報道ステーションの前身『ニュースステーション』のキャスターを18年間にわたって務めた、久米宏さんが亡くなりました。81歳でした。
時に厳しく、そして痛快に、縦横無尽のスタジオワークで、ニュースの本質に迫る姿は「テレビ報道の革命児」そのものでした。また当時“もの”を使う演出を積極的に取り入れながら、政治のニュースの伝え方をも変えていきました。
政治家と“真正面”から向き合う
誰に対しても物おじしない。それは政治家相手でも同じでした。1987年、当時の中曽根康弘内閣が、防衛費の対GNP比1%枠の撤廃を決定。
「確かに1%突破はそのまま軍拡にはつながりませんが、平和国家の砦であったことは間違いない。破った中曽根総理の名前は、我々は記憶の底にとどめておくべきだと私は思います」
質問もストレートに。
「私個人的にはあまり中曽根さんって方、好きじゃないんですが、幹事長はお好きですか?」
「私は好きとか嫌いとかじゃない。えー中曽根さんに対する、うー」
「やっぱり嫌いなことは嫌い?」
「嫌いっていう…あなた色々繰り返し繰り返し言うけれども」
「えー、ご本人は嫌いと言わないんですけど、私の感触では相当好きではないという感触を得ましたね」
1988年に発覚したリクルート事件に絡み、当時の竹下登総理が退陣を迫られている中でのCM前のコメント。
「1億5000万円ももらう。特定の企業とそんなに癒着した人間が総理大臣でいて、フェアな政治ができるはずがないと小学生でも分かる理屈を、国民は感じているということをお忘れなきように。8対5で巨人が勝っております。ますます腹を立てながら、コマーシャルの後もニュースを」
「今日は捨て台詞なしよって羽田さん私に仰ったんですが、僕はそんなに捨て台詞を言うというイメージ持ってらっしゃるんですか?」
「いやもう…反論ができない時があって、ポッと言われてしまうので」
「そんなこと羽田さん相手に申し上げたことは…」
「いやいや僕が言われたわけはないけど、皆さん“久米さんは怖いぞ”と」
「僕は自民党に嫌われてるんじゃないかと。気が弱いもので」
「金丸先生は好きだよ、あなたのこと」
宇野宗佑内閣がわずか69日間で退陣し、総理候補をスタジオに招いた時は。
「海部さんが総理総裁になったら、これは“竹下リモコン内閣”だと。もう言われていることはご存じですよね?」
「私がリモコンされなきゃいいわけでしょ?」
1998年、自民党の総裁選に際し、候補者だった小渕恵三氏に対しては。
「国民としては一抹の不安が。どんな人だか分からない方が内閣総理大臣にって気持ちがあるんですけど」
「どっちかというと、私は縁の下の力持ちという立場で徹してきましたし、敷いて言えば官房長官の時にですね、ご覧になったかと思いますが、平成という元号を発表したんで、若干は国民の皆さんにもご記憶はあるんですが」
“失礼な物言いだとは思わない”
2001年、自民党総裁選の候補者4人がスタジオに。
「物理的に勝てないということは、子どもが見ても明らかだと思うんです。失礼な質問だとは、僕は思いません」
「ああそうですか」
「帰ろう、帰ろうか」
「いや、帰らなくていいですよ」
「この人は失礼な質問をして、それを怒らして記事にしている訳でしょ」
「ニュースステーションだって聞くに堪えない番組やったって視聴者つくでしょうが」
「僕、政治のことはよく分からないんですよ」
「分からんなら生意気なことやるなよ」
「だから、絶対勝ち目がない戦いに出ていく人の気持ちが分からない。裏に何があるのかと思っちゃう」
「だからそれは下衆のかんぐり」
「もともと下衆だってことは自覚してるから大丈夫です」
「最近よくなってきたが、今日はダメだな」
「で、このお2人が分からないんだ。橋本さんが棚上げだってね、財政構造…」
「そんなことどこで言いました。というよりも、ちゃんと聞いてくださるなら私も説明するけど」
「長くなりそうですか、ちょっと待ってください」
「それじゃ言わせてください」
「みんなで帰りますか」
「どうぞ」
「緊急経済対策の中に構造改革を進めるためにということが入っているんですよ。だからそれをこうやって分けて言わなきゃいけない理由が、私はよく分からない」
「分けること自体ナンセンスだという考えも確かにあると思います」
「私はそう思う。分からないんじゃない。両方ともいるんです。緊急経済対策だけやったって、それで回復するという状況じゃないという。今の景気は」
2003年、自衛隊のイラク派遣に関する会見での、小泉純一郎総理に対しても。
「我らは全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
「小泉さんも憲法の前の文章前文を朗読したんですけど、9条は朗読しないというのはフェアだとは思いません。ニュースステーションを続けます」
“政治”は“風俗”を語るように
スタジオで、中継で、歴代の総理大臣や重鎮のみならず、若手議員をも相手に、当時の政権と向き合ってきました。
「僕は政治に関しては素人なので、政治評論家が使うような言葉は使わないで、ごく普通の言葉でほとんどの政治家の方とお話したんですけど。不思議なもので、僕が普通の言葉で聞くと、向こうの方も普通の言葉で話してくれるように努力をして話してくださったことが多かったように思って、非常に感謝しております。“政治を語る時には風俗を語るように語る”という大宅壮一さんの言葉が私の座右の銘であります」
かつて久米さんは、自らが意見を発することについて、こう説明しています。
「テレビが何ができるかに関わってくるんですけど、やっぱり日本人の1つの欠陥というのは、みんなで同じ方向に向くというのが、まだまだあると思うんですよ。久米宏のような一介のタレントがこれだけのことを言うのか、だったらもっと俺も言ってやろう、じゃあ俺ももっと言ってやろうと、あいつも言うんだ、俺も言おう、あいつはこうだ、俺はこうだということで見て欲しいんですね。それで僕は言っているんです」
政治との“向き合い方”
ニュースステーションにリポーターなどで携わった、元テレビ朝日アナウンサーの渡辺宜嗣さんに話を聞きます。
(Q.久米さんは、時の権力者に対して全くひるまない。むしろ、ある意味おもしろがるようにして、お茶の間の人が聞きたいよねという質問をすらっとしてしまう。あのパワーはどこから来るんですか)
「久米さんにとってみれば、政治家も企業のトップも、組織のトップも、大御所と呼ばれている人も、芸能人もスポーツ選手も皆同じに見ていたんだと思います。人間としてどうなのかという。私がニュースステーションに加わらせていただいた時、最初に久米さんに言われたのは『アナウンサーという肩書きを外してきてね』でした。つまり、アナウンサーとしてニュースを見るのではなくて、1人の人間として、人間・渡辺としてニュースをどう見るか。そのニュースから何を学びとるのか。何をピックアップするのかをやってねと言われたんですね。100人いたら100通りの考え方もあるし、100人いたら100通りのものの見方もある。正解は1つではなくて、今はもっと複雑な時代ですから、もっと正解がいっぱいある時代で。その中で、個人としてどう関わるのか。個人としてどう伝えるのかをやってねと。見ている方には、そうやって見てねと。僕がこう言ったんだけど、これが全てじゃなくて、皆それぞれ意見を持っていいんじゃないのと言うために、自分も意見を言うんだという。キャスターが意見を言うことの是非論はあると思いますが、でも久米さんは自分1人の意見だけども皆さんはどう思いますかと。そこへ向けてのメッセージだったような気がします」
(Q.メディア=反権力という大上段にいくのではないやり方ではなかったと)
「そうではなかったですね」
(Q.呼吸、間合いも含めて視聴者の方に見てもらう。自分の個人的な意見も含めて、相手の反応・出方を含めて、これがニュースなんだと。そんな番組作りだったなと思いますね)
「全部言葉にする必要はないんだよと。例えば、アナウンサーってすぐ言葉にしてしまう癖があるんですけど。そうじゃなくて、何かを言われた時にうーんって考える。そのことが“大きなクエスチョンマークを僕は持ってるんだよ”ということにつながるし、全身でもって表現をする。それを久米さんは体現していらっしゃった方のような気がします。だから今改めて見ると、相当なことをしてるし、反応してますよね。でもそれって、アドリブのように仰ってるように見えるけども、僕は近くで久米さんとご一緒させていただいていて、普段から常日頃から一生懸命考えてらっしゃって。恐らく久米さんは朝起きてから寝るまでずーっと番組のことを考えてらっしゃった方なんじゃないかなと。夜もなかなか寝付けないと伺ったこともあります。色んなプレッシャーの中で、特にテレビ放送の黎明期というか、色んなことをチャレンジしていく時代に、久米さんは様々なことをチャレンジしながら、普段から考えているから、それが当意即妙に話しているように見せると言っては語弊がありますけど、表現することが偉大な方だったと、僕はそう受け止めています」
(Q.久米さんの登場でテレビニュース番組がより視聴者のものに近付いたのは間違いないようですね)
「近付きましたね。距離感が近くなった。その功績は本当に大きい方だったと思います」
(Q.渡辺さんが思う久米さんの一番大きな足跡はなんですか)
「ニュースステーションが1985年に始まって、報道ステーションに。そして今、大越さんまで40年です。40年間、この時間帯にニュース番組をずっと続けてきた。そのスタートを作った方です。正直言うと、また会いたいですね。すぐにでも会いたいです」