東日本大震災からまもなく15年です。いまだ更地ばかりが広がり、復興が進まない町があります。そんな故郷の記憶を何とか繋いでいきたい。そう願う女性の思いを取材しました。(3月17日OA「サタデーステーション」)
町を思い出す“よりどころ”に 願い込めた伝統の踊り
海沿いにぽつんと建つ神社から聞こえてくる、お囃子。行われていたのは福島県浪江町請戸の安波祭です。豊漁や豊作などを願う伝統行事で、漁師や田植えをイメージした衣装を着た踊り子たちの踊りが奉納されます。この日、歌い手と踊り子の両方を務めていたのは、舛倉美咲さん21歳。ここ請戸で生まれ、被災当時はまだ幼稚園児でした。
震災からまもなく15年。津波で流されたふるさとは更地ばかりが広がり、復興とはほど遠い状態のままです。
美咲さんが踊りを始めたきっかけは、仮設住宅で暮らしていたとき、踊りを披露してくれたお姉さんたちの姿に憧れたこと。背中を押してくれたのは、おととし病気で亡くなった父・広敏さんでした。
「『今の良かったぞ』みたいな感じで、いつも私の踊りを見て言ってくれて、褒められるのもうれしくて、すごく楽しかった思い出があります」
被災後、沈んでいた美咲さんの気持ちを変えてくれた踊り。それがいつしか“特別な意味”を持つようになったといいます。
「見てくれた方々が、『請戸を思い出したよ』って言ってくれることがあるので、すごく力になれているのかなと」
福島県の沿岸部に位置する浪江町請戸。15メートルを超える津波が町を襲い、死者・行方不明者182人のうち大部分を占めたのが請戸地区でした。震災前の映像を見てみると、山と海に囲まれ、漁港周辺には多くの住宅が建ち並んでいたことがわかります。この漁港のすぐ近くにあった、美咲さんの家。自宅があった場所はいまどうなっているのか、案内してもらいました。訪れるのは避難指示が解除されてから2度目のこと。
「(玄関は)この木があるところだったみたいですね。覚えているはずだったんですけど、周りがあまりにも変わりすぎていて」
跡地には、美咲さんの背丈を超えるほどの草が生い茂っているだけ。周辺にも、建物はありません。何もないままでは請戸の存在が“忘れられてしまうのではないか”。“町の伝統も途絶えてしまうのではないか”。請戸のことを思い出してもらうためにも、踊りを続けていきたいといいます。
「いまもう本当に何もないんですけど、『こんな町じゃなかったんだぞ』ということを踊りを通していろんな人に知ってもらいたいなというふうに思います」
15年経ってもなぜ復興進まず?背景に2つの要因
ではなぜ、請戸の復興は進まないのか。そもそもの背景にあるのは、原発事故です。福島第一原発から近いところで4kmほどの距離にある浪江町。原発事故後、町内全域に避難指示が出されました。
2017年に請戸地区周辺の避難指示は解除されましたが、それまでの6年間工事は進まず、復興は大きく出遅れました。この出遅れは、後に大きく響くことにもなります。
まだ避難指示が続いていた2014年。浪江町は津波の被害がひどかった請戸地区の周辺一帯を、住宅を建てて住むことができなくなる「災害危険区域」に指定しました。避難指示の解除後、町は住宅地としてではなく、祈念公園や防災林、水産加工団地などの整備を始めましたが、そこにまた新たな壁が立ちはだかります。2022年、頻発する自然災害へ対応するため、国が法律を改正。「災害危険区域」内では工場の誘致など、大規模な開発が原則できなくなってしまったのです。
町では、「災害危険区域」内でも開発をできるよう、模索しています。
「具体的には産業団地であったり、再生可能エネルギーの用地として(活用を)検討しているので、人は住めないながらもそこに建物を建てられるというような条例の改正をしたいと考えています」
来年度には国や県との協議も進めたいとしていますが、条例を改正するまでにはさらに1〜2年ほどの時間がかかるといいます。
「生まれた時から育ててもらった土地なので、思い入れがあるから割り切れないですよね」
現在は福島県外で暮らしている、安倍一夫さん。いまの請戸のままでは住民同士の繋がりも薄れてしまうのではないか…。復興を願う住民のひとりです。
「今すぐはちょっと難しいとは思うんですけど、何十年か後にはまた活気が戻ればいいなとは思いますけどね」
請戸に戻ることは難しいことも分かっていますが、残したままだという住民票。
「気持ち的にまだ浪江町から離れられないんだよね。だから住民票を移しちゃう、とふるさとがなくなっちゃうような感じがして。そういった思いがあって移さないのかなと思いますけどね」
“もう住めない土地”活用探る動きも
「浪江町請戸の人たちの現在の状況を教えてください」
「震災前、請戸には352世帯1223人が暮らしていました。しかし震災後、請戸を含むこの地域は、災害危険区域に指定され区域の中で暮らすことができなくなりました。この災害危険区域というのは、津波や高潮、洪水、土砂崩れなど自然災害によって著しい危険がある場所を地方自治体が条例で指定するもので、浪江町では住宅の建築禁止や3000平方メートル以上の大型店舗や工場などの開発も原則認められていません」
「ただ、この浪江町では、原則を見直して土地を活用できるようにしようという動きがあるんですね?」
「災害危険区域の開発許可に関しては自治体の判断に委ねられていて、浪江町では土地をかさ上げする盛り土であったり、建物の構造を強化するなどして産業団地などの開発許可を認められないか、検討しているということです」
「日本大震災からまもなく15年が経ちますが、柳澤さんはどうご覧になっていますか?」
「問題になっている災害危険区域の見直しは、そう簡単なことはないと思うんです。とはいえ故郷を持つ人たちにとってみると『少しでも昔の故郷の姿を取り戻したい』という思いは偽らざる気持だと思います。国は、そういった思いに寄り添いながら、少しずつでも危険性を除去しながら粘り強く、昔の姿を取り戻せるような道筋を探ってほしいと思いますね」
「住めなくなった故郷とどう向き合っていくのか、つながり続けていくか。15年が経過した今、改めて問われています」