ネット上の「晒し」が止まらない。不祥事を起こした人物や、マナーに反する行動をとった者を特定し、制裁を加えようとする動きは、時に凄惨な二次被害を生み出す。「ABEMA Prime」では、SNSでの晒しによって、人違いの被害に遭った当事者と、解決手段として拡散を選択する人々の声を交え、この現代病理の深淵について議論が行われた。
■「思考も感情も止まった」人違いから始まった地獄

2019年、茨城県の常磐自動車道で起きた煽り運転殴打事件。この事件で、加害者の車に同乗し、その様子を携帯電話で撮影していた通称「ガラケー女」であるという根も葉もないデマを流され、激しい誹謗中傷に晒されたのが、当時はインフルエンサーとしても活動していた経営者のさはらさんだ。
さはらさんの元には、ある日突然、見知らぬ番号からの着信やSNSを通じた罵詈雑言が殺到した。かかってきた電話は1日におよそ280件、SNSのDMは1000件を超えたという。当時の心境について、さはらさんは次のように振り返る。
「当初は驚きすぎて思考も感情も止まったような状態。全く関係なかったので、その先自分がどうなっていくのかという不安ばかりが募って非常に怖かった。仕事においても批判され、プライベートでも電車で目の前に座っている人が今ツイートしてるのかと不安で、人間不信になった」。
全くの他人であるさはらさんが、なぜ犯人だと決めつけられたのか。その根拠は極めて脆弱。面識のない加害者の男性が、当時さはらさんのInstagramをフォローしていたこと、そしてInstagramの写真にあった帽子やサングラスが、事件の「ガラケー女」が身につけていたものに似ているという、ただそれだけの理由だった。
ネット上では「ガラケーババア」「お前かーみーつけたー 大拡散!」「早く自首しろ 社会のゴミ」といった言葉が躍った。さはらさんは事態を重く見て、弁護士を通じて虚偽の情報を広めた人に対して法的措置を検討すると声明文を公表した。すると、それまで攻撃的だった人々から、一転して謝罪のメッセージが届くようになったという。
「謝罪の連絡があまりにも多くて、(謝罪してくる人の)手のひら返しにびっくりした。人を傷つけても自分には害が及ばないから何をしてもいいやという人があまりにも多すぎる」。
■拡散に「正義」を求める側の論理

一方で、SNSの拡散力を武器として頼らざるを得ない現状を訴える者もいる。番組には、いじめの被害者を救済したいという思いから、SNSで動画を拡散しているマサさんが出演した。
マサさんは、当初は晒し行為に罪悪感もあったが、活動を続ける中で心境に変化が生じたと語る。「正直、最初の頃はあまりよくないとは思っていたが、学校のいじめに関して投稿していくうちに、拡散して炎上するまで学校などが全然動いてない現状を知り、完全悪ではないのではと思いも変わった。(被害者が)見ていてすごくかわいそうだし、残酷だなと思っていたので、少しでも加害者が罰を受けて心が救われるならそれがいいと思う」。
マサさんによれば、自身が晒した案件の9割が進展したという。特に、被害者が警察に相談しても動いてもらえなかった事件が、SNSでの炎上をきっかけに警察が動き、逮捕に至ったケースを目の当たりにし、「騒がないと動いてくれない行政や学校に対して、正義感というか反感を持っている感じに近い」と、その動機を明かした。
これに対し、情報キュレーターの佐々木俊尚氏は「日本社会では内部告発がもみ消されるケースが多く、そこに対して風穴を開けたのがSNSだという流れはある。ただ、ポイントになるのは実名とか個人名を出すかどうか。個人名を勝手に特定して、根拠なく名前を出してしまうのはものすごく問題がある」と、拡散の意義とプライバシー侵害の危うさを切り分けるべきだと提言した。
■「正義」が暴走する社会への処方箋
議論は、晒し行為がもたらす「過剰な制裁」についても及んだ。コラムニスト・河崎環氏は、一度拡散された情報がデジタルタトゥーとして残り続けるリスクを危惧する。「最終的に確かにいじめはしたかもしれない。ただ、彼ら(加害者)にはこの後、反省なり更生なり、チャンスはいくらでもある。(晒し行為が)最終的に社会的に殺してしまう可能性として決して小さくない」。
被害に遭ったさはらさんの話を聞いたマサさんは、「晒すことにおいては、ある程度自分で責任を持って、責任感がある中でやらないと、なんでもかんでも晒せばいいとなる。もう少し自分も情報の精査など、厳しくやっていこうかなと思った」と語った。
最後にさはらさんは、SNSとの向き合い方について、次のように訴えた。「SNS自体が悪ではないと思っている。あくまでもツールの1つなので、それの使い方を知る必要がある。被害者というよりも加害者が増える世の中になっている」。 (『ABEMA Prime』より)