逃げから始まった挑戦 東京パラ競泳「金」木村敬一[2021/10/05 23:30]

9月に行われた東京パラリンピック、視覚障害100メートルバタフライで金メダルに輝いた木村敬一さん(31)。4大会目の出場で、ついに達成できた悲願でした。しかし、この喜びを噛みしめるまでには、大きな葛藤がありました。

東京への挑戦には“イヤイヤ病”だったという木村さん。実は5年前のリオパラリンピックで、金メダルに全てを懸けて臨んだものの、結果は無念の銀メダル。気持ちが切れしまい、勝負の場から逃げたいと考えていたのです。

木村敬一さん:「イヤイヤ病というか、リオのパラリンピック5年前まで、すごく厳しいトレーニングを積んだし、頑張ったつもり。でも届かなくて金メダルに。もう4年、頑張る勇気が湧いてこなくて。だからもう、ここに居たくない、戦うところから一度逃げたかった」

しかし、同時にこんな思いも湧いてきたといいます。

木村敬一さん:「少々トレーニングがうまくいかなくても、生活が充実していれば、人生トータルとして楽しくなるのかなと思った。ゼロの状態からスタートしても、チャレンジすることによって、ゼロより下になることはない、マイナスになることはなくて、成功すればプラスだし、失敗しても進まないだけ」

チャレンジすることで、マイナスにはならない。競技で上手くいかなくとも、日常が充実すればプラスに。そこで決意したのが、アメリカへの留学でした。

先天性の病気で全盲となった木村さんにとって、ひとり見知らぬ土地で暮らすのは大変なこと。英語が話せない木村さんは、語学学校へ通いました。テキストは英語の点字で書かれています。練習する環境も自分で確保する必要がありました。

それでも、毎日が新鮮だったといいます。

木村敬一さん:「海外生活を味わった、英語しゃべれるようになった、世界中に友達ができたってなったら、財産になる。僕、頑張ってるなって思えた。(Q.そう思えた一番のポイントは?)日記をつけて、何カ月かに1回、振り返った時に、偉いなって思った。(Q.日記はどう書いてる?)音声読み上げソフトを入れたパソコンでずっと書いてて。数カ月ホテルに住んでいたんですけど、きょうはラウンジのお姉さんに『スプーンどうやって返したらいいですか?』って聞けたとか、『コップどこですか?』って言えたとか。(Q.言えなかったんですか?)そうですね。それが数カ月前の日記。それが『台所でコップ盗まれたから文句言ってやった』とか書いていて。スプーンも1人で戻せなかったやつが『コップなくなった』って騒げていると思うと、大したもんだなと」

できなかったことができるように。日々の生活で小さな自信を積み重ねていくと、水泳への思いにも変化が出てきました。

木村敬一さん:「自分に自信があるから、どんなことも思い切ってやれる。自信がついて初めて、色んなことにチャレンジしていける余白が(心に)できた。自信があるから、新しいチャレンジした時にきっとうまくいく。うまくいかなかったとしても『大丈夫だろう』と。別に根拠はないんですけど、思えてるからチャレンジするゆとりがある。好循環ですよね」

こうしてアメリカで2年を過ごした木村さん。最初は逃げたかったという思いで始めた挑戦が、新たな気付きをもたらし、金メダルにつながりました。
木村敬一さん:「アメリカにいる時、毎日が楽しくて、呼吸しているだけで自分が成長しているって思えた。一瞬たりとも無駄な時間を過ごしてない。この1秒が全部、自分の血となり骨となっていると思うと、たまらなくいい人生だなって思いました」

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