東京・荻窪に、昭和史の「現場」を今に伝える一軒の邸宅があります。100年近い時を経てよみがえったその空間には、政治の中枢にいた人物の日常と、教科書の中だけでは分からない決断の瞬間が刻まれています。
近衛文麿が暮らした「荻外荘」
1927年に建築され、100年近く経ったおととしに息を吹き返した荻外荘(てきがいそう)。東京・杉並区に立つこの邸宅が、昭和史の舞台をのぞける場として注目を浴びているんです。というのも、こちらに住んでいた人物というのが…。
「総理大臣を務めた近衛文麿さんという方が、こちらに住んでいました」
「総理大臣時代に住んでいたっていうことですか?」
「そうですね。(45歳で総理大臣に)なった直後に、こちらにお住まいになり始めたというお家でございます」
近衛文麿。激動の昭和戦前期、日本の行方を左右する局面で三度にわたり総理大臣を務めた人物です。まさに、戦争を巡る昭和政治の舞台となったのが荻外荘なんです。
「玄関になります」
「玄関、広いですね。天井もちょっと高い気がします」
「そうですね。この建物全体、天井がすごく高いのが印象的な建物になると思います。元々家を建てたのは、入澤達吉さんというお医者さんなんですけれども。なるべく椅子で暮らす生活というのが体にいいということを提唱された方なんですね」
身長185センチと長身だった近衛は、当時の日本では珍しい開放感が出る高さを気に入り、荻外荘を譲り受けることにしました。
「扉は当時のものがそのまま。98年前からあったガラスと、あった木」
「えー、98歳」
龍が彩る異国情緒
高さに加え、近衛が気に入ったのが…。
「なんかちょっと、異国感がありますね」
「雰囲気がガラッと変わると思います」
「これは?」
「龍の絵が4枚、それぞれ違うものが貼られています。龍なんです。足元を見てください。ここにもね、龍がいるんですけれども龍の文様になっています」
「なんで龍なんですか?」
「こちらの建物を設計したのは伊東忠太という建築家。日本に建築という言葉を定着させた最初の方なんですね。架空上の動物や獣を好んでいろんな建物に取り入れている。龍も伊東忠太の好みの一つ」
中国からアジアまでの建築調査の経験も踏まえ、このような異国情緒あふれる世界観になりました。
「それを近衛さんも気に入って」
「異国情緒の独特な雰囲気がある建物であるってことを第一印象として受けたと自分で書いています」
部屋の真ん中には、八仙卓と呼ばれる中国式のテーブルがあり、当時の写真を元に復元されています。中国から伝わった、加工した貝を埋め込んで作る螺鈿(らでん)という装飾技術も使われているんです。
「通常の螺鈿よりも貝を厚く削って埋め込む厚貝という手法を使っているそうで、そういった技術の継承もこの家具に込められています」
昭和外交「荻窪会談」の部屋
そんな荻外荘では、昭和史に残る重要な会談が行われた部屋もあります。
「またちょっと独特な意匠のお部屋になります」
「壁紙が特徴的ですね」
「そうですね。伊東忠太の趣味がふんだんに取り入れられたお部屋だと思います。実際にこちらのお部屋でたくさんの政治的な会談が」
「その中でも一番教科書に載っている日独伊三国同盟という…」
「習いました!」
「それに関連する決断をしたという会議が実際にこのお部屋で開かれています」
「ここですね!」
1940年7月19日、外務大臣に内定していた松岡洋右、陸軍大臣・東条英機、海軍大臣・吉田善吾を集めて開かれたのが、ドイツ・イタリアとの日独伊三国同盟の締結につながる荻窪会談です。まさに、この部屋で日本の行く末を大きく左右した重要な会談が行われたんです。
「椅子の柄とか、テーブルクロスも一緒?うちわも置いてある」
「うちわも柄も極力忠実に再現して、メモ帳やガラスのコップ、なるべく近い時代のものを置いています。そこまでこだわりがこの部屋にはあります」
「扉もそのままですか?」
「扉もそのままです。天井も木枠とかも当時のままです」
さらに、備え付けのタブレットで映すと…。
「実際に荻窪会談に出席された4名の方がこちらに登場いたします」
ならば…。タブレット上で荻窪会談に参加してみた紀アナウンサーでした。
「色はどうなっているんですか?」
「当時は白黒しか残ってないんです。この中で今でも変わらずに想像できるものは、東条英機の軍服の緑色と海軍の白い制服、これは不変の色なんです。そこから今古い写真からのカラー化の技術進んでいますけど、いろんな技術、AIの活用を経て色の再現がされています」
「いろんな研究とかを全部合わせて再現されている。きっとこうだったんでしょうね」
「今見ても違和感ない」
「おしゃれです」
食堂から庭園、「殿様の部屋」へ
そして、荻窪会談を終えた後に行った部屋が…。
「食堂というお部屋になりまして荻窪会談の際も会談が終わった後に、近衛さんはこちらでお客様をお食事でもてなしたといわれています。近衛さん自身もここで朝ごはんを食べたりして、日常的にごはんの場所として使っていた場所です」
「めちゃくちゃ長いテーブルですね」
「今は二分割にされているんですけど、当時は一本の大きなテーブルが置かれていました。朝は洋食を好まれていたそうでして、本当にトーストに卵にオレンジジュースを飲んでいたって言われています」
「食器も確かに洋風…」
「そうですね。こちらの食器は実際に近衛家が使っていたといわれている、ノリタケという高級洋食器のブランドです。ノリタケの食器がこちらに収められています」
食堂からは開放的な庭が望めます。こちらも、タブレットをかざすと当時の景色を再現した映像が見られます。
「右に振っていただくと富士山が見えます」
「富士山!こここに住みたくなりますよね。きょうは天気がいいなぁとか言いながら見ていたんでしょうね」
三度目の総理大臣を退いた4年後となる戦後、近衛は日独伊三国同盟締結など対米関係の悪化によって戦争を引き起こしたとしてA級戦犯に指定されました。近衛が愛した荻外荘。紀アナアナウンサーが最後に訪れた部屋は…。
「こちらのお部屋はちょっと特別なお部屋でして、近衛さんこちらで自決をされています。亡くなったお部屋なんですね」
1945年12月16日、GHQが逮捕指令を出した出頭期限の未明に、普段から寝室として使用していたこの書斎で服毒自殺しました。文麿の死後も近衛家は、書斎を「とのさまのへや」として守り続け、今も部屋の様子は当時とほとんど変わっていません。
「本当に当時の空気を」
「はい、一番感じられるお部屋だと思います」
「昭和の激動の時代に中心であった場所を、教科書の中でしか読んでなかった歴史を、見て感じることができる場所ですね」
(2026年1月14日放送分より)















