震災9日後に救出され、当時「奇跡」と報じられた男性は15年前、すぐに避難しなかった自分の行動を失敗だったと悔やんでいます。「避難していれば救えた命があった」。その後悔を次の世代への教訓として伝え続けています。
「今でも後悔」15年前の判断
あの日、故郷で何が起きたかを語り継ぐ阿部任さん(31)。
「東日本大震災の時にどのような体験をされたのか、振り返るような映像になっています」
被災者の体験を基にした再現映像が流れます。
「このCGだけでも津波があまりにも速いのが分かって…恐ろしさを感じますね」
「私は震災当時はずっと家の中にいた。津波自体は実は見ていない」
津波で流された自宅に、祖母と共に閉じ込められ、9日後に救出されました。その救出劇をメディアは「奇跡」と報道。しかし…。
「自分の判断は間違っていた。今でも後悔しています」
15年前のあの日。自分が避難していれば救えた命があった。その時の後悔が、のちの阿部さんの人生を大きく変えることになったのです。
「誰か生きているのかな」
東日本大震災で最も多い犠牲者を出した宮城県石巻市。当時、仙台の高校に通う16歳だった阿部任さん。
「ここに私の震災前に住んでいた実家がありました」
15年前のあの日、何があったのか…。
2011年3月11日の午後2時46分、東日本大震災が発生しました。
「大津波警報、大津波警報。河口付近の方は高台に避難してください」
住民は近くの日和山へ避難します。
「津波で家が流されています。何軒も何軒も大きな家が次々と流されていきます」
一方、阿部さんは、震災発生時、祖母と2人で自宅にいました。過去の大きな地震を経験した祖母の言葉や、海まで距離があることから避難せず、自宅にとどまる選択をしたのです。
「『もう大丈夫だな』と(地震発生後)50分くらい経ってから1階に降りた時に、真っ黒い水が窓の外に自分の腰より高い位置まで流れているのが見えて、そこで初めて津波だということに気付きました」
津波によって祖母と共に家の中に閉じ込められた阿部さん。電気も途絶え、夜になると気温は氷点下に。冷蔵庫の中の食べ物を分け合ってしのぎました。
余震が続く中、阿部さんの体も限界が…。凍傷とエコノミークラス症候群で歩けない状態になりました。
光がさしたのは、9日後でした。これは阿部さんたちが閉じ込められていた自宅の写真です。崩れた屋根の隙間から外へ出ると、そこには…。
2011年3月20日、祖母と阿部さんが救出されました。
「頑張ったぞ!」
警察官
「おばあちゃんも大丈夫ですからね!」
目が覚めると、そこは病院のベッドの上でした。
「助かってよかったです」(2011年3月21日)
『(医師から)『あと1日遅かったら足なかったよ』みたいな話をされて…」
救出後に分かったこと…。自宅が津波で2階部分だけになり、130メートルほど流されていたのです。
「誰もここで人が生きているなんて思わなかった」
「奇跡」報道への思い
警察も、家族さえも諦めかけた矢先の救出劇を多くのメディアが取材。この時、阿部さんはこんなことを考えていました。
しかし翌朝、地元紙は、この救出劇を「奇跡」と報道。これに阿部さんは…。
「自分だけが助かって、自分だけが『奇跡』と呼ばれていいはずがない」
「あとでお茶しようね」と話していた親戚のおばさんなど4人が、阿部さんと同じように避難しなかったために津波で亡くなっていたのです。
あの日、救えたはずの命があった…。
「私にとって、あの出来事は失敗でしかない」
その後、震災の経験を語り継ぐ仕事を始めた阿部さん。その思いを、次世代につなぐきっかけになる災害が起きたのです。
防災リーダー育成講座
2025年7月30日にカムチャツカ半島地震が発生しました。
一時、日本の太平洋沿岸を中心に津波警報が発表。石巻市の沿岸地域に避難指示が出されました。その時、阿部さんは避難所になった石巻中学校へ。中学校には当時、部活動中の生徒たちがいて、避難所の運営を手伝いました。
「トイレをきれいに使って下さいという張り紙を作ったり、場所が分からない人を(避難所になった)武道場に案内しました」
「避難所の中に入って待機するのが少し抵抗があって、外でずっと待っている人もいたので、熱中症になってしまう可能性もあるかなと思ったので『中に入って下さい』と促すような声かけをしました」
「生徒だけでも避難所の運営ができるように」。中学校の依頼を受け、阿部さんたちが始めたのが「防災リーダー育成講座」。参加したのは15年前の震災を知らない世代です。
「この中学校に通う間にそうなった場合に、どう動けるのか。自分たちで考えてもらう」
「今まで大人の方々に避難所運営をしてもらうのが当たり前と思っていて、私はただ避難しているだけだった。運営の仕方が分かって、これからの自分に役立てられると思いました」
経験を次の世代へ
講座を受けた梅村さんは、地域で行われた訓練にも参加しました。震災前に阿部さんが住んでいた地域で毎年行われている避難訓練です。
「津波注意報が発令されています」(訓練)
避難誘導を受けて高台へ向かう修学旅行生役の梅村さんは…。
教師役の参加者は、判断を迫られます。
「ここで待機しますか、それとも避難しますか?」
「避難します」
高台の高校へ避難します。
「今揺れています。また揺れています」(訓練)
カムチャツカ半島地震の時と同じように、梅村さんたち中学生が避難所の運営を手伝う場面もありました。
訓練を終えて、それぞれに課題や反省が…。
「一番危険だと思ったのが、ブロック塀(沿い)でしゃがむのは完全にNG」
「地震があったからって、すぐしゃがめばいいってわけじゃない」
「皆さん協力し合ってできたから、最高のチームじゃないですか。ばっちり」
「大人の人たちもパニック状態になっていたので、私たち生徒が平常心を保つのも大事だし、少し落ち着かせる役も必要なのかなと思いました」
阿部さんの経験は、次の世代に着実に受け継がれています。
「『災間』の今だからこそ伝えたいことを教えてください」
「(震災時の自分と)同じ失敗を次の災害では繰り返してほしくない。(災害が起きて)決断をする際には、自分の命を大切に守れる、周りの命も考えられるような判断ができる準備をしてほしい」
「経験した自分たちから伝えられることを、経験していない世代に伝えていく必要がある」
(2026年3月11日放送分より)













