SNS上である祭りの光景が論争を巻き起こした。愛知県の田縣神社で長さ2.5メートル以上、重さ400キロにおよぶ巨大なヒノキ彫りの男性器「大男茎形(おおおわせがた)」が神輿に載せられ、市内を練り歩いたからだ。この「豊年祭」をはじめ、日本各地には男性器を祀る神事が今も息づいている。しかし、ネット上では「ポルノ祭りにしか見えない、下品」「いつまで日本はあんな悪習を放置し続けるのか」といった、現代のコンプライアンスや倫理観に照らした批判が相次いでいる。「ABEMA Prime」では、こうした「男性器崇拝」の祭事が持つ真意と、現代社会でのあり方について議論が行われた。
■男性器崇拝の祭りは国内で31以上とも

男性器を崇拝する祭りは、日本国内でも31以上はあると言われている。川崎市の金山神社で行われる「かなまら祭り」もその一つ。ピンク色のポップなデザインの男性器神輿がSNS映えすることから、近年は多くの外国人観光客で賑わっているが、そのルーツは極めて真摯な信仰にある。同神社の禰宜(ねぎ)を務める町田喜江氏は、祭りの起源について次のように語る。
「元々は江戸時代に端を発している。川崎市が発展していく中で『飯盛女』という方たちがいろいろな病にかかった時、下(性器)の病が治るようにと祈願した。春に地べたに座って、春の息吹き・芽吹き、いろいろなものを再生する力を取り込んで、自分たちの再生を願うということが始まりだった」。
明治時代に一度は取りやめとなったが、昭和40年代に海外の学者による調査などをきっかけに復活を遂げた。町田氏によれば、復活当時は訪れる人のほとんどが外国人だったが、祭りの盛り上がりとともに日本人も再び集まるようになったという。復活後、神社側には「やめろ」というクレームはほとんど届かず、むしろ「どうしてこういうことをしてるんですか」という探求心からの問い合わせが多いという。
「当社の宮司がいつも謳っていたのは『目的は世界平和』ということ。人種も国籍も性別も、いろいろなものを取り払って、皆さんが楽しんでストレスをなくすことで、いろいろなものをまた生み出せるのではないかということを目的としている」祭りの意義を強調した。
なぜ、これほどまでに生々しい「性」の象徴が神聖視されるのか。民俗学研究家の井戸理恵子氏は、日本人が古来より持っていた二元論的な世界観を指摘する。
「日本には、女性器をシンボルとする祭りもある。昔の人たちは『陰と陽』がなければ私たちの世界はないと、二元論的に必ず2つのものを分けて考える。それの両方が極まると両方が強くなるという意識がある。七福神の大黒様を後ろから見ると男性器の形に見える。大黒様は五穀豊穣のシンボルだが、実はあの形も五穀豊穣や子孫繁栄というものとして、昔から日本人は見ていた」。
さらに井戸氏は、祭りがかつて「共同体のセーフティネット」として機能していた側面にも触れた。祭りの期間中は「ハレの日」として日常のタブーが緩み、神様のせいにして男女が交わることも許容される場であったという。
「祭りの時は、人間の『たがが外れる』ところがある。特に日本人は昔から、昼はすごく真面目に働いていても、夜になりお酒飲むとたがが外れるところがあり、それは海外の人から見るとちょっと不思議なものだった。祭りの時は祖先が帰ってきたり、神様がやってくる。それが一人ひとりの人間が依代(よりしろ)になっていく感覚がある。そうすると『神様が私たちに行為をさせた』という方便が出てくる」。
こうした「たがの外れ」は、単なる放蕩ではなく、共同体の資産としての子どもを増やすきっかけにもなり、災害時に助け合える人間関係を構築するための、生きるための知恵でもあった。
■ひろゆき氏「過去にこれが大事だと思う人がいて継承された」「クレームは無視していい」

番組では、こうした独自の文化、伝統についての捉え方についても議論が及んだ。モデルのYuna氏は多様性の観点からコメントした。
「どの国、どの地域にも、他の人たちからは理解できないようなそれぞれの文化がある。中国だと坐月子(ズオユエズ)といって、妊娠した女性は1カ月、髪を洗ってはいけない。他の人たちからしたら理解できないが、その地域では当たり前。それを外部の人がとやかく言うのはどうなのか。多様性を履き違えてる人もすごく多い。全てをニュートラルに潰すことではなくて、それぞれの個性を尊重することが多様性だ」。
また2ちゃんねる創設者のひろゆき氏も、長く続く伝統・文化について、過剰に反応する人々への持論を展開した。
「(男性器信仰を)下品だ、ポルノだと感じるのは当然だし、そう思えたことを言える日本はいい国だと思う。ただ、過去からこういうものが大事だと思う人たち、民族がいて、文化が継承されていて、伝統は作られている。たまたま今の時代に生まれた人が、適当なことを言って止めようとするなと思う」。
さらに、アムステルダムで行われる祭り「レインボーパレード」などの事例を出し、世界中どこにでも性的な象徴を扱う文化は存在すると指摘した上で、こう続けた。
「『私はこれが嫌だ、だからなんとかしろ、潰したい』という自分の感情で、自分の見るものをコントロールできない人が、無理やりクレームをつけてなんとかしようとしているだけの話。そういう少数派は無視していい」。
多くの人々が集まり、幸せを願い、人とのつながりを強める祭りは、その地域が共同体として機能しているかを確認する機能も果たせていたと、井戸氏は改めて解説する。
「もともと『祭り』の意味は『神待ち』。いつ何があっても大丈夫な状態にしていくのが語源。食べ物が常にあって、みんなが共同体としてそこにいて、掃除もしてきれいで正常な状態を作っておくということが、祭りに集約している。だから祭りの時に共同体がちゃんと機能していれば、何かあってもみんなが助け合えるという仕掛けになっている」。
ひろゆき氏もまた、祭りそのものが持つ意味合いについても触れ、祭りをきっかけに多くの人が集うことの効果はより知られるべきだと述べた。
「能登には『ヨバレ』というお祭りがあって旅人が来たら食べ放題にする。祭りは外から人が来ることを求めているし、それはDNAの多様性を求めているところもあると考えると、かなまら祭りは外国人をバンバン集めていて祭りとしては大成功だし、本来の祭りとしても正しい。インバウンドの時代でもあるし、こういうものは広げた方がいい」。 (『ABEMA Prime』より)