深い群青色の背景に、鮮やかな黄色のひまわりが映え、美しいコントラストが生まれている。落ち着いた雰囲気と華やかな明るさが共存していると感じた。ゴッホが描いた《ひまわり》を精細に復元した絵画だ。
オリジナルの《ひまわり》は約80年前、日本で空襲に遭い焼失した。よみがえらせたのは、東京藝術大学が率いたチームだ。背景にはデジタル技術と人間の感性を組み合わせた「クローン文化財」と呼ばれる取り組みがあった。
(テレビ朝日報道局 江向彩也夏・根本里咲)
空襲で焼失した“芦屋のひまわり”
ゴッホは27歳で画家になった後、37歳で亡くなるまでに、自身が描いた作品の再制作も含めて、連作の《ひまわり》を7点描いていた。復元された《ひまわり》はこのうち2番目に描かれた作品だ。
この《ひまわり》は1920(大正9)年、関西の実業家・山本顧彌太が購入した。山本は、武者小路実篤をリーダーとする「白樺派」の活動に参加していて、当時設立が計画されていた「白樺美術館」のために、《ひまわり》を購入したという。
しかし、白樺美術館の設立は実現しなかった。《ひまわり》は、兵庫・芦屋にあった山本の自宅の応接間に飾られ、“芦屋のひまわり”と呼ばれて親しまれた。
だがその後、戦争が始まった。そして1945年8月6日、神戸大空襲で「芦屋のひまわり」は焼失した。
ゴッホ美術館「人生で初めて…」
「何とか復元できないものか」 東京藝大のチームは、手立てを考え始めた。
残された《ひまわり》の図版は、ほとんどがモノクロだ。ところが、東京・調布市武者小路実篤記念館に、白樺社が出版した『セザンヌゴオホ画集』が収蔵されていて、その中に《ひまわり》のカラー画像があった。これが復元の端緒となった。
東京藝大のチームは現存するゴッホの作品をクローン文化財として制作した経験があった。だが、実物がない状態でゴッホの作品を復元するのは初めてだった。
プロジェクトリーダーで東京藝大名誉教授の宮廻正明さんは「観念的に『できない』と思ったらできないので、頭の概念を柔らかくした」と、当時を振り返る。
まず『セザンヌゴオホ画集』の図版を撮影。同時に、世界各地の美術館にあるゴッホの作品の画像を集め、絵具や筆致を分析し、実寸大の模写を作る。
ただし、模写を描いた人の手の癖などに影響されずに、残されたわずかな手がかりと素材で最大限、現物を再現する必要がある。そのため、『セザンヌゴオホ画集』のカラー図版や、他のゴッホの作品画像と模写を照合し、画像データを制作する。
その画像データの上から、絵筆に油絵の具をのせて、凸凹のタッチを手作業で再現し、さらにその表面に画像データを大型インクジェットプリンターで印刷。最後に油絵の具を使い、手作業で仕上げを施した。
なぜ最後は、手作業で仕上げるのか。宮廻正明さんはこう語る。
プロジェクトには、東京藝大を卒業したスタッフが多く参加し、ゴッホの筆致や絵の具の使い方などの癖を覚えて、復元作業を進めたという。「これ、絵描きでないとできない部分なんです。最後の仕上げができる人は本当にごくわずかだと思います」と宮廻さんは話す。
このようにしてよみがえった《ひまわり》を、宮廻さん率いる東京藝大のチームはオランダのゴッホ美術館へ持って行った。
通常、美術館の作品は目で見ることはできても、手で触れることはできない。しかし東京藝大のチームはこの《ひまわり》を、誰でも鑑賞でき、触ることもできる「クローン文化財」として作っていた。
ゴッホ美術館で《ひまわり》を見せ、美術館のスタッフに触っても良いと伝えたところ、「人生で初めてゴッホの絵に触ることができた」と感銘を受けていた。
「上野公園の桜」から着想
そもそも、クローン文化財とは何か。なぜクローン文化財は生まれたのか。
宮廻さんは、東京藝大でデザインを専攻し、藝大大学院ではのちに東京藝大学長を務める日本画家の平山郁夫氏の下、日本画の保存修復技術を学んだ。古い日本画の修復には、作品の模写が欠かせず、一日中ずっと座って模写を続ける日々を送る。その作業の大半は、作品そのものを描くことではなく、経年劣化によって生まれた作品のシミを描くことだったという。
その後、東京藝大は2006年から、朝鮮半島の「三国時代」の一角を築いた国「高句麗」の遺跡である、北朝鮮の高句麗古墳・江西大墓の壁画について、模写などのアナログ作業と、高精細な画像データ作成などのデジタル技術を交えて復元した。復元に使った技術は2010年、東京藝大で初の特許取得につながった。
ところが精密な復元であるにもかかわらず、海外では価値の低い「コピー(複製)」として扱われる。高度な復元技術が低く扱われないよう、宮廻さんは「何か他に良い言葉はないか」と考えた。そんなある日、宮廻さんは上野公園の桜を見て、ふと思いついた。
ソメイヨシノは、1本の木から接ぎ木によって増えた「クローン」の桜だ。高度な技術を使って、限りなくオリジナルに近い文化財を作り出す試みは、“桜の接ぎ木”と通じるものがあるのでは…。そんな思いから「クローン文化財」という言葉が生まれた。
2013年度からは文部科学省と科学技術振興機構による「革新的イノベーション創出プログラム(COI)」がスタート。クローン文化財もその一つとして事業が展開され、これまでに絵画や彫刻など90点超が復元された。
戦災で失われた文化財 復元が“平和の礎”に
失われた文化財をよみがえらせる「クローン文化財」は“芦屋のひまわり”だけではない。
2001年、アフガニスタンでタリバン政権がバーミヤン遺跡を爆破した。この時、大仏と一緒に破壊されたのが、天井に描かれていた壁画《天翔ける太陽神》だ。この壁画も東京藝大のチームが復元した。
宮廻さんが師事していた平山郁夫氏は当時、文化財赤十字構想を提唱していた。文化財赤十字構想とは、戦争や略奪、自然災害によって失われつつある文化財を保護・修復することだ。
平山氏は、本来あった場所から失われた世界各国の文化財について、私財を投じて日本で保護し、国が安定したら返還する活動をしていた。アフガニスタンの流出文化財についても保護していて、文化財を返還することになった際、東京藝大のチームは《天翔ける太陽神》の復元にも挑むことになった。
壁画には元々、中央にゾロアスター教の太陽神、周囲にはギリシャの女神ニケや仏陀など、様々な神仏が描かれていた。ところが、タリバン政権下のアフガニスタンでは、偶像崇拝を禁じるイスラム教が広まっている。
そのため、タリバンがバーミヤン遺跡を爆破する前から、大仏や壁画の顔は削られていた。しかし東京藝大のチームは、神仏の顔が描かれた“本来の壁画”の復元に取り組んだ。
フランスの調査隊による1920年代の記録や、京都大・名古屋大の調査隊によって1970年代に撮影された画像を分析。壁画が描かれていたアーチ状の天井構造も現地での3D計測をもとに作り、実寸大で壁画は現代によみがえった。
宮廻さんは「我々は壁画を残すというよりも、“みんなで仲良く一つ屋根の下で悠々と暮らす”ということを残したかったんです」と振り返る。
ミャンマーでも、世界三大仏教遺跡の一つであるバガン遺跡で復元を手掛けた。バガン遺跡のグービャウッヂー寺院にある壁画のうち、「ダンス」「音楽」「人物群」の部分を復元したのだ。当時、壁画は略奪や盗難被害を受け、水害や地震で劣化し、一般公開が難しい状況になっていた。
壁画の土台は粘土で再現。そして薄い和紙に壁画の絵柄をトレース。その筆跡と合うように、壁画の画像データを印刷して、土台に貼り合わせ、彩色を施した。復元された壁画は首都・ネピドーの国立博物館で展示された。
宮廻さんは「文化財の中ではみんな楽しく踊り、仲良く暮らしている。全部、平和の中で現れている」と語る。
クローン文化財が目指した世界
高いデジタル技術と感性を織り交ぜて復元する「クローン文化財」が広まることで、世界各地の「流出文化財」を元の国に返すことができるのではないかと、宮廻さんは語る。
つまり、元の国や地域にオリジナルの文化財を返し、それまで保管していた国はクローン文化財を持てば、流出文化財の問題を解決する糸口になると考えているのだ。
また、オリジナルの文化財とクローン文化財の両方を持つことで、文化財を広く普及させることもできる、と宮廻さんは語る。
東京藝大のチームは、山梨県立美術館の所蔵作品であるミレーの《種をまく人》についても、クローン文化財を制作していて、2022年3月に一般公開されている。
オリジナルとクローンの両方があることで、一方を山梨で展示しながら他方を巡回展示することも可能になった。子どもたちに触ってもらいながら鑑賞してもらうなど、教育現場での活用も期待されているという。
「国宝美術館」を目指したが…日本の厳しい現実
さらに宮廻さんはこう語る。
日本では文化財の劣化を防ぐため、博物館や美術館では国宝などの文化財を通年展示していない。それゆえ、絵画や彫刻などすべての国宝を一堂に会して展示できたことはない。
でも、国宝のクローン文化財を作って通年展示すれば、国内外の多くの人に日本の国宝を鑑賞してもらうことができ、オリジナルの国宝を保護することもできる。そう宮廻さんは考えていたのだ。
そんななか、文部科学省が今年2026年2月末、国立美術館や国立博物館の「次期中期目標」を発表した。このなかでは、各館の展示事業について収入目標が掲げられている。展示事業では、各館の所蔵する文化財そのものの公開が求められることになる。
もしも展示する文化財として、クローン文化財が代用できるのであれば、文化財の保護と公開を両立しながら、文化財の展示事業や収益拡大も図れるのではないだろうか。
宮廻さんはこう話す。

















