三陸道を抜けて程なく、眼前に立ち現れたのは、その全てが真新しい店舗や住宅群。取り囲む道路網も一体となって、さながら机上の模型がそのまま飛び出したような錯覚に陥る。
岩手県・陸前高田市。津波ですべてを流され、ゼロから新たにつくった街だ。
父親とそば店を失った男性も新しい街で店を再建した。行列の絶えない人気店だが、それでも将来への危機感を口にする。
ここにあるのは、人々が「取り戻したかった」未来なのか?震災から15年、陸前高田の全軌跡を追った。(テレビ朝日報道局 浦本勳 那須雅人)
すべてを流された街
死者・行方不明者合わせて1807人。建物2500棟が並んだ陸前高田の市街地は消滅した。
「父は逃げれば助かったかもしれないですけど。何も残ってないですね」
震災から3カ月後、がれきの片づけをしていた及川雄一さん。津波で犠牲になった父親は、陸前高田を代表するそば店「やぶ屋」の店主だった。震災直後、客や近所の人たちに「逃げろ、逃げろ」と声をかけて回り、最後まで残っていたという。息子の雄一さんら家族は高台に逃げて無事だったが、父を助けられなかった後悔を抱え、そして店を再建すべきか悩んでいた。
津波で流された場所に新たな街をつくる?
市が提示した復興計画案は、津波で流されたこの場所をかさ上げし、新たな街を築こうというものだった。しかし、住民説明会では次々と反対の声が。
「一度浸水したところには住みたくありません。また逃げるのか、また財産が全部なくなるのか。そういう思いに駆られます」
安全な場所への移転を望む声。けれども高台には街をつくるだけの土地はない。
2014年、そうした反対の声を押し切る形で、東北の被災地最大のプロジェクトが号砲を上げた。
広大な土地をかさ上げし、その上にもう一度、街を築く。
一方で、元々この場所で店などを営んでいた人たちは、新たな決断を迫られていた。先が見えない中でも、かさ上げされた新しい街に戻るか否かを決めなくてはならない。そば打ちの修行を一から始め、ようやく仮設の店舗での営業再開を果たした及川雄一さんも悩んでいた。
「10年後が見えないんですよね。借金だけが、子供に残っていく形になるんで」
妻と小さな二人の子供。避難所から仮設住宅と、家族4人、身を寄せ合い暮らす雄一さん。これから先、まずは安全な高台に家を建てることを決めた。新たな市街地に出店すれば、さらに資金が必要。自宅と二重のローンがのしかかる。
雄一さんは娘の小春ちゃんに問いかけた。
「今パパが決めたことでお前たちが20年後苦労するかもしれないんだよ?ほかの仕事じゃだめなの?やぶ屋(そば店)じゃなきゃだめなの?」
「うん」
「なんでそう思ったの?」
「だってさ、爺ちゃんもひい爺ちゃんもやってた」
「なるほどね、そういう事か、そうだよね、続いているからなあ」
震災10年ついに街が完成
かさ上げと並行して、街づくりに向けた工事は加速。BRT=バス高速輸送システムや、路線バスが乗り入れる交通広場も完成。市街地を貫く幹線道路や橋も開通した。そして震災から10年。「ゼロからつくった街」が完成した。
5年後の現在。復旧・復興から、持続可能なまちづくりへと軸足が移る中、新たな市街地には真新しい店舗や住宅が立ち並ぶ。一方で、「売地」と書かれた多くの看板が。空き地も目立つ。民有地の利用率は、32.8%にとどまっている。商店主の多くは県外や高台、内陸部に移ったまま戻ってこなかったのだ。
震災前、2万4千人あまりだった人口は、現在、1万6千人にまで減少。このまま何も対策をとらなければ将来、8千人にまで人口が減ると市は危機感を強める。それを食い止めるため、複数の目標を掲げた。
「人を呼び込む」「仕事を創り出す」「若い人に住んでもらう」
観光の起爆剤として作られたのが「道の駅」。地元産の季節ごとの野菜や果物、三陸の海でとれた新鮮な海産物を求め、遠方からも大勢の客がやってくる。震災の記憶を伝える「津波伝承館」や街のシンボル「奇跡の一本松」にも国内外から多くの観光客が。震災後、落ち込んでいた観光客数は、年間130万人を突破した。
「人を呼び込む」目標は成功しているように見えるが、街に潤いはあまりないのだという。「道の駅」や「津波伝承館」に次々とやってくる観光バスをウォッチしていると、目と鼻の先にある中心街に立ち寄ることなく、比較的短時間で陸前高田を去っていく。宿泊先を聞いてみると、
「大船渡に」
「陸前高田は少し寄っただけ。宿泊は気仙沼」
同じ被災地でも、多くの観光客にとって陸前高田は、滞在時間の短い「通過型」の街なのだ。この状況を変えていかなければ未来は厳しい。
そのためには中心部の活性化は欠かせない。今、商工会は一丸となり、空き地の活用を進めている。その一つが新規出店を目指す人に格安の家賃で店舗を貸し、独立開業を支援しようという取り組みだ。
街の未来を担う「若い力」
この制度を利用し鉄板焼き店をオープンしたのが飯山直起さん、耀さん夫妻。4年前、家族で神奈川から移住してきた。地元・岩手の短角牛を使った赤身ステーキが大人気。味だけでなく、目の前の鉄板で見せる迫力ある調理など「五感で楽しめる」とリピーターも多い。
飯山さん夫婦が日々感じるのは、陸前高田の人たちの温かさ。住む場所、働く場所が近いのも子育てのしやすさにつながっているという。
「まだ小さな店だが、『街に行って立ち寄ってみたいと思われる場所』になれたら。そのためにこの地にしっかり根付いて頑張っていきたい」
移住者を増やすことは陸前高田にとって大きな悲願だ。子育て世帯の場合、住宅取得費を最大200万円分補助するなど手厚い支援を行なっている。こうした独自の取り組みで移住者の数は近年急増。目指すは2028年度までに、年間移住者300人の大台だ。
そして今、街に改革を起こそうとしている新たな力が。
震災時に高校生だった及川恭平さんが立ち上げたのはワイナリー。いつか故郷の力になりたいと、大学でバイオサイエンスを学び、ワインの商社に就職。本場フランスのワイナリーでも修業を積み、5年前、故郷に戻ってきた。
ゼロからつくった新たな街とともに、27歳になった及川さんのワインづくりがスタート。三陸の海風を浴び、1日の寒暖差がしっかりある気候で育ったブドウは昨秋、2度目の収穫を迎えた。
「ワインを持続可能な大きな産業にしていきたい。美味しいワインと料理があるから陸前高田に宿泊したいと思ってもらえるような流れを作り、故郷に貢献したい」
次の100年につなぐワインを。及川恭平さんの今の目標だ。
復活したそば店・・街の将来に危機感も
寒空の昼時、白い息を吐く行列が。人々が待つ先は、及川雄一さんのそば店「やぶ屋」。
自宅と店、のしかかる二重のローンに、一度は再建をあきらめかけた雄一さん。そこに手を差し伸べたのが仲間たちだった。雄一さんの負担を減らそうと、5つの事業者が一体となって店を構える「商店街型」としたことで、「中心的な商業機能を果たす」という要件が認められ、施設や設備にかかる費用の4分の3の補助が受けられることになったのだ。店内はいつも満席。新旧、多くのファンに囲まれている。
「子供たちは物心ついた時には街が無かったので、震災前に近づくことが出来たのはよかった。しかし…」
新たな街が出来てよかった。その一方で危機感も抱えている。
父の味を取り戻し、家族との生活を取り戻すために、必死に歩んできた。厨房奥のドアには、長男・雄太君が当時描いた画が飾ってある。
「おとうさん、いつもそばをつくってくれてありがとう。これからもがんばってね。ぼくもてつだうよ」
震災から15年。街はまだ再建途中。これからが踏ん張り時。雄一さんは黙々とそばを打ち続ける。
子どもたちに託したい未来に向かって。















