あす8月15日は「終戦の日」です。戦争中に日本軍が魚雷を操縦して敵の軍艦に体当たりする特攻隊・人間魚雷による攻撃を行いました。この攻撃で戦死した特攻隊員が出撃を前に、別れの言葉を録音していました。家族を思い、祖国を思い、21歳という若さで太平洋に散った特攻隊員の声です。
「回天」搭乗員“最後の肉声”
太平洋戦争末期、21歳の青年が出撃を前に残した肉声です。
「昔は懐かしいよ。秋になればお月見だといって、あの崖下に『すすき』を取りにいったね。あそこで転んだのは誰だったかしら。雪が降り出すとみんな大喜びで外へ出て雪合戦だ。昔は懐かしいなあ。こうやって、みんなと愉快にいつまでも暮らしたい」
「みんなといつまでも暮らしたい」家族への切実な思いが語られています。
声の主は塚本太郎さん。肉声は、次第に勇ましい言葉へ…。
彼が乗り込んだのは、人間魚雷「回天」。一度出撃すれば生きては帰れない特攻兵器でした。
慶應大学で水球に打ち込んでいた塚本さん。
「すごい選手で、ゴールキーパーやっていましたけどね。水球の国代表だったんですから。兄貴を尊敬していましたね。面白い兄貴でね。便所のドアの上にスリッパを置いといて、僕が開けて頭落っこちてゲラゲラ笑ってたんですね」
回天が「棺おけ」
1942年6月、日本はハワイ諸島北西のミッドウェー海戦で敗北し、戦況が悪化。翌年10月、兵力不足を理由に学生たちも戦場へ送られることになりました。
塚本さんは海軍に入隊。その後、志願したのが「回天」。天を回(めぐ)らし戦局を逆転する。帝国海軍が開発した1人乗りの人間魚雷。先端に大量の爆薬を積み、敵艦めがけて突っ込む特攻作戦です。
「これが貴様たちの棺おけだ。これは(上官から)言われた。これが貴様たちの棺おけだと」
回天の元特攻隊員・岩井さん。訓練中に病気が見つかり、出撃することはありませんでした。
回天は全長15メートル、直径はおよそ1メートル。内部をのぞいてみると、中央にある操縦室は一人がやっと腰掛けられるほどの狭いスペースです。潜望鏡で敵艦の動きを確認し、魚雷を操縦。脱出装置はなく、出撃が意味するのは“死”です。
「ちょっと潜望鏡で見てね、敵がどっちの方向に何ノットで走っているか、すぐに分かるわけないじゃないですか。それで当てずっぽうでやらなきゃならないでしょ。こんなのね、命中したら奇跡だよ」
瀬戸内海に浮かぶ山口県大津島。塚本さんを含めた400人以上が、この地で回天の訓練に励みました。
島にあるトンネルを抜けると、前方には無機質な建物があります。これは当時のまま残されている回天訓練基地です。
「皆さん(回天の特攻に)志願をされているので、こういったもの(回天)で自分は成果が上げられるんだと、厳しい訓練に取り組んでいたようです」
わずか2カ月の訓練を経て1944年11月、回天は初めて大津島から出撃。搭乗員9人の命と引き換えに、ウルシー環礁に停泊していたアメリカ海軍の給油艦1隻を撃沈しました。
初の実戦投入で日本側は「絶大な戦果」と過大に評価。その後も、多くの若者たちが出撃していきました。
そして1945年1月、塚本さんは潜水艦に回天と共に乗り込み、大津島を出発。ウルシー環礁に向かい、その後帰還することはありませんでした。
録音機に「声の遺書」
今年91歳を迎えた弟・悠策さん。戦死した塚本さんの一回り下です。
「懐かしいですね。これが最後、兄貴が別れにきて、皆集まれというか」
出撃2カ月前の1944年11月、塚本さんが突然帰省した際に撮影されたものです。兄に寄り添って満面の笑みで写る当時9歳の悠策さん。
実はこの時、兄・太郎さんには回天での出撃命令が下されていました。知らなかったのは、弟の悠策さんだけでした。
帰省中、兄の太郎さんは父が経営する広告会社のスタジオで、当時としては珍しい録音機に向かいました。「声の遺書」を残すためです。
その母が亡くなり、遺品整理をしている時に出てきたのが、このレコードです。原盤は壊れてしまいましたが、悠策さんが録音し、手元に残していました。
「父よ、母よ、弟よ、妹よ。さようなら。本当にありがとう。こんなわがままなものを、よくもまあ本当にありがとう。僕はもっと、もっと、いつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ。みんなさようなら。元気で征きます」
「『元気で征きます』ってのは『100%(力を)出して(戦地に)いきますよ』ってことで、『いきたくない』とかね、そんなことはみじんも思いませんと。切迫感を抱えながら、家族と国も考えているわけだから、こんな重荷はないですよ」
「(Q.『もっともっと一緒にみんなと楽しく暮らしたいんだ』と聞いた時、どう思ったか?)あれは本音っていうか、全部言葉通りです。だから聞いた時はね、ああ兄らしいなと思ったんですよ。もう真面目です。ユーモアはあったけどね。(録音で)意味付けてるってことは今、一瞬一刻でも大事にしたかった。世界で一番悲惨なのが、特攻隊じゃないですか。死ぬの分かって出ていくっていう」
ほとんどが失敗…回天作戦
毎年お盆には、必ず兄の墓前で手を合わせる悠策さん。
「(Q.太郎さんは、生きたかったですかね?)それは、生きたかったです。どんな行動を見ても、生きたいっていうのは見えたですね。まあ、最後に帰ってきた時もそうだし、残りたかったんじゃないかな」
祖国を思い、海に散っていった兄・太郎さん。回天作戦は終戦まで続けられましたが、そのほとんどが失敗に終わり、回天によって撃沈したと確認されている敵艦はわずか3隻。回天搭乗員の戦死者は106人に上ります。その多くが20歳前後の若者でした。
あす8月15日は、終戦から81年を迎えます。
(2026年8月14日放送分より)
















