江戸時代の“名残”を見ていく企画、第4弾です。
世界を魅了する和食の原点は “江戸っ子気質”にあるといいます。
詳しく見ていきます。
■江戸四大グルメとは 江戸時代に屋台発展 背景に男社会?
こちらの絵は、江戸時代に現在の港区、高輪で開かれたお月見の風景を描いた錦絵です。
多くの人が集まり、様々な屋台が建ちならんでいます。
屋台で買った料理を立ち食いする男性も描かれています。
ここでクイズです。
江戸には四大グルメがありました。
錦絵にも描かれている、『寿司』『天ぷら』『そば』ともう一つ、ここには描かれていない江戸の名物グルメは何でしょう?
正解は『うなぎの蒲焼き』。
『寿司』『そば』『天ぷら』『うなぎの蒲焼き』この4つが江戸の四大グルメです。
日本の屋台の起源は江戸時代だと言われています。
当時は、祭礼、縁日、盛り場(繁華街)に出店していました。
当時の外食は屋台が主で、現代のファストフードの先駆けとなったのが、屋台と言われています。
当時、団子は1串4個で4文、おしるこは1杯16文で売られていたといいます。
歴史学者で藤田医科大学特命教授の本郷和人さんによると、1文は現在の20円から40円ほどの価値だったといいます。
「当時の江戸っ子はとにかく“せっかち”。しっかり腰を据えて食事をするというよりは、その場でパパっと食べるのが粋とされていた」
江戸時代、屋台が大きく発展しました。
その理由は独身の男性です。
1721年の江戸市中の男女比は、男性が64.5%、女性が35.5%で男性が3分の2を占め、そのほとんどが独身だったといいます。
江戸に独身の男性が増えた理由、一つ目は『大火事』です。
1657年、江戸三大火災の一つ『明暦の大火』が発生し、約10万7000人の死者を出しました。
この火事をきっかけに江戸復旧のため、全国から多くの労働者が集まったといいます。
二つ目の理由は『参勤交代』です。
参勤交代で地方の武士が上京。
1年間、単身赴任をする男性が多くなったと言います。
■デリバリーにキッチンカーも 外食盛んな一方でレシピ本も
江戸時代には、様々な形態の屋台が誕生します。
こちらは江戸時代の何でも屋『棒手振り』です。
棒手振りとは天秤棒を担いで売り歩く商人で、食料品だけでなく、草履などの日用品から鈴虫などのペットまで売り歩いていました。
江戸時代には、現代のキッチンカーのような屋台も登場しました。
それが『担ぎ屋台』です。
天秤棒の両端にゆで窯や食器、食材などを収納した箱をつるして肩に担いで売り歩く、移動式の飲食店になっています。
この『担ぎ屋台』はこんな所でも出店されていたと言われています。
こちらは品川沖で行われた潮干狩りの様子を描いた錦絵です。
この錦絵には潮干狩り会場でも担ぎ屋台でそばを売る商人の姿が描かれています。
現代でも残るスタイルの屋台も登場しています。
それが『屋台見世』です。
普段は据え置きの立ち売りスタイルで料理などを販売。
すぐに解体が可能で、人出が多い場所に多く出店されていました。
屋台が発展した理由にはこんな事情もありました。
火事が多い江戸では移動可能な屋台が出火した際、店舗と比べて、消火がしやすいという利点もあったようです。
「江戸時代は独身男性が多く外食が盛ん。さらに大火の影響で火事が怖く、かまどなどしっかりとした台所を備えた店は敬遠されてきた。この2点から屋台が栄えた」
外食が盛んな一方で、江戸時代にはレシピ本も登場しています。
日本最古のレシピ本とされているのが、『料理物語』です。
江戸時代初期(1643年)に発行された代表的な料理書で、材料や調理法を具体的に記載しています。
これは、大名家に仕える料理人など料理の知識を持った人向けの本だったといいます。
こうしたレシピ本が庶民にまで広がりをみせます。
当時ベストセラーとなったのが1782年発行の『豆腐百珍』です。
豆腐のアレンジレシピを100種類紹介するレシピ本で、庶民に絶大な人気を誇ったということです。
■歴史的発明 握りずし かけそば誕生に“江戸っ子気質”
江戸で人気だった料理について見ていきます。
すしの歴史です。
江戸時代中期になるとお酢を使った現在の寿司の原型となる『箱ずし』などが誕生します。
値段は1つ4文だったといいます。
その後、現代の握りずしが誕生します。
江戸時代の後期に誕生した握りずしですが、誰が考案したかは不明です。
握りずしはネタによって変わりますが、4文から売られていたといいます。
この握りずしを広めたと言われるのが『与兵衛鮓』の初代店主・華屋与兵衛です。
与兵衛鮓は大人気となり、江戸三大すし店の一つとなります。
握りずしは爆発的に広がります。
箱ずしは(箱に詰めて固めるなど)仕込みまでに時間がかかります。
一方の握りずしは目の前で握ってもらい、すぐに食べられます。
「江戸はいつごろよりか押たる筥鮓(はこずし)廃し、握り鮓(にぎりずし)のみとなる」と、50〜60年で箱ずしが無くなり、握りずしのみになったと書かれています。
続いて、江戸で人気だったそばについて見ていきます。
そばの歴史です。
江戸時代の初期にそばを麺状にした『そば切り』を売る店が江戸の街に登場します。
当時のそばはつなぎを使わず、切れやすかったため、ゆでたあとで蒸していたということです。
そばは1杯4文で売られていたそうです。
せっかちが考案した食べ方です。
江戸時代中期までは、麺をつゆにつけて食べる『もりそば』だけでした。
しかし、それをめんどくさがった江戸っ子が、おちょこに入ったつゆを皿にぶっかけて食べていました。
これが転じて『かけそば』が誕生したのではないかと言われています。
こうした手軽さがウケたそばですが、この当時、今も残る江戸前三大そばが登場します。
江戸前三大そばは、『藪そば』、『更科そば』、そして『砂場そば』です。
こうした人気そば店も登場し、江戸の街には1860年時点で3763軒ものそば店があったと言われています。
続いて『天ぷら』についても見ていきます。
天ぷらの歴史です。
天ぷらは16世紀中ごろポルトガルから伝わった南蛮料理が原点とされています。
天ぷらの語源は、『調理』を表すポルトガル語の『テンペロ』とする説などが一般的だといいます。
江戸時代の天ぷらは江戸前の魚介などが使われ、串に刺した形で屋台で売られていました。
どんぶりに入った天つゆに浸して、大根おろしを乗せて食べられていたようです。
天ぷらそばも江戸時代に登場します。
天ぷらそばの走りは、そば店でそばを買った人が、隣の天ぷら店で天ぷらを乗せて食べたのが始まりだと言われています。
■江戸時代 肉食タブーも「食べたい」江戸っ子 あの手この手
一方で江戸時代、肉食はタブーとされていました。
理由です。
江戸時代以前から仏教の影響で肉食への嫌悪感がありました。
さらに5代将軍徳川綱吉が発令した『生類憐みの令』で動物の保護が進むと、肉食へのタブー感がさらに強まったと言われています。
時代劇で見るこのシーンはウソだったのでしょうか?
池波正太郎原作の『鬼平犯科帳』では、仲間内で『五鉄』という店の軍鶏鍋を食べるシーンが頻繁に出てきます。
実際、食べられなかった肉です。
本郷さんによると、タブーとされていたのは牛、豚、馬など四足歩行の動物で、二足歩行だった軍鶏などの鳥は食べても大丈夫だったということです。
ちなみに現在、一般的に食されているにわとりは、江戸時代は観賞用としてあまり食べられていなかったといいます。
ただ、どうしてもお肉が食べたかった江戸の人は、獣肉での代用を考えます。
こちらは歌川広重が描いた、現在の銀座1丁目付近を描いた錦絵です。
錦絵には『山くじら』の看板が大きく描かれていますが、この『山くじら』とは、猪肉料理店のことです。
江戸時代の人は隠語を使って獣肉をこっそり食べていました。
今でも使われていますが、猪肉は『ぼたん』、馬肉は『さくら』、鹿肉は『もみじ』と隠語が使われていました。
本郷さんによると、江戸時代では獣肉を『薬』という名目で食べていたということです。
「肉食を途切れさせなかったこの時代の食へのこだわりが、現在の日本が世界に誇る文化、和食の礎を築いたのは間違いない」
(「羽鳥慎一モーニングショー」2026年5月5日放送分より)



















