黒船来航をきっかけに大きく動いた幕末の日本。坂本龍馬や西郷隆盛などが日本のために奔走したことは広く知られていますが、歴史を別の視点から見直すと、これまでの龍馬像を揺るがす新たな真相が見えてきます。
大河ドラマの時代考証を担当した山村竜也さんに、幕末史の知られざる一面を聞きました。
暗殺実行犯の自供と幕府の恨み
歴史について、山村さんは次のように話します。
「歴史というのは基本的に勝者が作るんです。ですから、豊臣秀吉の功績はそれを倒した徳川家康が否定する。そして、徳川幕府の功績は、それを倒した明治新政府が否定する。歴史というのは、そういうことの繰り返しなんです」
まずは、幕末の英雄・坂本龍馬に関する新たな真相です。
坂本龍馬は慶応3年(1867年)、京都の近江屋で暗殺されました。しかし、その実行犯については、いまだにさまざまな説があります。
山村さんは「坂本龍馬暗殺に謎はなかった」と指摘します。
「坂本龍馬暗殺の犯人。これが誰だか分かりますか?」
「薩摩藩の人と、聞いたことあるんですけど」
「実は、龍馬暗殺の実行犯の自供が取れているんです。戊辰戦争が終わった後に、京都見廻組の今井信郎という者が捕らえられて、そして取り調べの結果、自分たちが龍馬をやったと自供していますね」
「では、謎ではないんですね」
大正時代の1926年に刊行された「坂本龍馬関係文書」には、今井信郎の自供が収録されています。このため、幕府が作った京都見廻組による実行説の信憑性が高いといわれています。
幕府が龍馬を襲った背景には、前年に起きた出来事がありました。
「(暗殺の)前年に、龍馬は京都の伏見で捕り方に囲まれた時に、2人の捕り方を射殺して脱出したという事件がありました」
京都の伏見にあったはたご「寺田屋」で幕府の捕り方に囲まれた際、龍馬が拳銃を使って応戦し、脱出に成功した出来事は有名です。しかし、この時、龍馬は役人2人を射殺したため、殺人犯として幕府に追われることになったといいます。
「龍馬側から見れば、鉄砲を使ってピンチから逃れた爽快な場面ですが、幕府からしてみれば、警察官を2人撃ち殺して逃げたも同然なんです。だから龍馬暗殺は、その警察官殺しを恨みに思った幕府の者がやったということを改めて覚えておきたいところですね」
龍馬が考えた「100万両」の偽造計画
続いては、龍馬による幻の倒幕計画です。
およそ260年続いた徳川幕府の政権を朝廷に返上した「大政奉還」。この計画に龍馬が大きく関わっていたことは有名ですが、その前に、龍馬は驚きの方法で倒幕しようと考えていたといいます。
「坂本龍馬は倒幕のために、お金の偽造を計画していた」
幕末の英雄として知られる龍馬が、貨幣の偽造を計画していたというのです。
「英雄といわれる坂本龍馬が、貨幣偽造を考えていたというのは意外な話で。記録によると、土佐の重臣の後藤象二郎と龍馬が話した時に、龍馬が『そろそろやりましょう!』と言うと、後藤が『何を?』と返すと、龍馬は『偽造です!』と言ったとされている。硬貨の金銀の含有量、それを調整することによって、偽造硬貨を作ろうとしていたんです」
「どれくらいの量を偽造しようと計画していたんですか?」
「当時の金額でいう100万両。これを現在の金額にすると1000億円に相当する」
「実際に、その偽造計画はどうなったんですか?」
「行われる直前に、龍馬が暗殺されてしまった。その龍馬暗殺によって、偽造計画が実際には行われなかった」(※龍馬の死後 土佐藩は小規模ながらニセ金づくりを実行)
さらに、龍馬とお金にまつわるこんな話もあります。
1865年、龍馬が作った日本初の商社「亀山社中」。薩摩藩の支配下にあり、給料は月額3両2分、およそ35万円でした。龍馬も他の隊士と同じ金額だったといいます。
ところが、土佐藩の外郭組織として作られた海援隊の隊長の座に就くと、龍馬の金銭感覚が変わっていったそうです。
「坂本龍馬は、海援隊隊長になってお金にがめつくなった」
土佐藩にたびたび金を要求するようになった龍馬。三菱財閥の創始者で土佐藩士の岩崎弥太郎の日記から、その変化が分かります。
当時、海援隊の隊士は龍馬を含めて16人いたため、合わせて80両を要求されました。土佐藩の後藤象二郎は気を利かせ、20両を上乗せした100両を弥太郎に命じ、龍馬に送りました。すると、龍馬から「100両は隊士に渡した。ところで隊長である自分の給金はどうなっているのか?」という内容の手紙が届きました。
「さらに自分の分も別によこせと言ったほかに、これから海援隊は仕事を始めるので、そのために50両をさらにその活動資金として別にまたよこせということも言っているんです」
「遠慮や謙虚さみたいなものが、龍馬はちょっとずつ薄れていってしまったんですかね?」
「実は武士ではあるんですが、純粋な武士ではないんです。龍馬の家の3代前は商人だったんですね。普通の武士なら、お金に対して恥ずかしくて言えない」
そのためなのか、龍馬はお金を集めるのが実にうまかったといいます。ただ、そのがめつさは私利私欲によるものではありませんでした。
「そのお金をふんだんに使って、それを政治のために使ったという、龍馬というのはそういうおおらかな人だったということが言えるわけです」
「船中八策」は存在しない文書?
龍馬といえば、「船中八策」も有名です。船中八策は、新しい日本をつくるための8つのアイデアで、龍馬が船の中で考えたといわれています。しかし、これにも新たに分かった真相がありました。
「坂本龍馬が作ったと言われる船中八策は、実は偽文書だった」
船中八策は、そもそも存在しない文書だというのです。この船中八策という言葉が初めて出てきたのは、龍馬の没後50年を記念した講演会でした。
その講演会で、「多分長崎から上京の途次、船中で案を立ててみたもの。この八策を船中八策とも申します」という発言があったといいます。
この発言を引用し、龍馬が実際に作った「新政府綱領八策」を基に、後の人が作ったフィクションではないかと考えられています。
「船中八策の中身自体は龍馬のアイデアだったってことで間違いないんですか?それをもっとドラマチックにするために、船中八策、船の中で思いついた8つのアイデアということに…」
「そういうことですね。龍馬はしっかり大政奉還構想を持っていたし、それに向かって尽力していた。そして新政府の基本方針もしっかり立てていた。だから龍馬の明治維新における功績は、この偽文書であったとしても、一向にそれが弱まることはないということをきょうは申し上げたい」
暗殺の背景にあったとされる役人殺し、倒幕のための貨幣偽造計画、そして存在しない文書だった「船中八策」。こうした真相を知ると、これまでの龍馬像とは少し違った印象になるかもしれません。
(2026年8月20日放送分より)










