活躍の裏で“力をくれる存在”阪神・佐藤輝明選手[2021/03/23 23:30]

豪快なスイングとパワーが持ち味の阪神タイガース、ルーキー・佐藤輝明選手(22)は、オープン戦初打席で初ホームランを放つと、その後も勢い止まらず、ホームランの新人最多記録を49年ぶりに更新しました。

そんな佐藤選手には、力を与えてくれる存在がいます。

佐藤選手の母校・仁川学院(兵庫)の4つ下の後輩で、野球部だった槇原葵人くん(18)は、2年生だったおととし秋に急性白血病を発症。病と闘い、リハビリを経て、去年の6月には野球ができるまでに回復しました。

夏の大会にはレギュラーとして出場し、見事ヒットも放ちましたが、その後、白血病が再発。生きるためには骨髄移殖が必要だと告げられました。

佐藤輝明選手:「仁川学院の後輩に白血病の子がいると聞いて、高校の指導者の方を通じて『少しでも元気づけてあげてほしい』と」

4球団から1位指名を受け、阪神への入団が決定したドラフト会議の翌月、佐藤選手は、移植を控えた槇原くんの自宅を訪れ、サインボールを手渡しました。

佐藤輝明選手:「喜んでくれるかなと思ったんですけど、多分、喜んでくれていた」

槇原葵人くん:「びっくりしましたし、移殖前だったので勇気が出ました」

そしてこの時、2人はある約束を交わしました。

槇原葵人くん:「『何か欲しいものある?』と聞かれて『バット下さい』と言った。そしたら『何本でもあげる』と言われた」

槇原くんは12月に骨髄移植を受け、そこから2カ月、無菌室で生活。副作用で食事ものどを通らない、つらい治療が続きました。

佐藤輝明選手:「(Q.会いに行って、槇原くんから得たものは?)(槇原くんは)『野球をやりたい』と言っていた。逆境でも諦めない心を持つことに、何か感じるものがあった」

「諦めない心」を持って野球を続けてきたのは、佐藤選手も同じでした。母校の仁川学院は、甲子園に出場したことがありません。佐藤選手自身、入学時は野球を続けるかさえ迷っていたといいます。

佐藤輝明選手:「何か飛び抜けたものもない普通の選手だったので楽しくなかった」

大会ではなかなか結果を残せず、高校時代は無名の選手。それでもひたむきに、バットを振り続けました。今はその姿が後輩の希望になっています。

2月中旬に退院が許された槇原くんにバットが届きました。このバットは、佐藤選手がプロで初めてホームランを打った記念のもの。佐藤選手がキャンプ地・沖縄から、槇原くんのために送りました。

佐藤輝明選手:「槇原くん、退院おめでとうございます。日ハム戦でホームランを打ったバットをプレゼントします。これを受け取って喜んでもらえるとうれしいです」

槇原葵人くん:「めちゃくちゃうれしい。(Q.大学でもう一度野球をやりたい?)やれるなら、やりたい。野球をするとなった時に、すぐにバットを振れるようにしておきたい」

現在、自宅で療養を続ける槇原くん。実は2人には、あの時交わした“もう一つの約束”がありました。

佐藤輝明選手:「『見に来られるようになったら、招待するから来てね』と言いました。(Q.それは甲子園ですか?)もちろん。一つの目標として、槇原くんに見てもらうというものを掲げてやっていきたい」

槇原くんとの約束を胸に誓い、佐藤選手のプロ野球人生が幕を開けます。

佐藤輝明選手:「プロ野球は喜んでもらうのが仕事でもある。槇原くんや、ファンの皆さんに喜んでもらえるようなプレーを心掛けていきたい」

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