“平成の怪物”23年の現役生活に幕 松坂大輔生出演[2021/10/19 23:30]
“平成の怪物”と呼ばれ、野球史にその名を刻んだ、西武の松坂大輔投手(41)が19日、23年の現役生活に幕を降ろしました。引退のマウンド。その想いに迫ります。
(Q.5球の引退登板でした。マウンドから降りた今のお気持ちを教えてください)
松坂大輔投手:「やっぱり投げなければどこか未練が残るというか、そういう思いがありました。きょう投げて改めて『だから辞めるんだよな』と思えました」
(Q.思うように動かない右腕を一生懸命振って投げた118キロのストレートだったと思います。この1球をどのように受け止めていますか)
松坂大輔投手:「力を入れようと思えば、もうちょっと入れられたのですが、強く振るとボールがどこに飛んでいくか本当に分からないので、あれが限界でした」
(Q.両軍の選手も、スタンドのファンも、松坂投手の1球1球を見る時に静まり返っていて、祈るような気持ちで最後の姿を刻み付けていたと思います。マウンド上にいて、球場の空気を感じていましたか)
松坂大輔投手:「今まで感じたことのないような球場の雰囲気だったと思います」
(Q.マウンドを降りる前に、日本ハムの選手の方に歩み寄ってあいさつをされていましたね)
松坂大輔投手:「最後の最後に迷惑をかけてすいませんという気持ちで謝りに行ったのと、最後に相手をして頂いてありがとうございましたと伝えさせて頂きました」
(Q.試合後、スタンドを回って手を振っていましたが、どんな気持ちでファンの皆さんを見つめていましたか)
松坂大輔投手:「ファンの方を見ながら、たくさんのファンの人が入っているメットライフドームの景色を見ながら、少し昔のことを思い出しながら、1周させてもらいました」
(Q.街の人に聞くと「やはり甲子園の姿が忘れられないんだ」と話していました。松坂投手自身は、甲子園の舞台で最も印象に残っているのはどの試合ですか)
松坂大輔投手:「どの試合も印象深いですが、やっぱり夏の甲子園のPL学園との試合ですかね。引退会見の時にも話をさせてもらったんですけど、PL学園との試合で、最後まで諦めなければ良いことが起きると思わせてくれた試合です。あの試合が本当に僕にとって原点になった試合だと思います」
1998年夏の甲子園準々決勝で、松坂投手はPL学園に対して延長17回まで完投し、勝利しました。翌日の明徳義塾戦では、リリーフで勝利に貢献しました。京都成章との決勝戦ではノーヒットノーランを達成。甲子園春夏連覇を成し遂げました。
(Q.あの甲子園を振り返って今、どんな思いを抱きますか)
松坂大輔投手:「春夏連覇を目指した夏の大会でしたけど、特に準々決勝、準決勝、決勝と、自分たちもでき過ぎた試合だと思いました。周りの方々にも『漫画でも描けないようなストーリー』と言われてうれしかったのを覚えています」
プロ1年目から3年連続で最多勝。5年連続首位打者だったイチローさんとの対決は、3打席連続三振でした。
(Q.プロ1年目を振り返ってみると、どんな時代・感覚でしたか)
松坂大輔投手:「生意気な18歳だったと思いますね。良い意味でも悪い意味でも」
(Q.イチローさんとの対決は大きな出来事でしたか)
松坂大輔投手:「イチローさんにはまだ早いと言われたんですけど、確実にあの試合で『やっていける』と思った試合でした」
メジャーリーグに舞台を移して1年目。レッドソックスでワールドシリーズを制覇しました。
(Q.メジャーリーグ制覇はどういう経験でしたか?)
松坂大輔投手:「今思えば、あの年しかワールドシリーズを制覇することができなかったんですけど、ワールドシリーズで松井稼頭央さんと対戦することもできましたし、あれ以上の経験はなかったです」
2006年、2009年のWBCでは日本の連覇をけん引し、2大会連続でMVPに選ばれました。
(Q.WBCの頃は、今思い返すと絶頂期だったと感じますか)
松坂大輔投手:「今思えば、あの時でしたね。僕自身はあそこからさらに良くなると思っていましたけど、もう2009年の大会の時には、もう普通の肩ではなかったですね、正直。引退会見の時にも話をさせてもらったんですけど、2008年のシーズン中に肩を痛めるできごとがあって、次の年から肩の状態を維持するのが難しくなったと思います」
(Q.日本球界に戻ってからも、なかなか思うように活躍できなかったと思います。厳しい声も浴びたと思います。今日に至るまで、どんな思いで現役にこだわり続けたのでしょうか)
松坂大輔投手:「お世話になった球団には恩返ししたい、チームの力になりたいと思ってやっていましたけど、日本に戻ってきてからのホークス、ドラゴンズ、そして最後のライオンズの2年間は、本当に球団の方とファンの方に申し訳なかったなと思います」
(Q.その姿に元気を頂いた人たちもたくさんいると思います。街頭インタビューでも『自分たちの世代に松坂がいることが励みになった』という声が本当に多く聞かれました。“松坂世代”という言葉にどんな気持ちがありますか)
松坂大輔投手:「言われていた当初は、僕自身あまり好きにはなれなかったですけど、同世代で頑張っている選手や、選手以外でも『私も“松坂世代”です』と言われることが途中からうれしくなりました。その声があったから、僕もまだまだ“松坂世代”という言葉を使ってもらえるように頑張ろうと思ってここまでやってきました」
(Q.これから、どういう形で野球と関わっていこうと考えていますか)
松坂大輔投手:「良くも悪くも野球しかやってこなかったので、もちろんこれからは野球界に携わっていきたいと思います。また、外から違った角度で見ていきたいと思います。他のスポーツの競技にも興味がありますし、スポーツ以外にも興味があるので、色んなことにチャレンジしていけたらと思います」