車いすテニス・小田凱人(16) 「神様からの挑戦」骨肉腫を乗り越え“最年少世界一”[2023/01/24 16:55]

去年11月、車いすテニスの世界ランキング上位のみが集まるシーズン最終戦。史上最年少の16歳で勝利し、年間王者に輝いた小田凱人さん。その言葉に、驚かされました。

■残酷な現実「サッカーはできなくなる」

小田凱人さん:「約1年治療して、血液検査しても、『死ぬんじゃないか』っていうくらいの数値が出たこともあった。誰も経験したことないような経験。すごいラッキーだったな」「自分の病気も珍しくて、何万人に1人。選ばれたつもりで、胸を張って」

死を間近に感じたなかから世界一へ。それは、壮絶な道のりでした。

小田さんは9歳の時、骨のがんである「骨肉腫」と診断されました。

左足の股関節と大腿骨の一部を切除。人工関節にする必要がありました。そのため、歩くことも困難になりました。

当時、プロサッカー選手になることを本気で夢見ていた少年にとって、あまりに残酷な現実でした。

小田さん:「常に脚は痛くて、手術終わって、1カ月、2カ月は寝たきり。毎日、痛くて泣いてっていう生活ばっか。常につらかった。一番は『サッカーはできなくなる』と言われた。退院して、またサッカーに戻りたいって思いは、手術する前にはあったんですけど。もう、これは難しいな」

■「早くテニスがしたい」一心でリハビリに

夢は断念せざるを得ない。そんななか、小田さんに希望を与えた存在がいました。

車いすテニスの第一人者、国枝慎吾さん(38)。病院のベッドの上、画面越しの出会いでした。

小田さん:「その時見たのは、ロンドンパラリンピックの決勝」「かっこいい」「迫力というか表情というか、試合中の雰囲気に圧倒されて…」

世界を圧倒する国枝さんの姿が、それまでサッカー一筋だった小田さんの心に火をともしたのです。

「次はサッカーのプロではなく、車いすテニスの世界一に」。リハビリが始まりました。

最初は左足をほとんど地面に付けることができない状態から、徐々にできることが増えていきました。

「早くテニスがしたい」。その一心でリハビリに励みました。手術から半年が経過し、一時退院ができるようになると、自宅で車いすを操り、ラケットを存分に振れるようにまでなったのです。

■「うまくいくわけない」新たな夢を諦めず

しかし、これまで2度にわたり、がんが肺に転移。今でも4カ月に1度の検査が欠かせません。

小田さん:「『うまくいくわけがない』。うまくいかないのが、僕の中で普通。そこでくじけたりっていうのは全くない」

新たな夢を諦めることは、決してありませんでした。

こうして、車いすテニスの世界に飛び込んだ小田さんは、史上最年少記録を次々と更新。誰もが驚くスピードで階段を駆け上がっていきます。

■「神様からの挑戦」選ばれたと信じて

中でも、特別な試合となったのが、去年10月の楽天オープン決勝。有明のセンターコートで相対するのは、国枝さん。小田さんに夢を与えてくれた、憧れの存在です。

「さあ、思いをぶつけていくぞ!」。しかし、国枝さんも譲りません。

試合はタイブレークにまでもつれる大接戦。小田さんはあと一歩のところまで、国枝さんを追い詰めました。

小田さん:「まずは国枝選手、本当にありがとうございました。もちろん、きょうの対戦に関しても感謝したいですし…。僕がテニスを始めた理由も、国枝選手のロンドンパラリンピックで決勝をやっていたから。戦えたことをうれしく思います」

小田さん:「ようやく自分が表現したかったものが表現できた。車いすテニスを知って、『これをやりたい』って思った時、そのためにリハビリや治療を頑張った。自分への神様からの挑戦かなって」「『乗り越えられるかな』って与えられた気がして。だったら、頑張らないといけないな。選ばれたと信じて、頑張りたい」

(「報道ステーション」2023年1月23日放送分より)

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