われたことがわかります。

4月28日、京都では象が中御門天皇に拝謁します。
社会的な身分がない者が天皇に会うことは 許されないため、この時、象に官位 『従四位』が与えられたといいます。
この日を記念して4月28日は象の日とされているそうです。

道中に名残がありました。

浜名湖北側の引佐峠の坂です。
あまりの急な坂に象が悲鳴をあげたという逸話から『象鳴き坂』と名付けられました。

5月25日、ついに江戸に到着。
徳川吉宗と対面します。
その後、約13年にわたって浜離宮で飼育されました

象ブームでグッズが多数です。

刀のつば。象と象使いがデザインされています。
銃の持ち手。象の顔がデザインされています。

最期はエサ代の問題などで民間へ払下げとなります。
現在の中野区の農民らが飼育することになりました。
見世物として人気になりましたが、1742年に死んでしまいました
当時の飼育されていた場所に、案内板が立っています。

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■隅田川 花見と花火 なぜ名所に?花火の掛け声の由来は…

隅田川の花見です。

きっかけは、もともと川沿いに桜が植えられていましたが、徳川吉宗が増やして、花見の名所になりました。

理由です。
護岸整備などが目的です。
多くの花見客が土手を歩くと、踏み固められて丈夫になることを期待していたと考えられています。

当時の社会背景について、本郷さんです。
「当時は大不況で『質素に暮らしなさい』という倹約令が出ていた。花見はそのストレスの、ガス抜き的な娯楽としての意味合いもあった。花見の時だけ倹約令に反するごちそうもOKだった

隅田川の花火です。

きっかけは1732年、大飢饉や疫病の流行がありました。
徳川吉宗が犠牲者の慰霊祭を開催。
周辺の料理屋が花火を上げたのが『隅田川花火大会』の由来です。

花火の掛け声、「たまやー」「かぎやー」の由来は、江戸時代の有名な花火職人の屋号『玉屋』『鍵屋』です。
玉屋と鍵屋が、川の上下に船を出して競演し、見ている人々が「玉屋あ―」「鍵屋あ―」と声をかけたことが由来です。

現在の鍵屋です。

宗家花火鍵屋15代目の当主は天野安喜子さん、初の女性当主です。
二足のわらじで、柔道の審判員も努めます。
東京オリンピックでは女子63キロ級の決勝などを担当しています。

(「羽鳥慎一モーニングショー」2026年1月12日放送分より)

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