社会

2026年1月27日 17:50

遺族が上告求め要望書 時速194キロ死亡事故の「危険」判決はなぜ破棄されたのか

遺族が上告求め要望書 時速194キロ死亡事故の「危険」判決はなぜ破棄されたのか
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「主文。原判決を破棄する。被告人を懲役4年6月に処する」
1月22日、福岡高等裁判所101号法廷。
平塚浩司裁判長がそう言い渡した瞬間、傍聴席からは「えっ」という声が上がり、記者たちが速報を伝えるために立ち上がる音が響いた。

だが、検察官の隣で判決を聞いていた被害者遺族・長(おさ)文恵さん(60)の耳に、廷内のざわめきは全く届いていなかった。

「『4』という数字を聞いた瞬間、何が起きたんだろうと。あまりのショックで、自分が何かの殻の中に入ってしまったような感覚で、耳も聞こえないような状態でした」

2021年2月、大分市の一般道で、時速194キロで走行した車が右折しようとした車に激突し、長さんの弟・小柳憲さん(当時50歳)を死亡させた事故の控訴審判決。

福岡高裁は、「危険運転致死罪」を認めた大分地裁の一審判決を破棄し、「過失運転致死罪」で被告の男(24)に懲役4年6カ月を言い渡した。

判決後、会見する遺族・長文恵さん(1月22日、福岡市内)
判決後、会見する遺族・長文恵さん(1月22日、福岡市内)

「想像できる中で一番最悪な判決だったと思っています」
長さんは26日、福岡高検に最高裁への上告を求める要望書を提出した。

大分地裁での裁判員裁判で、危険運転致死罪の要件である「進行を制御することが困難な高速度」だと認められた時速194キロでの走行。
その判断はなぜ覆されたのか。
(テレビ朝日報道局 佐々木毅)

「市民感覚に近い判決だったのに…」

長さんの判決メモは「4年半」と書いたところで止まっている。

一審判決は懲役8年(求刑は懲役12年)だった。

「少なくされても7年半くらいかと。そのまま維持されるのが普通なのか、などと想像していたから4年半という想像外のことに相当びっくりして…びっくりし過ぎましたね」

死亡した小柳憲さん
死亡した小柳憲さん

大分地裁での裁判で焦点となったのは、事故を起こすまで被告の車が直線道路を真っすぐに走行していたことから、この時速194キロという速度が「進行を制御するのが困難な高速度」と言えるのか、という点だった。

一般市民が裁判員として参加し、下した判決では「時速194キロで事故現場の交差点に進入した行為は、ハンドルやブレーキの操作のわずかなミスによって自車を進路から逸脱させて事故を発生させる危険性があった」と認め、危険運転致死罪にあたると判断した。

福岡高裁は、こうした事実認定や法令の適用に誤りがあるとして、一審判決を破棄したのである。

長さんは言う。
「裁判員裁判で出た判決をこんなに簡単に覆すのかなって。今まで聞いたことのないような速度を一般道で出した事故で、(一審は)本当に市民感覚に近い判決だったと思うし、当時も(懲役8年という)量刑がちょっと少ないんじゃないかという意見はあったけど、『あれは危険運転じゃないんじゃないか』という市民の意見はほとんどなかったと思うんですよね」

改めて福岡高裁の判断内容を見ていこう。

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元プロレーサーの証言を「個人の意見」と一蹴

時速194キロで激突し大破した加害者の車(遺族提供)
時速194キロで激突し大破した加害者の車(遺族提供)

高裁判決ではまず、車が想定の進路から逸脱していない今回の事故の場合、それが「進行を制御するのが困難な高速度」であったことを強く推認させる事実関係の立証が必要だという認識を示す。
そのうえで、大分地裁での審理で検察側が提出した証拠や証言、そして地裁の判決そのものをぶった切っていくのである。

例えば一審で検察側は、サーキットでの走行実験を行ったうえで、一般道での高速度走行では車両の揺れが大きくなり、多くのハンドル操作が必要となると主張した。
しかし高裁は、この実験で使われたのが事故車両とは車種が異なることなどを指摘し、実際の事故車両が194キロを出したときのハンドル操作を具体的に立証できるものではないと断じた。

また地裁に出廷した元プロレーサーが、事故の起きた道路を時速194キロで走った場合に、一瞬でもハンドル操作を誤った場合には立て直しは困難である、この道路を時速194キロで走行するのは自分でも無理である、と語ったことに対しては、あくまで一般論であり個人の意見・感想だと一蹴した。

一審判決が採用した、夜間には運転手の視力が下がったり視野が狭くなったりする傾向があるという専門家の証言についても、そうした事情が具体的にどのような影響を与えたのか説明できていないと指摘。

実際に被告の車両が一貫して自分の車線内で直進走行を続け、ふらついて車線をはみ出すようなこともなかったことから、進行の制御に何らかの困難を及ぼすような影響は与えていないと結論付けている。

高橋正人弁護士
高橋正人弁護士

長さんが共同代表をつとめる「高速暴走・危険運転被害者の会」の高橋正人弁護士は、判決直後の記者会見で、その内容を強く批判した。

「実際に一般道を194キロで走るわけにはいかないから、(今回の判決は)不可能の立証を強いてることになるんです。そういう立証は、裁判所といえども普通は求めないんですよ。普通はどうするかと言ったら、『経験則』ということで考えるんです。100%同じでなくていいから、ある程度それに近い立証をしたら、では今回の事故車で194キロだったらどうなるかな、ということを考えるんです。これが経験則なんですよ。この経験則を今回の裁判官は持ってなかったんだなと思います」

自身の事故がきっかけで危険運転致死傷罪が創設された井上保孝さん
自身の事故がきっかけで危険運転致死傷罪が創設された井上保孝さん

1999年に東名高速で起きた飲酒運転による追突事故で娘2人を亡くしたことをきっかけに、悪質な交通事故の厳罰化を求める署名活動を展開し、危険運転致死傷罪の創設に結び付けた井上保孝さんも憤る。

「私たちの事故がきっかけとなってできた危険運転致死傷罪が、こんなに現実離れした立証をしなければ適用できないとは…。今回、司法のものさしと一般国民の感覚があまりにかけ離れていることに本当にびっくりしました」

遺族「こんな判決ならAIでいいのでは?」

直線道路で起きた高速度走行による事故では、これまでも危険運転致死傷罪の適用に対するハードルが高く、被害者遺族を苦しめてきた。

時速146キロで激突され大破したタクシー(2018年、津市)
時速146キロで激突され大破したタクシー(2018年、津市)

2018年、三重県津市で乗用車が時速146キロでタクシーに衝突し、5人を死傷させた事故では、名古屋高裁が「常識的に見て『危険な運転』であることは言うまでもない」としながらも、被告の車が「進行しようとした車線から逸脱はしていない」ことから「制御困難な高速度」ではなかったとして、危険運転致死傷罪を適用しなかった。

今回の高裁判決でも、被告の運転は「常軌を逸した高速度」であり、「極めて危険かつ悪質であった」としながら、それでも「進行を制御することが困難」であったとはいえないと結論付けている。名古屋高裁の判断を踏襲したようにも思える。

実際、今回の判決の中では、「同様の法解釈に基づいて『進行の制御が困難な高速度』であることを否定する裁判例が積み重ねられているため、今回の被告についてのみ(一審の)特異な判断をそのまま維持することはできない」とはっきりと言っているのである。

福岡高裁
福岡高裁

長さんは、さすがにこの言葉には驚いたという。
「それなら裁判長とかいらないんじゃないかな。もうAIでいいと思いますもんね。AIに考えてもらった方が、まだ遺族は納得する。ある程度、人間味のある考えを持っていて、世の中の一般常識を持った人が判決を出したなら、今回のような文言は出てこないんじゃないかなって思いますね」

そもそもそれぞれの事故は全く状況が違うのに、と長さんは思う。
「他の事故のことを言うのは申し訳ないことだけれど、津市の146キロっていう数字と比較しても50キロ近いオーバーなんですよ。194キロの速度の車って裁判長、見たことありますか?って思いますもん。乗ってみたらいいんじゃないかなと。シミュレーションでいいから体験させてあげたいですよね」

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「一番悲しい言葉を判決で聞くことになった」

事故が起きた大分市内の交差点
事故が起きた大分市内の交差点

高裁判決では、こんな言葉が何度も繰り返されている。
「危険運転致死傷罪は、危険性が高い運転行為により死傷という結果を生じさせたすべてを処罰の対象にするのではない」「日常用語としては『危険な運転』とされる運転行為のうち、危険性が高い一部の類型を抽出して適用されるものである」

この表現が、長さんの苦い記憶を呼び起こした。
「あれから3年半、また同じ文言で苦しめられるとは思わなかったですね。振り出しに戻るというか」

2022年夏。
長さんの元に大分地検の担当検事から連絡が入った。
被告を危険運転致死罪ではなく、最高刑が懲役7年の過失運転致死罪で起訴するのだという。

時速194キロという猛スピードで死亡事故を起こして、なぜ「危険運転」でないのか?
問い詰める長さんに、検事はこう答えたという。
「普通の人の感覚では危険だと思うだろうけど、『危険運転致死罪の危険』とは違う」

そして、こんなやりとりが続いたのだった。
「検察はそう思っても裁判官は違うかもしれないじゃないか、危険運転致死罪で起訴したら、裁判長がどのように判断するかはわからないじゃないですか、とも言ったんですけど、『自分と同じ法律家だから、自分の考えと同じであろう』と、そう答えたんです」(長さん)

危険運転致死罪での起訴を求めて署名活動が行われた(2022年)
危険運転致死罪での起訴を求めて署名活動が行われた(2022年)

その後、危険運転致死罪の適用を求める署名活動を繰り返し、地検にも訴え続けた結果、訴因は変更された。大分地裁での裁判員裁判でも「危険運転」が認められた。
しかし…

「最初の最初に検事さんから聞いた、私が一番悲しかった言葉と同じ言葉を今回の判決で聞くことになりましたね」

2025年12月、法制審議会の刑事法部会が、飲酒や高速度の数値基準を盛り込んだ要綱案を取りまとめた。
一般道は最高速度の50キロ超過、高速道では60キロ超過で走行して人を死傷させれば、危険運転罪の対象となるという案だ。今後、法務大臣への答申を経て、法務省が国会への法案提出を目指すことになる。

大分の時速194キロ死亡事故をめぐって顕著となった、「危険運転致死傷罪」の運用の難しさが改正に向けた議論を加速させているのは確かだ。

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「引き下がれない」 上告求めオンライン署名

あの判決以来、世の中の景色も色も変わってしまったと長さんは言う。
「電車に乗っていて、人の笑い声とか聞いた時に『わあ、みんな普通にこうやって笑って過ごせるんだなあ』って思いますよね。私の心はまたどこか違う世界に持っていかれた感じがしていて…世の中に溶け込んで暮らせていない自分がいる。結構しんどいものはありますよね」

それでも…。

「このまま私が引き下がって納得してしまえば、今後(の同様な事案に)影響すると考えたときに、このままではいかないっていう気持ちがありますね」

残された道は最高裁への上告。判断するのは福岡高検だ。期限は2月5日である。
長さんは遺族代表として、最高裁への上告を高検に求めるオンライン署名を始めた。

最高裁への上告を求めるオンライン署名
最高裁への上告を求めるオンライン署名

26日には最高検及び福岡高検に宛てて要望書も提出した。
一部を引用する。

「被害者遺族にとっては、せっかく多くの関係者の尽力によって、現実に進路を逸脱せずとも制御困難高速走行類型により危険運転致死罪が認められるという、裁判員裁判による画期的な一審判決が下されたにもかかわらず、職業裁判官によって、これが根底から覆されてしまっては、望みを託した司法に裏切られた思いを払拭できない。
判決がこのまま確定することなど、多くの国民も納得しないであろう。
検察官において上告等の申立てをされることを、強く要望する次第である」

【最高裁への上告を求めるオンライン署名】
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